舘という名はこの辺りの地名だったそうだ。大昔は舘村だったそうだが、分村して舘村と引又村になり、明治時代に県が合併を勧めたそうだが、江戸時代は引又村が新河岸川の舟運で周辺各村よりも栄えたこともあり、ネームバリューもあったことから、引又村側は、引又の名にすべきと譲らず、舘村は元に戻るんだから舘村だと譲らず、県の役人が仲裁にはいるも町名争いは治まらず、そこで古文書を調べ、古い名なら納得するだろうとそこから〈志木郷〉の名を見つけたそうだ。だが、役人が古文書を調べたせいで、この地域の名称ではなかったことがのちに判明した。奈良時代に朝廷は、内乱により朝鮮から逃れてきた渡来人を受け入れ、今の埼玉県南部に住まわせ、和光市周辺には新羅からの渡来人を入れ、新羅郡(しらきごおり)を置いたが、この新羅という字は日本では(しんら)としか読めず、そこで〈志楽木〉という当て字を用いたそうだ。そして、群家(郡の役所)を置いた場所を〈志木郷〉としたそうだ。この志木郷は当時の地元民の訛りのせいで、都から来た郡司には〈しらこ〉と聞こえたそうで、和光市の白子の由来となっていたんです。それがのちに判明したため志木村は、こののち合併や離脱を繰り返すたびに町名はコロコロ変わっていったが、昭和45年の市制施行で志...
Read moreI was there in night ..it's small but damn cool place...
Read more志木ニュータウンの中で一番広い公園です。昭和33年生まれの私には、あれ駄目・これ駄目と云う公園が多いですが、多少は大目に見てもらえそうなぐらい広いです。余程のことがない限り、当たったり・ぶつかったりしないと思います。河川敷並みの公園が志木ニュータウン...
Read more