隅田川神社様 (すみだがわじんじゃ)
所在地 墨田区 堤通(つつみどおり)2ー17ー1
ご祭神 速秋津日子神 (はやあきつひこのかみ) 速秋津比賣神 (はやあきつひめのかみ) 鳥之石楠船神 (とりのいわくすふねのかみ) 大楫木戸姫神 (おおかじきどひめのかみ) 御 井 鳴 雷 神 (みいなるいかずちのかみ)
墨堤(ぼくてい)通り461 沿いに一之鳥居が 見えます。都営 白髭(しらひげ)東アパートを 通り抜けますと、東白髭公園があり参道に なっています。公園を抜けますと二之鳥居が 見えます。一之鳥居から徒歩 5分くらいです。
隅田川神社様は、旧葛飾郡隅田村(すだむら)の 鎮守社で、江戸時代までは水神社(すいじんじゃ) と呼ばれていました。明治 6年(1873)に現社号に 改称されました。 隅田川の総鎮守ですので、隅田川花火大会の 前日には主催者は参詣するそうです。
こちらの神社では、狛犬の代わりに亀さんの 石像がありました。境内社の奥にも歴史のある 大きな亀さんの石像がありました。
境内社様 若宮八幡神社、三財稲荷神社、 粟島神社、金神社、天神社 (一棟三社) 奥に、大きな亀さんの石像と小さな祠があり ました。
隅田川沿い(首都高速 6号)に鳥居がありました。 関東大震災 1923年 (大正 12) 9月1日に倒壊。 推定マグニチュード 7.9 死者•行方不明者約...
Read moreここは、クルマでは入りにくい経路の神社。明治通りからは入れません(川沿いを進もうとすると、450m進んだところでロータリー返し)。墨堤通りを千住方向へ進み、アンダーパスへは入らないで、側道から、首都高の堤通ランプ方向(水神大橋方向)へ左折、橋へ上がったらダメ。左の側道へ逸れて、突き当りを左折、そのまま道なりに進むと、まず左に"梅若伝説"の"木母寺(もくぼじ)"、その先クランクした右手に隅田川神社のけっこう広い駐車場に入れます。電車で行く方は、東武鉄道の鐘ヶ淵駅を降りて東に向かって歩く。墨堤通りの横断歩道を渡ったら、防災団地の場内を抜け出ると鳥居が見えます。徒歩で見える方は、鳥居くぐったら左折、石畳に沿って右に本殿があります。クルマの方は、境内脇から参道進んで右折れて本殿です。本殿は西を背にほぼ東面しており、左後方に社務所と授与所があります。日頃はカーテンブラインドされている授与所ですが、宮司さんのクルマがあるときは、たいてい居ますので、ピンポン押して「お守りくださ~い」と吼えると、だいたい出てきます。厄除けのお守りが青赤一種類ずつのほか、神札、その他の願意など、ほどほどに揃っています。何が並んでいるかは、カーテン開けてもら...
Read more江戸の名称の由来と水神の森(墨田川神社)
東京は明治以前江戸と呼ばれていた。
江戸時代、江戸っ子、江戸幕府、江戸切子等々江戸の文字は良く使われるけれど、意外と江戸の言葉の由来は知らない人が多いのではないだろうか。 実は私もその知らない人のひとりだった。
かって隅田川は水神の森あたりで内海に流れ込んでいた。 水神は現在の隅田川神社。
その河口の辺りは江口と呼ばれていた。 その江口が江戸と変化して周辺の地名として拡大していったそうだ。
地図を見ると内海がこの辺まできていたとはにわかに信じられないが、地図をよくみると近くに汐入の地名がある(汐入小学校など) 汐入は海水の流入をあらわす言葉なので、この辺の池に潮の満ち引きなどで海水が入っていたと思われる。(写真)
その後、海は後退していき、隅田川の河口は現在の佃島辺りになった。
安藤広重の江戸名所百景「隅田川水神の森」 奥に見える山は筑波山で、右下に描かれている家が水神の社である。 その社の周辺が水神の森と呼ばれた。(パソコン画)
大正時...
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