上田城の鬼門に当たる北東方向には、これでもかというくらいに多くの寺院や神社があります。曹洞宗の寺院、天照山大輪寺もそのひとつです。しかも、本堂の大棟に掲げられている寺紋は「六文銭」。つまり真田家の菩提寺のひとつだということです。 築城にさいして移設された寺社は合計で4つ――海善寺、呈蓮寺、八幡宮、大輪寺――になります。なぜ、このようなくどい寺社配置にしたのでしょうか。 その理由は、築城にさいして大輪寺がもともと位置していた砥石城の東麓から、真田昌幸の妻「山の手殿」の願いにもとづいて現在地に移設された事態のうちにありそうです。 というのは、上田城から見て真田家の本拠「真田の里」(旧真田町)は北東方向、つまり鬼門の位置にあるからです。砥石城は、千曲川河畔から神川に沿って北上する道筋において、真田の里を守る前門の位置にありました。 そうなると、太郎山ならびに東太郎山の尾根で縁取られた上田城から北東部は、矢出沢川と神川の扇状地斜面となるわけですが、山麓斜面と河岸段丘でつくられた――小諸方面から攻めくる敵に対抗する――軍事的防衛線は、真田の里、砥石城とその出城、上田城を結んだ線と重なるわけです。つまり、城の鬼門方面に分厚い防衛戦線を構築できるようにしておかなければならないということになります。寺社の境内や堂宇が兵配備地や兵站拠点となること...
Read more仕事でたまたま通りかかりました。わざわざ中まで案内して頂きましたありがとございました。お参りさせていただきました。座禅の日もあると言うことでしたので今度ぜひ参加させていただきたいと思います。とても素敵なお...
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