京急線南太田駅から徒歩7分ほどの神社。 もともとは「太田杉山神社」と「水天宮」の二社別々の神社でしたが、1998年に合祀され、現在は共に祀られています。 水天宮の歴史は貞享年間(1684〜1687年)に新田開発の折に水害守護のため、久留米から分霊を賜り、創建されました。明治期には安産・子育ての神として崇敬されました。しかし、1945年の横浜大空襲で焼失、境内地も占領軍により接収の憂き目に。その後、仮社殿にて祭事を執り行うもものの、奉祀継続が困難となり1998年に杉山神社へ合祀されました。 杉山神社は、横浜市旧太田村の総鎮守で延喜式にも記録があるそうです。古くから火防の神として崇敬されてきました。創建は不明とされていますが永和2年6月(1376年)の社殿再建の棟札が残されています。 しかし、1945年の横浜大空襲で社殿や境内が全焼。氏子の尽力により、終戦後の1958年には社殿が再建されました。 境内は崖下ではありますが、狭さを感じることのないスッキリとした印象です。スリムな柱で建てられた切妻造の木造の社殿が凛として美しいです。鈴緒につけられたカラフルな布も素敵でした。 御朱印は水天宮のものと杉山神社のものが両方...
Read more神奈川県横浜市南区南太田に鎮座する横濱水天宮太田杉山神社の直書き御朱印を頂きに参拝しました。
「水天宮」は中村川と大岡川の間を埋めて作った吉田新田開発の頃、度々水害に悩まされた為、貞享年間(1684年~1687年)に久留米より現在の長者町の辺りに水天宮の御分霊を勧請奉斎し、水害の守護神として祀ったのが始まり。
そして明治の初め、河野与七がこの地を開拓するにあたり旧体を発見し社殿を建立し再興。
しかし、昭和20年5月29日の横浜大空襲により全焼。戦後には境内地も米進駐軍に接収されてしまったそうです。 その後、横浜市内を中心に数十社ある延喜式内社・杉山神社(因みにどの杉山神社が延喜式に載る杉山神社であるかは現在不明となってます)の氏子内にあった河野与七の子孫の屋敷に仮社殿を造営し奉斎し、氏神杉山神社の神官により祭事を執り行っていたが、継続が困難になり、平成10年に氏神社である杉山神社に相殿神として迎えられ、合祀され現在に至ります。
最寄り駅は京浜急行本線の南太田駅となります。 御朱印は拝殿向かって左手...
Read more前回、見逃した「仔犬に乳をあげている狛犬」を確認しにきました。確かに他では見ない珍しい姿ですね。夕方だったので写真では西日で陰になって判り難いですが、肉眼では可愛らしい仔犬の姿を見ることができました。 実は今回も近くで検定試験があり、合格祈願のため参拝しました。安産の神様なので専門外なのかと思いましたが、前回も今回も無事合格できました。さすが地域の総鎮守!霊験あらたかです。ありがたや。 ーーーーー 近くで検定試験があり、合格祈願のため参拝しました。とはいえ、水天宮は安産祈願、杉山神社も防火の神様ということで専門外と言われそうですが、そこは地域の総鎮守ということで、よろしくお願いします! 試験のことで頭はいっぱい、たまたま試験会場の近くにあったので、あまり良く調べずにお参りしましたが、神社に向かって右側の狛犬は、仔犬に乳をあげている珍しい姿なのだそうです。今度、お礼参りに行く機会がありましたら、よく見てみます。拝殿の背後はこんもりとした山に木々が生い茂り、なにやら強い生命力...
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