どの様な立場の方かは存じませんが、年配の女性の方、他の方も書いておられるように本当に底意地の悪い方で御朱印もどんな気持ちで書いたらこんなおざなりな御朱印になるのかと思う様な雑な書き方で乾かしもせずそのまま紙を挟んで下さったおかげで墨汁が固まって張り付いてしまい、直ぐに剥がしたものの時すでに遅しでした。文字が下手なのでは無いのです。こころが全く籠もっていない。吉野寺宝巡り…どのお寺様の方も皆さんとても温かく親切で、こちらの寺院を最後に選んだ自分を恨みました。せっかくの幸せな気分があなたのせいで台無しです。庫裏の方に沢山人が居られて楽しそうな所をお邪魔したことは申し訳ありませんがあの対応は酷すぎます。とても素晴らしい仏様がいらっしゃるのに。お線香をお供えした時も「うちのと香りが違うからやめてくれ」と言われましたね。こちらの謝罪に対しては無視されて…本当に寺院関係者ですか?そちらのご住職様はどのようなお考えなのでしょうか?西國を結願し結願寺でお分け頂いた結願香はそちらの御本尊様にそれ程失礼なお香でしたか?素晴らしい仏様5分も見せて頂いてません。帰れ!の無言の圧力凄いですね。醍醐寺の仏様にも見劣りしない素晴らしい仏様…またお目にかかりたいですが貴方に会いたくないのでもう行きません。在家のものでも仏様を敬っています。もっと人の気持ちに寄り添う...
Read more日雄山大日寺(ひのうざんだいにちじ)といい真言宗醍醐派のお寺になります。 御本尊は五智如来像になります、「大日如来」を中心にして東に「阿(しゅく)如来」・南に「宝生如来」・西に「無量寿如来」・北に「不空成就如来」からなります。 中尊の大日如来は像高約九十七・五センチメートル木造漆箔寄木造り光背は透し彫り船形の像です、他の如来の諸尊は像高約五十センチメートルの像です。 御本尊の五智如来坐像は藤原時代の作で国の重要文化財に指定されています、本堂は宝永年間(1704年~1711年)に再建の宝形造りの建物です。 大日寺の創建は白鳳時代に、役行者(役小角)の高弟である日雄角乗(ひゅうかくじょう)を初代とする「日雄寺」が始まりとされる、大海人皇子(後の天武天皇)が修行した吉野離宮日雄殿が前身という古刹で吉野山で最古の寺院ですが室町期には消滅したと伝えられます。 鎌倉幕府の倒幕を目指した元弘三年(1333年)の元弘の乱で吉野城に籠城した大塔宮護良親王の身代わりとなって死んだ、村上義光・村上義隆親子の...
Read more御朱印をいただきました 五智如来尊(300) 大日如来 阿閦如来 宝生如来 無量寿如来 不空成就如来 (5枚セット1500) 五智如来尊(イラスト入り)(800) 駐車場:なし 拝観料:400 道から外れ、細い階段を下りて行った先にあります。御朱印は本堂入口でいただきました。11月の火渡りのときは多くの参拝者がいますが、このときは私一人。五智如来像や十二天尊が描かれた屏風をゆっくり拝観させていただきました。如来さまのお顔はとても柔和に感じられました。 追記 吉野山寺宝めぐりでお参りしてきました。「五智如来尊」の御朱印と散華(100)をいただきました。 追記 令和3年1月下旬にお参りに行ってきました。奉られている如来さまそれぞれの書置き御朱印が5枚1セットになったものをいただきました。 追記 令和3年10月初旬、久しぶりに吉野山寺宝巡りに行ってきました。如来さまのイラスト入りの御朱印が掲示されていたので、...
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