「志演尊空(しのぶそんくう)神社」と読む。つい最近まで、何となくうらぶれた寂しい境内の神社で、小道を隔てて北東隣に妙久寺(日蓮さん)とその墓地があるのも手伝って、朝のラジオ体操の境内の印象しかない目立たない神社でしたが、近年宮司殿が一念発起して神社改革に取り組んでいるようで、(大島稲荷さんでお会いしたことのあるような)巫女さんが、浦安などの舞を舞ったり、拝殿の開放時間を長くしたりするなど、活気が戻ってきました。鉄道駅からはいずれも距離があり、最も近いところで地下鉄新宿線の西大島駅で、そこからは徒歩で20分は見ておいた方が良いでしょう。スグに西に線路はあることはあるのですが、これは総武本線の越中島支線と呼ばれていた線路で、厳密に申しますと、海のほうにある越中島駅の構内に含まれているところです。 北の亀戸駅で総武線に寄り添い、新小岩駅で線路は繋がっていくのですが、貨物専用の道なので、役に立ちません。神社境内前には清洲橋通りがこの線路をアンダーパスする谷道がありまして、クルマで見える方は、北方のSCアリオ側から側道を廻り込む以外に行く方法はありません。以前はこのSCのある辺りは、小名木川(やなぎがわ)貨物駅という広大な貨物ヤードがあり、神社前の清洲橋通りも踏切でここを越えていたのですが、ずいぶんと広漠とした門前になってしまいました。 授与品はいまのところ、昔から在庫していたお守りと、神宮大麻と志演尊空さんの自社大麻を揃えるのが精いっぱいみたいで、追加のお守りやお札などの授与品は希薄なようですが、そもそもがおこんこんさまなので、歴史が近世に遡って古いため、以前から病魔退散・天下泰平・五穀成就に効験がある「ごまの稲荷」と親称されています。 この、ごまの稲荷の"ごま"は、"護摩"のことを言い、神道に於ける護摩は國學院の展示に見られるような吉田神道の系譜が良く研究されていて、密教のそれとは異なり、姫路の広峯神社や逗子葉山の森戸神社などで勤められている斎事とも違い、密教で言うところの柴燈護摩そのもので、18世紀前半にこのあたりで流行り病が蔓延した時、別当僧だった快円法印(台密)がこのお宮の境内で修したことからそう呼ばれるようになったと言います。旧暦の5月22日がこの斎礼と言われ、これらは志演尊空さんでは完全に復活していませんが、「民の志を演ぶる」と社叢に、戦後しばらくまでは「降魔(ごうま)稲荷」と呼んでいた古老もいらっしゃったそうですから、ぜひここは、崇敬の端緒復活で、ご神事を弥栄へ導い...
Read more社号は「しのぶそんくう」と読みます。 本殿の裏手に5基の庚申塔が祀られています。 正面に六臂合掌青面金剛。上方に瑞雲つき日月。右上手に剣(?)、左上手に法輪、両下手に弓矢。足下に邪鬼、下方に三猿(言わざる、聞かざる、見ざる) 右側面に「延宝八年庚申八月十六日」(1680年)
右手奥。六臂合掌青面金剛。上方に瑞雲つき日月。右上手に戟、左上手に法輪、両下手に弓矢。足元左右に二鶏。足下に邪鬼。下方に三猿(言わざる、聞かざる、見ざる) 「□供養諸願成就」「元禄六癸酉天十一月廿一日」(1693年)
奥から2番目は、三猿文字塔。「青面金剛南無阿弥陀佛」「延宝三年八月四日」「乙卯」(1675年) 下方に三猿(言わざる、聞かざる、見ざる) この庚申塔は、「砂村新田六地蔵」の庚申塔と全く同じ日に建立されています。碑の形状、文字の配置、三猿の姿などよく似ていますので、おそらく同じ石工の手によるものでしょう。それにしても、この日は何か特別な日だったのでしょうか。
奥から3番目は文字塔。「青面金剛」「延宝八年」「庚申四月一日」(1680年) 下方に蓮華。正面の庚申塔と同じ庚申年の建立です。
最も手前に三猿文字塔。言わざる、聞かざる、見ざる。「寛文元乙丑年」「十月吉日」(1661年)
こちらに祀られている5基の庚申塔のうち4基に三猿が刻まれていますが、その並び順...
Read more良い雰囲気の神社です。 「江戸東京の農業 野菜の促成栽培は発祥の地・砂村」の説明板があり、下のように書かれてました。
野菜の促成栽培は 寛文年間(1661~73)の頃, 中田新田の農民, 松本久四郎が考案した と言われています。 初物を食べる というぜいたくが広がり過ぎると, 農家は米麦など基本食糧の生産よりも, 高く売れる 初物づくりに力を入れるようになり, また, 庶民のぜいたくは, 身分制度をゆるがすことになるとして, 江戸幕府はたびたび, 出荷日を統制する法令, 促成栽培禁止の町触れを 何回も出して, 取り締まりました。 この促成栽培の方法は, ゴミを堆積すると発酵熱が出るのを利用し, 江戸市中から出るゴミ(江戸ゴミ)を堆積, この熱を利用して 早く野菜の種をまくことで, 収穫が早くできるようになりました。明治維新以後には一層盛んになり, 昭和に入って産地の中心が江戸川方面に移るまで続きました。 江戸ごみという都市廃棄物を農業生産に活用した, 見事なリサイクルが 昭和30年代まで展開されてきた事実にも...
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