チェンマイ旧市街の南側の城壁の外にある寺院です。スリヤウォン小路を南下して行くと、その途中にあります。 スリヤウォン小路沿いには、幾つかの寺院があり、また廃寺の遺構もかなり見られます。かつては何軒もの寺院が立ち並ぶ通りであったことが知られます。 ワット・ヤーンクワンの建立年については、確かなことが分かっていません。 寺伝によると、ラーンナー王朝の創始者であるマンラーイ大王がウィエン・クムカーム都にいた時期に、大王は、新たな王都を建設しようと考えて、従者たちを連れて相応しい土地の調査に出かけたと言います。その時に、大王たちはこの場所で野営して、一夜を過ごすことになりました。そこで護衛の兵士たちと指揮官は、敵や野獣の襲撃から大王を守るために、この野営地の周囲に「防御線」をつくりました。恐らく、木や竹で作った俄か仕立てのフェンスのようなものではないかと想像します。 この「防御線」のことを、タイ北部の言葉で「ナーン・ルワ(น่างรั้ว)」と言うそうです。このため、この場所は「ナーンルワ」と呼ばれるようになりました。 その後、いつの時代かは分かりませんが、人びとがこのナーンルワにお寺を建立しました。これは、ナーンルワに建てられた寺院なので、「ワット・ナーンルワ(วัดน่างรั้ว )」と呼ばれました。これが、現在のワット・ヤーンクワンの母体となる寺院に当たります。 16世紀の初めに書かれた巡礼詩の書『ニラート・ハリプンチャイ』には、「ワット・ナーンルワ」のことが言及されていますので、少なくともこの寺院は、15世紀には建立されていたことが知られます。 その後のことは不詳ですが、ミャンマーの王朝国家によるチェンマイ属国支配の時代に、この寺院は荒廃してしまったようです。 復興ラーンナー王朝の初代カーウィラ大王の時代に、チェンマイ都の南側の城壁の外には、ミャンマー・シャン州のチェントンや、中国・雲南省のチェンルンから王命で強制移住させられた多くのタイ族系諸族の人びとが住まっていました。 この寺院の辺りには、チェントンのヤーンクワン村から来たタイ・クーン族の人びとが住んでいました。タイ・クーン族の人びとは、廃寺になったワット・ナーンルワを再興しました。自分たちのコミュニティ寺院を持とうとして、廃寺を復興したのだと思います。再興された寺院は、「ワット・ヤーンクワン(วัดยางกวง)」と改名されました。出身地である村にワット・ヤークワンという寺院があったので、彼らの故郷を偲んで、改名したと言います。現在の寺名はこのことに由来します。 その後、第二次世界大戦の時代に、再び荒廃したと言います。 寺院境内の仏塔は、朽ちた状態のまま長くとり残されていました。このため、2006年に、前国王のラーマ9世(プミポンアドゥンヤデート国王)陛下の在位60周年を言祝ぐ記念事業として、この寺院の当時の住職とワット・ドーイステープの住職らが協力して、仏塔の再建が行われました。現在みられる立派な白亜の美しい仏塔は、この時に再建されたものです。 この寺院にはプラチャオ・セーンセー(พระเจ้าแสนแซ่またはพระเจ้าแสนแส้...
Read moreวัดยางกวง แต่เดิมชื่อ วัดหน่างรั้ว เหตุของชื่อมีที่มาจากคราวที่ พญามังราย ปฐมกษัตริย์ผู้สถาปนานพบุรีศรีนครพิงค์เชียงใหม่ ได้มาประทับพัก เพื่อหาชัยภูมิในการสร้างบ้านแปงเมืองใหม่ จึงมีการทำเขตพระราชฐานสำหรับกั้นเขตมิให้ สัตว์ หรือบุคคลอื่นเข้ามาได้ โดยการใช้หน่าง ( ลักษณะเป็นดังที่จับสัตว์ แต่มีความแข็งแรง กล่าวว่า แม้ช้างก็ไม่อาจผ่านได้ ) ล้อมรอบเขตเป็นรั้วกั้น จึงเป็นที่มาของนามว่า วัดหน่างรั้ว ปัจจุบันวัดมีอายุ ๗๒๖ ปี เท่าเมืองเชียงใหม่ นอกจากจะถือได้ว่าเป็นวัดยุครัชกาลแล้ว ยังมีตำนานการตั้งรากฐานของพระพุทธศาสนาที่วัดนี้อีกด้วย เล่าว่า องค์พญามังรายอธิษฐานปลูกพระศรีมหาโพธิ์ที่ได้จาก ลังกาทวีป ณ อารามหน่างรั้วแห่งนี้เพื่อสืบบวรพระพุทธศาสนา ต่อมาเมื่อกาลเวลาผ่านไป พม่าเข้ายึดครอง จนเมื่อ ๒๐๐กว่าปีก่อนพระเจ้ากรุงธนบุรี (ตากสิน)ร่วมกับ พระเจ้ากาวิละ พยาจ่าบ้าน ขับไล่ให้พ้นเมืองเชียงใหม่ จึงได้นำผู้คนจากเขียงตุง ไทลื้อ ไทเขิน มาอยู่ในตำบลหายยา (ช่วงเก็บผักใส่ส้าเก็บข้าใส่เมือง) เมื่อชาวเมืองเชียงตุงมาอยู่ก็ระลึกถึงบ้าน จึงเปลี่ยนนามวัดหน่างรั้ว เป็น วัดยางกวง...
Read moreGlad to meet you, no people, quiet and very comfortable after the rain. I recommend it to everyone. Night temples are illuminated in some places.Come, the temple is open even in the evening, you can leisurely explore the territory and watch the young monks, because they are busy...
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