This is not the silver temple, some people are talking about. Nevertheless here they have also has a metallic temple. It has beautiful artwork. This temple is mentioned since 1432, so it is an very old monastery. The monastery was renovated in 1799, and in this time they brought people from the West Bank of the Salwin river, the population of the Ban Ngual Lai community. This were skilled silversmiths and they formed the community of Ban Ngual Lai Muen San, with the monastery as it's centre. The monastery has a silver museum. The main temple was closed, I assume because of the many birds. Behind the main temple is a pagoda. It looks ancient, but information tells it is about...
Read more作为一个关注历史正义的人,我对清迈Wat Muen San寺庙竟悬挂日本国旗、设立日军纪念碑并展出其侵略装备的行为深感愤怒。这里曾在日军进攻印度英帕尔的过程中被用作临时军医院,是战争侵略的前哨站之一。日军不仅残害了东南亚无数人民,还深深伤害了泰国自身。泰国在二战中名义上与日本结盟,但实际上是被胁迫、操控,泰国铁路、大量资源和劳工被用于帮助日本侵略缅甸和印度,导致泰国百姓陷入苦难,铁路沿线村庄破败荒废,死伤惨重。
每年8月15日在这里为日军举行追悼会,无异于在受害者的伤口上撒盐!日本是战犯国家,不应在泰国土地上获得这类荣耀。我郑重给出一星,强烈谴责这一对历史的亵渎与对正义的漠视!
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This place is shameful. Wat Muen San in Chiang Mai flies the Japanese flag, displays Imperial Japanese Army equipment, and even holds a memorial for Japanese soldiers every August 15 — the day of Japan’s surrender in WWII.
This temple was used as a Japanese military hospital during the invasion of Imphal via Burma. Thailand suffered under this so-called alliance — forced to support Japanese war logistics, its railways and laborers exploited for the infamous Death Railway. Entire Thai villages were destroyed, families torn apart.
Honoring the aggressors on Thai soil is an insult to Thai citizens and to victims across Southeast Asia. I give one star to condemn this disgraceful glorification of war criminals and invaders.
⸻ タイ・チェンマイのワット・ムアン・サン寺院が日本の国旗を掲げ、日本軍の装備を展示し、戦没者を毎年8月15日に追悼していることに、深い憤りを感じます。この場所は第二次大戦中、日本軍がインパール作戦のために病院として使用した拠点でした。
タイは戦時中、日本と「同盟」を結ばされましたが、実質的には占領・操縦され、鉄道・物資・労働力が強制的に提供されました。特に「泰緬鉄道」建設では、多くのタイ人が飢えと病に倒れました。
この地で加害者を称えることは、タイ国民を含む被害者に対する侮辱です。私は断固としてこの歴史歪曲を非難し、一つ星の評価をつけます。
태국 치앙마이의 왓 문산 사원이 일본 국기를 게양하고, 제국주의 일본군의 장비를 전시하며, 매년 8월 15일에 추도식을 개최하는 것은 매우 충격적이며 분노를 자아냅니다. 이곳은 과거 일본군이 임팔 침공을 위해 사용했던 군 병원 중 하나였습니다.
태국은 당시 일본의 강압적 협박 아래 ‘동맹국’으로 이용당했으며, 국가의 철도와 자원이 침략 전쟁에 동원되었고 수많은 태국 국민이 강제 노동으로 희생되었습니다. 특히 ‘죽음의 철도’ 건설로 많은 태국인들이 비참한 고통을 겪었습니다.
가해자를 찬양하는 이 행위는 태국을 비롯한 동남아 모든 피해국에 대한 모욕입니다. 별 하나의 평점을 주며, 이러한 역사 왜곡과 전범...
Read moreチェンマイ旧市街の南側の城壁の外にある名刹です。ウワラーイ沿いにある寺院で、有名なワット・シースパンの近くにあります。 境内には、日本人戦没者の慰霊碑があることで知られています。太平洋戦争の時期に、この寺院は日本軍の駐屯地にされていました。傷病兵を治療する病院もあったと言います。こうしたことから、ここに慰霊碑が建立されています。現在は、チェンマイ日本人会の方々がお世話をしてくださり、法要などもおこなってくださっていると言います。ここを訪れることがありましたら、是非とも慰霊碑に掌を合わせていただければと思います。 この寺院の創建年はよく分かっていませんが、ラーンナー王朝の第7代サームファンケーン王の治世期(1402-1441)にはすでに存在していたようですので、かなり古い寺院であると言えます。600年以上の歴史があります。 寺名の「ムーン・サーン」のうち、「ムーン(1万人の長)」は貴族の位を意味します。「サーン(สาร)」は「文書」を意味します。「ムーン・サーン」は、王室文書を取り扱う大臣級の役職を指します。このことから、この寺院は、このような要職にあった貴族が建立したのではないかと推定されます。この辺りに、王家の文書を扱う役所があったことも考えられます。 第9代ティローカラート大王の時代に、現在はワット・チェンマンに安置されているプラ・シラーという石板仏像が、このワット・ムーンサーンに安置されていました。ティローカラート大王がここに本堂(ウィハーン)を建てた時に、当時ワット・パーデーンにあったプラ・シラーを、ワット・ムーンサーンに移し、その後、長らくここに安置されることになりました(この寺院の住職がワット・スワンドークの住職になった際に短期間持ち出されたようですが、その後で戻されました)。 第11代のムアンケーオ王の時代(1495-1525)には、他国からチェンマイ国王宛てに届いた手紙の翻訳所として、この寺院が使われていたと言います。この寺院には、外国の文字や言語に精通した人が多くいたのでしょう。 『チェンマイ王朝年代記』によると、1522年にはアユタヤ国王からの親書をここで読んだたそうです。同じタイ族の王朝国家であっても、アユタヤ王国とラーンナー王国とでは、使っている文字が異なり、タイ語そのものにも違いがありました。ですから、アユタヤ国王からの手紙をラーンナーの国王が内容を知るには、ラーンナー文字と北部タイ語に置き換える(翻訳する)必要があったのだと思います。 ところで、かつてこの界隈は、金属細工の職人たちが集住する場所でした。復興ラーンナー王朝の初代カーウィラ王は、遠征した各地から住民をチェンマイに強制移住させるのですが、その中でも金属細工の技術を持った人たちは、シースパン村とムーンサーン村に住まわせられました。現在でも、ウワラーイ通り沿いなどに銀器やアクセサリーを製作・販売するお店が多くあります。 この寺院には、この地域に暮らす職人たちが制作した作品が多くあります。ホー・シンスッタチット―という名のお堂がありますが、ここには見事な浮彫があります。特に注目すべきは、この地域に移住してきた職人たちのふるさとのことや、ここに来てからの暮らしぶりを描いた浮彫です。ウワラーイやムーンサーンの人びとの心の原風景です。 また、この寺院には、ラーンナー最高の聖者として深く崇拝されているクルーバー・シーウィチャイ師の墓塔があります。シーウィチャイ師の遺骨は分骨されて各地の寺院に祀られているのですが、そのうちの1つがここに埋葬されていると言います。あるいは、ワット・スワンドークに分配された遺骨の仮安置所がここにあって、それがこの墓塔になったとも言います。墓塔(クー)は仏塔(チェ...
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