甘樫丘の東、石神遺跡から明治35~36年にかけて発掘された、噴水機能を持つ須弥山や石人像が展示してある。日本書紀斉明天皇6年(660)5月条に「石上池の辺りに須弥山を作る。高さ廟塔の如し。以て粛慎47人に饗たまふ」とあって、これが発掘されたものと一致する。そのほかにも斉明天皇3年(657)7月15日にも飛鳥寺の西に須弥山を作成し、都貨暹人(当時タイにあったドヴァーラヴァティとか)を饗応したとあり、饗宴と異民族の服属儀礼の場における高次な文明の誇示として機能したよう。もともとは推古天皇20年(611)に「小墾田宮にて百済人路子工、須弥山と呉橋を南庭に懸ける」とあって、どうやら南朝起源らしい。しかし、その噴水機能のある石造工作物を高次の文明の誇示として使用する発想は、当時の大帝国だった唐ならではのものであろうし、実際、唐に派遣された倭の使節が唐朝廷を訪問した時にこれを見ては驚胆したであろうから日本でも作成されたのであろう。しかし、そんな噴水機能を持つ石造工作物が実際に唐大明宮はじめ中国の庭にあったとは管見だろうが見当たらず、現今の中国庭園にもそうしたものはない。石人像に至ってはその容貌から西域由来であろう。そもそも噴水自体が当時のペルシア周辺の乾燥地域の発明であろうから、別段中国のオリジナルということでもないが、日本庭園の原初のかたちは今のいわゆる日本庭園とはかなり違っていたようにも思え、そしてこの資料館に展示されている亀石、猿石、酒船石、亀形石造物のレプリカなどを見ると、謎はさらに深まるばかりなのである。石造物のオリジナルは館内にある。そのほか高松塚古墳内部の壁画関連や飛鳥の古寺関連の遺物などが展示してあり、そちらも興味深い。
と思ったら、唐華清宮にあったよう。『咸寧県志』によると華清宮には「中央有玉蓮捧湯泉、噴以成池」とあるそうで、これが偶然撮っていた復刻品に当たるよう。『明皇雑録』『賈氏雑録』には安禄山(ほら来た)献上の「蓮花石」なるものがあったよう。「中有双白蓮、泉眼自壅口中湧出、噴注白蓮之上」だそうな。これでは結構ありきたりでがっかり。...
Read more飛鳥資料館は、日本人の心のふるさと「飛鳥」の歴史と文化を紹介する資料館です。飛鳥の文化財を調査・研究する奈良文化財研究所の展示施設で、昭和50(1975)年に開設されました。 飛鳥は古代国家誕生の地として広く知られています。592年に推古天皇が豊浦宮に即位してから、694年に藤原京に遷都するまでの約100年間、飛鳥に天皇の宮殿が継続的に営まれ、政治文化の中心地として栄えました。壮麗な宮殿や異国情緒豊かな寺院、時を告げる水時計(漏刻)、猿石や亀石などの不思議な石造物、石組みの苑池と噴水施設、壁画古墳など...これらは東アジアの緊迫した国際情勢下で、人々や文物の交流によって飛鳥にもたらされました。飛鳥を訪れると、なぜか懐かしい記憶がよみがえるのは、1400年近く前に、納税などで初めて飛鳥を訪れた祖先たちの驚きや感動が、私たちのDNAに深く刻み込まれているからかもしれません。飛鳥の田園風景の地下には、「日本書紀」に記された世界が、時を止めたまま埋もれています。発掘された遺構や遺物は、埋もれていた時の長さを訴えるかのように、雄弁に歴史を語り始めます。「日本書紀」などの文献に書かれた歴史と、発掘された歴史のせめぎあいを通して、ほんと...
Read more久々に訪ねました。ここはそれほど大きな資料館ではありませんが、場所が場所だけに展示されているのものは日本史の教科書や資料集でお馴染みのものばかりです。歴史マニアにとってはまさに「聖地」と言っても過言ではないと思います。 庭園には飛鳥に点在する多くの石造物の実物大のレプリカが展示されています。中には石人像や須弥山石や亀型石造物のようにかつてはこのように使われていたのではないかと想像して水が流れています。 館内には石人像や須弥山石の実物の他にも飛鳥寺の塔の埋蔵物やキトラ古墳の壁画、更には山田寺の東回廊部分が展示されています。これは法隆寺よりも更に古い飛鳥時代の日本最古の寺院の部材になります。他にも見どころは沢山あります。 しかし久々に訪ねて少し気になったのは、以前はミュージアムショップで石造物のミニチュアが販売されていたのですが、それがありませんでした。スタッフの人に尋ねると、事業縮小のためとのことでした。事業仕分けで予算が大幅に削られたのでしょうか?できれば復活を希望します。 最後になりましたが、こちらのパンフレットと入場...
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