足は再開しています ーーー 寺にある足湯 手ぬぐいが用意されています。こんな足湯があるでしょうか。と感動してしまいます。いつも感謝の気持ちで使わせていただきます。 地元民にも愛されている足湯です。 5−6人一度に入れます。
ここは、熱海で唯一の「酸性」足湯なんですよ。 熱海のお湯はアルカリ温泉ですが、ここだけなぜ?の酸性ですから、なんか温泉ぽいにおいが。 この足湯も絶景です。そして四季によってお庭を楽しめますよ。 お湯の温度が安定しないのは、掛け流しだからこそ。なんですが、お寺の方が時々みまわりきてくれますので、その際は温度リクエストされてくださいね。
車は安全に足湯の前に停められます。2台くらい。 バス停は熱海から伊豆山神社、七尾行きに乗ってください。 「般若院前」下車。10分以内で到着します。 バス降りても、「え?!足湯一体どこにあるの?」となるので、そこから上を見上げてください。小さい屋根が見えるところです。 駅から歩いても20分くらいです。山を登ったり下りたりの坂道なので、体力自信がある方のみ。でも、そのあとこの足湯で休憩すれば元気が復活するでしょう。ここから伊豆山神社までは5分ほどです。
雨の日は「休湯」となることがあります。1...
Read more走湯山般若院(そうとうさんはんにゃいん)といい高野山真言宗のお寺で御本尊は阿弥陀如来になります。 真言宗の古刹になりその始まりは僧の賢安が観音堂を創建した承和三年(836年)と伝えられ、真言宗伊豆派(当時)の本山として関東一円に大きな勢力を誇っていました。 鎌倉時代は密厳院と呼ばれ源頼朝公はこの場所で平家討伐の願をかけ、別当職を務めていた覚淵に師事し一時は妻の政子と暮らしていたともいわれています。 天正十八年(1590年)に豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻めた際に、走湯権現(伊豆山神社)は北条側に加わったため加藤清正によって焼き打ちされています。 その後徳川家康が高野山から快運という僧を招いて別当職に任命し「走湯山般若院」の名称を与えて復興これにより江戸時代には十二の僧坊と七つの修験坊を有するほどの繁栄をみせました。 走湯権現の境内にあった般若院ですが、明治元年(1868年)の神仏分離令により現在の場所に分離移築されました。 境内にある大師堂には弘法大師が自ら刻んだとされる等身大の弘法大師僧が安置されている、また本堂に安置されている「走湯権現立像:重要文化財に指定」は鎌倉時代の作とされ、立烏帽子をかぶって袈裟を着た姿で神仏習合のさまを表す珍し...
Read more伊豆山神社のついでに訪問。ついでとはいえ明治の神仏分離までは伊豆山の別当寺で今もかつて神社に祀られた伊豆山権現立像を蔵する由緒ある寺院。もともと伊豆山は仏教色の強い神社で箱根権現と並び二所権現と称し般若院ももとは神社境内にあったが明治以降移転されたとのこと。 それはともかく寺と神社の間に大土砂崩れがあり大変なことになっている。砂防河川上流に違法な盛土をしてるのを市も県も黙認してた時点でアウトだが、盛土した業者が自民党と連帯してる保守系同和団体自由同和会の関連企業だったので追求...
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