『延喜式』に載っているという割には、ひっそりした感じである。帰ってから同書を当たってみたところ、たしかに意富比神社(船橋大神宮である)とともに、下総国葛飾郡の項に載っていた(松戸や流山にも比定される神社はあるようだが)。読みは「モロ」ではなく、「モロノ」神社とふりがな付きであった。
脇参道には「仙元宮」(=浅間神社)があり、昔は富士山もよく見え、山岳信仰があったことがわかる。
社伝は、拝殿の軒下に、かなり雨風にさらされて、文字が薄くなったものが掲示されている。慣れない人が一生懸命書いたであろう、ゴタゴタした文であるが、写真に撮って判読してみたので、原文ママにて全文引用しておきます。
「茂侶神社縁起 当茂侶神社の起原は古く延喜式(数文字判読不能だが、文脈からして「神名(帳)に」だろう) 下総国葛飾郡二座 茂侶神社 意富比神社 とあり今を去る千六十年前すでにこの地に鎮座されて居たのであります 愛媛県越智郡瀬戸内海大三島祭神は阿多の豪族大山祗神の姫御子で日本の女性の表徴である木花開耶姫を祀り古来縁結び安産子育ての神として地元民の崇敬する処でありました摂社として祭神の姉命磐長姫を祀り小御岳神社と申して居ります 三代実録に清和天皇の貞観十三年十一月十一日下総国従五位下茂侶神に従五位上を授くとありまた陽成天皇の元慶三年九月二十五日下総国正五位下茂侶神正五位上を授くとあります 江戸名所図絵によれば年の始隔年この神域より柳営に根引の若松を撰び上納する(「を」?)例とすとあります (「古来」のような字が見えるが、消え...
Read more茂侶神社(もろじんじゃ)。千葉県船橋市東船橋。
式内社(小)論社、旧村社。
主祭神:木花咲耶姫命
資料によると、 創祀年代は不詳。
通称、茂侶浅間神社と呼ばれる神社で、式内社・茂呂神社の論社の一つ。 ただし、論証を欠いており、可能性は薄いようだが。
社殿には、棕櫚葉の神紋が付けられていた。静岡の浅間神社の神紋だ。
社殿の後方に、裏参道があり、境内の北側から外に出られるが、そこに、小祠だが、構えの立派な境内社がある。祭神・木花咲耶姫命の姉神・磐長姫命を祀る、御嶽神社だろう。
当社縁起に、茂侶神社の起源は古く、延喜式神明帳に「下総国葛飾郡二座茂侶神社・意富比神社」とあり、今を去る千六十年前すでにこの地に鎮座されていたのであります。愛媛県越智郡瀬戸内海大三島、祭神は阿多の豪族大山祇神の姫御子で日本の女性の表徴である木花開耶姫を祀り、古来、縁結び・安産子育ての神として地元民の崇敬する処でありました。 摂社として祭神の姉命磐長姫を祀り、御嶽神社と申して居ります。
神社北側の入口には「式内本宮茂侶神社仙元宮」と刻まれた石碑があります。地域の人たちはここを仙元様とか浅間神社とかと呼んで親しん...
Read more閑静な住宅地に鎮座します。茂侶神社は木花咲耶姫命が御祭神です。
茂侶浅間神社とも呼ばれる。社殿の神紋は、静岡の浅間神社と同じ神紋の棕櫚葉。細長い参道は木々が整備されています。石段はガタ付きがあるので注意して歩く事をおすすめします。人が居ないのでゆっくり拝観出来ます。参道に面した家が数軒あり、空気が綺麗な所で羨ましいと感じる反面、荷物の出し入れは、車が入って行けないので不便さも感じました。本神社は駐車場はありません。東船橋の産土神だけあり、1600年以上前には...
Read more