2021.05.09 彦根藩4代藩主の井伊 直興により 延宝5年(1677)から2年を要して 造営された彦根藩の下屋敷。 11代藩主・井伊直中の隠居に際して 大規模な増改築が行われ、全盛期を迎えるも、その後は縮小傾向になる 建物は「御書院」「地震の間」 「楽々の間」等の建物で構成され 「御書院」の奥は渓谷の風情をなし 「地震の間」「雷の間」「楽々の間」 へと連なっている。 「地震の間」は耐震構造の建物であるため、そう呼ばれていますが、本来は茶の湯に用いられた「茶座敷」だった。「楽々の間」も「地震の間」と同じように数寄屋建築で、12代藩主・直亮により増築される 「楽々園」と呼ばれるようになるのは 明治時代以降のことで、江戸時代には、「黒門外御屋敷」と呼ばれていた。 1881年~1994年にかけて民間業者が旅館を営業していたが 1947年に「玄宮園」「楽々園」を 井伊家より市が取得 旅館の廃業により建物等が市に返還。 現在は建物の老朽化があるため、内部公開はしていない。 現在、平成17年~令和6年の予定で保存修理が行われており ○第1期 平成17年度~平成22年度 玄関や御書院の解体修理、浴室・便所の解体撤去と発掘調査など ○第2期 平成23年度~29年度 地震の間、雷の間、楽々の間等の歴史的建造物および松の間、新座敷の間などの明治時代以降に建てられた建造物の屋根の葺き替え等の部分修理 ○第3期 ...
Read more・国指定特別史跡「彦根城跡」の区域に含まれ、1951年「玄宮楽々園」として国の名勝指定に🌸 ・4代藩主/井伊直興の1677年頃に井伊家の下屋敷として築造、二の丸御殿「槻御殿」の別称、11代藩主/井伊直中が1812年隠居する際に隠居所として増築、現存の「御書院」もこの時新築、12代藩主/井伊直亮が奥に名前の由来となる「楽々の間」を増築し、数寄屋建築の建造物が今も現存する✨
・御書院…中には入れませんが、外から覗くだけでも格式と趣を垣間見れます。 ・地震の間…数寄屋造りの珍しい耐震構造建築、「地震の間」があったのは江戸城と彦根城だけと認識⁉️ ・楽々の間…珍しい懸け造りの茶室、旧名「茶座敷」、庭園側から見られない北側の様子も見てみたい👀 ・井伊直弼…1815年/文化12年、隠居後の前藩主/井伊直中の1...
Read moreVenne costruito dal locale Signore Ii Naooki e faceva parte, insieme al giardino, dei possedimenti signorili. L'interno non è accessibile ma avendo tutte lenporte a scorrimento aperte, lo scorcio degli interni risulta...
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