14人の天皇含む39人の皇族の方達のお墓となっており、その人数の多さから、看板に書かれている文字の数もえらいことになっています笑拝所も他の天皇陵とは全く雰囲気が違います。また、横の塀から敷地内の墓石などを見る事ができます。 看板に書かれている順に天皇の歴史をみてみましょう。
四条天皇月輪陵(しじょうてんのうつきのわのみささぎ) 四条天皇(1231〜1242、享年12歳)は第87代天皇で、わずか2歳で即位しました。その後11歳で元服しましたが、悪戯心で仕える者を転ばせようと板敷に滑石を塗り、それに誤って自分が転んでそのままわずか12歳と言う若さで亡くなりました。
後水尾天皇月輪陵(ごみずのおてんのうつきのわのみささぎ) 後水尾天皇(1596〜1680、享年85歳)は第108代天皇、江戸幕府の将軍で言えば秀忠、家光の時代です。幕府に抵抗を続けていた天皇で、幕府の考えに反して出来るだけ早く譲位したいと考えていました(譲位したら権威が確立されるという考えがあったため)。結局、紫衣事件などをきっかけに娘の明正天皇に位を譲り、85歳まで生きました。
明正天皇月輪陵(めいしょうてんのうつきのわのみささぎ) 明正天皇(1623〜1696、享年74歳)は第109代天皇で、父で先代の後水尾天皇から位を譲られて7歳で即位しました。明正天皇は女帝で、女性天皇がうまれるのは実に860年ぶりです。とくに目立った功績もないまま21歳で譲位、その後は74歳まで京都の仙洞御所で過ごしました。
後光明天皇月輪陵(ごこうみょうてんのうつきのわのみささぎ) 後光明天皇(1633〜1654、享年22歳)は第110代天皇であり、明正天皇の退位を受けて即位しました。文武両道の天皇だったと伝わる一方、気性が荒いという一面もあったようです。天然痘を患いわずか22歳で亡くなりました。
後西天皇月輪陵(ごさいてんのうつきのわのみささぎ) 後西天皇(1637〜1685、享年49歳)は111代目の天皇で、父・後水尾天皇が後継者としていた皇子が大きくなるまでの中継ぎの役割として即位しました。中継ぎながらも政務に積極的に取り組みましたが、治世中には明暦の大火、京都での地震などの災厄が相次いだため譲位しました。
霊元天皇月輪陵(れいげんてんのうつきのわのみささぎ) 霊元天皇(1654〜1732、享年79歳)は第112代天皇で、自身の治世中には200年ぶりに大嘗祭を復活させたりするなど、朝廷の地域を向上させるよう努力しました。幕府との関係も良かったとされており、7代将軍徳川家継の名付け親にもなっています。
東山天皇月輪陵(ひがしやまてんのうつきのわのみささぎ) 東山天皇(1675〜1709、享年35歳)は第113代天皇です。父で先代の霊元天皇と同じく幕府との関係が良かったとされています。また、文化事業にも熱心で、安定した治世を築きました。
中御門天皇月輪陵(なかみかどてんのうつきのわのみささぎ) 中御門天皇(1701〜1737、享年37歳)は第114代天皇で、当時は徳川吉宗が享保の改革を進めていました。また吉宗は朝廷の儀式などに理解を示しており関係を深くしました。その時に吉宗がベトナム産の象を購入し、それを中御門天皇と霊元上皇に見せた際、象に「広南従四位白象」という称号が与えられたというエピソードがあります。
桜町天皇月輪陵(さくらまちてんのうつきのわのみささぎ) 桜町天皇(1720〜1750、享年31歳)は第115代天皇で、即位したてのころは学問よりも遊びで、夜更かしをしていた事から周りを心配させていたといわれています。ですが、先代・中御門天皇の時代に中断された大嘗祭などの祭りを復活させるなど、朝廷の権威向上に尽くしました。
桃園天皇月輪陵(ももぞのてんのうつきのわのみささぎ) 桃園天皇(1741〜1762、享年22歳)は第116代天皇で、近習の勧めで激烈な尊王論を学び、宮中が動揺しました。尊王論を学ばせた者はその後朝廷から排除されました(宝暦事件)。その後、とくにこれと言った功績もなく22歳で亡くなりました。
後桜町天皇月輪陵(ごさくらまちてんのうつきのわのみささぎ) 後桜町天皇(1740〜1813、享年74歳)は第117代天皇で、現在(令和4年)までで最後の女性天皇です。慈悲深い性格で、天明の飢饉では被災者に林檎を配ったりしました。また、歌道の名人でもありました。
後桃園天皇月輪陵(ごももぞのてんのうつきのわのみささぎ) 後桃園天皇(1758〜1779、享年22歳)は第118代で、後桜町天皇の譲位を受けて即位しました。このころは幕府は財政難で、田沼意次が実権を握っていました。幕府の財政難の影響は朝廷にも及び、お金のかかる行事は減少し、そんな中後桃園天皇は皇子を持たないまま崩御しました。そのため、113代東山天皇まで遡り、その息子で天皇になれなかった直仁親王の子孫に皇位が移されました。
光格天皇後月輪陵(こうかくてんのうのちのつきのわのみささぎ) 光格天皇(1771〜1840、享年70歳)は第119代天皇で、先程の後桃園天皇の時に説明した通り、直仁親王の家系で天皇になる教育を受けていなかったため、理想的な君主像を自力で探りました。
仁孝天皇後月輪陵(にんのうてんのうのちのつきのわのみささぎ) 仁孝天皇(1800〜1846、享年47歳)は、明治天皇の祖父にあたります。学問をよく好み、和歌や日本書紀などについての勉強会を開いたりしました。治世中は外国船が沖で相次いで確認されるようになり、海防という課題が出てきた時代でもありました。
天皇はこの14人です。看板を見ると、その左には「陽光太上天皇」とあります。陽光太上天皇(1552〜1586)は、正親町天皇の嫡男で天皇になる筈でしたが皇位に就く前に早世し、自身の息子である和仁親王が後陽成天皇となると、天皇の父親として太上天皇の称号を貰いました。
この他にも皇后や皇子などの墓、灰塚などにもなっています。
最後まで読んで頂き...
Read more第87代 四條天皇(生没 1231年~1242年 12歳 在位 11年間)を筆頭に 第108代 後水尾天皇(生没 1596年~1680年 85歳 在位 19年間)、第109代 明正天皇(生没 1623年~1696年 74歳 在位 15年間)、第110代 後光明天皇(生没 1633年~1654年 22歳 在位 12年間)、第111代 後西天皇(生没 1637年~1685年 49歳 在位 10年間)、第112代 靈元天皇(生没 1654年~1732年 79歳 在位 25年間)、第113代 東山天皇(生没 1675年~1709年 35歳 在位 23年間)、第114代 中御門天皇(生没 1701年~1737年 37歳 在位 27年間)、第115代 櫻町天皇(生没 1720年~1750年 31歳 在位 13年間)、第116代 桃園天皇(生没 1741年~1762年 22歳 在位 16年間)、第117代 後櫻町天皇(生没 1740年~1813年 74歳 在位 9年間)、第118代 後桃園天皇(生没 1758年~1779年 22歳...
Read moreNot typical mausoleum of Emperors of Japan and one thing to many emperors are buried there. Must see if someone are...
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