【丈六さん】【身代わり釈迦】 後水尾天皇(江戸時代)が即位争いに巻き込まれ暗殺者に首を襲われた際、こちらの釈迦如来さまが天皇の身代わりになられたという逸話があります。
鎌倉時代中期に創建の真言宗泉涌寺派の寺院~泉涌寺の塔頭 寺格~準別格本山 【御本尊】釈迦如来立像~身の丈5.4m 鎌倉時代の仏師運慶・湛慶親子の合作 国の重要文化財
門前の案内板に誘われるように御門をくぐり、御本堂へ昇殿、御本尊さまを拝顔させていただきました。 無料での拝観です。
鎌倉時代に手掛けられた木造寄木造りの釈迦立像として、ここまでの大きさのものは他に類を見ないとのこと。本当に美しく立派なお姿でした。 またお大黒さまのご説明では、仏さまの首から下半身にかけての染み出たような変色は、前述のとおり後水尾天皇(江戸時代)が即位争いに巻き込まれ暗殺者に首を襲われた際、こちらの釈迦如来さまが天皇の身代わりとなられた際の血の跡と仰せでした。 この事から身代わりの御釈迦さまと呼ばれるようになり『悪しき事のお身代わりになってくださる』また『首から上の病気、のどの病気を治してくださる』と崇められ、大きな仏さまという意味で【丈六さん】と呼ばれ親しまれているそうです。
春秋期間限定内陣特別拝観(有料)について~御本尊の台座や足裏、脇仏の不動明王・開山浄業坐像を間近に拝観させていただける機会も。
また、戒光寺は泉山七福神巡りの一つである弁財天さまも境内に祀られています。
こちらの御寺では御檀家さまでなくとも列席可能な法要や法話会、御写経の機会も折々に設けられており、アットホームな居心地にて仏さまにお詣り出来ます。いつも温かに和やかに迎えいれてくださいます。とても素敵な御寺です。 是非ご参詣いただき、こちらの御寺の親しみやすい空気感と素晴らしい仏さまのお姿を味わっ...
Read more約800年前、安貞2年(1228)曇照律師が創建、最初は猪熊八条辺りに建てられたが、皆さんご存知の応仁の乱の大火、辛うじて残った仏像を堀川一条辺りに移動したという(良く焼けずに持ち出したと感心する)。 その後、秀吉の時代には河原町三条、その後、後水尾天皇の発願で泉涌寺の塔頭と移動を重ねている。
本堂へは靴を脱ぎ、自分で戸を開け閉めしてお参りした。大きな釈迦如来像は鎌倉時代の運慶、湛慶親子の合作、見上げると目線が合う。 爪迄長く、頭は螺髪(らほつ)と言われるパンチパーマだ。 あっ、アゴの下に… 血の跡だと言う。これが身代り丈六釈迦如来と呼ばれる所以なのだ!
後水尾天皇が皇太子の時に次の皇位を巡っての争い事での事件に会う。 その時、身代りになり、傷を引き受けたのがこのお釈迦様「身代りのお釈迦様」なのじゃ👍
丈六はお釈迦様の身長、4,8m。当然お釈迦様の身長は世界一の大きさだ。 現在は首から上の病気等の身代りになってくれると厚い信仰を得ています。
山門に写真が有る。拝観料無料?お釈迦様も大きいが、ナント太っ腹だこと。シルバー色の賽銭を投げ入...
Read more20年10月21日に訪れました。 「京都非公開文化財特別公開」に合わせて行きました。
今回高さ約10メートルの丈六釈迦如来像(重文)の足元から特別に拝観できました。 着ている衣の水色に紺色が混ざったような色や、衣の花の模様、長く伸びた爪、首元の赤い血のような汚れなど間近で見ることができました。
丈六釈迦如来像が大きいため、像を安置してから、本堂を覆うように建てたそうです。
また、首元の血のような汚れは、御水尾天皇が即位争いに巻き込まれ暗殺者に寝首をかかれた時に、釈迦如来が身代わりになってついたといわれています。
そのほか鎌倉期の曇照忍律上人坐像(重文)、不動明王像を特別に近くで拝観することができました。 不動明王像は左足裏を見ることが出来る、とても珍しい像だそうです。
泉山融通弁財天は金銭の融通をして下さる弁財天で、学芸・商売はもちろん「融通をきかせてあらゆるお願いを聞いて下さる」と人々...
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