松戸に引っ越してきてから何度もお参りしてますが、夜ははじめてでした。 夜も所々ライトアップしており、本殿の裏側にある末社は近づくとライトが付くようになってます。境内には多くの末社がある。 一ノ鳥居、二ノ鳥居をの先に赤い橋があり、坂川にかかっています。坂川の川沿いには桜が多く春の頃は桜見物で賑わってます。
松戸神社は寛永3年(1626)年の創建とされ、神仏習合思想の影響で、かつては御嶽大権現(御嶽社とも)と称しました。明治の神仏分離を経て「松戸神社」へ改称。 「御嶽社(みたけしゃ)」は、神仏習合の時代に蔵王権現を祀った神社に多く、当社も蔵王権現へ対する信仰があったものと見られる。
松戸神社の御祭神は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。 松戸の地名由来も日本武尊に結び付けられる事となり、日本武尊が東征で武蔵国へ向かわれる際、当地に陣営を設けて従将達と待ち合わせたため、「待つ郷」(まつさと)=「待土」(まつど)と呼ばれ、「松戸」と呼ばれるようになったとしている。(諸説あり)
水戸街道・松戸宿の鎮守であったため、水戸徳川家より篤い崇敬を集めたと伝わる。 中でも徳川光圀(水戸黄門)の伝承が残っている。 徳川光圀が当地に鷹狩に訪れる。 当社の御神木である大銀杏に止まった白鳥へ鷹を放とうとしたが、鷹は微動だにしない。 憤慨した光圀が矢を放とうとするが弓手が動かなくなり、弓が中央から折れてしまった。 愕然とした光圀は、折れた弓矢を奉納し、神前に鎮謝したと云う。 拝殿左にある大銀杏が水戸光圀の白鳥伝承に登場する大銀杏である。 また拝殿に掲げられている弓はこの伝承をモデルにしたもの。あくまでレプリカになるが、当社にまつわる伝承を伝える。 その後も水戸徳川家からの崇敬が篤く、水戸徳川家所縁の品々が多数奉納されたと云う。
境内には末社と言うには立派過ぎる秋葉神社があります。本殿に向かって左側、神楽殿の隣りにあります。ご祭神は『火之迦具土大神』(ひのかぐつちのおおかみ)で、火防・災害除けの神様といわれてます。
本殿左側奥にあるに摂社・末社(御祭神)は以下のとおりです。 水神社(罔象女神) 八幡神社(八幡大神、比売大神、神功皇后) 疱瘡神社(疱瘡神) 三峰神社(伊邪那岐命、伊邪那美命)
上記の横にあるのは、 松尾神社(大山咋命、中津島姫命)
また本殿裏手にあるのは、順に 浅間神社(木花佐久夜姫毘売命) 庚申社(猿田彦大神) 稲荷神社(宇迦之御魂神) 厳島神社(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫神)
龍から流れる水は御神水で、飲むことができるようてす。
その後ろにもう一社、水神社があります。 またその向かい、手水舎の裏側に金毘羅神社(大物主命)、市の神(神大市姫神、大宮能売神)が並んでます。 と本殿の周りに多くの摂社...
Read moreToday, I took a morning walk to the Mastudo Shrine. It was easy to get to from Mastudo Station and relatively quiet in the morning. It's clean and tidy, though there is some noise from the nearby road.
If you want to see more of Japan, I have full walking videos on my YouTube channel (Kona-kun...
Read more東京都内から常磐線で千葉県に入って最初にある比較的規模の大きい神社ですが、意外と最近の建立で、天下泰平の世の中に入ったばかりの17世紀初めに当地に建っています。松戸とゆう土地そのものは、2世紀初めの景行天皇のころに皇軍従将がお待ち合わせをしたことから、"待つ土"と言われるようになり、後年に掛けて現在の松戸になったそうで、神社も...
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