静岡駅から徒歩10分も掛からない場所にある静岡で最も古いお宮さんです。創建時期は不明ですが、神社のオグシとい言葉はアイヌ語が語源という説もあり、確認できる史料で最も古いものは奈良時代の記録とのことでした。 徳川家康公とゆかりのある神社で幼少時代、初めて今川義元公と謁見する前にお詣りされています。 オフィスと飲食店の多い通りにあり、朝は通勤の方がお詣りをされています。 月に2回、骨董市を開かれており、地元の方から大事にされているお宮さんです。
境内の霊水は湧水を汲み上げられており、冬でも地熱で暖かいです。 御池の水がとても澄んでおり、鯉が悠々と泳いでいます。
神社のある通りには、一蘭や古くからのお茶屋さんがあり、外国人観光客の方々をお見掛けします。 静岡県は大道芸の世界大会がある街で町のあちらこちらで土日は大道芸を見ることができます。こちらの通りでも行われていますので、旅行者の方にオススメです。
〈ご祈祷、厄祓いについて〉 御初穂料の金額、御祈願の内容は事前に電話で相談、予約制です。
今回厄祓いをして頂きました。 御初穂料は相談の上…となっており、下限が決まっておりません。こちらの事情にご配慮して下さいます。 遠方の友人の分も合わせて祈願させて頂きました。
神主様は、とても優しくご丁寧な対応をして頂き、大変有り難かったです。
〈神社の歴史と御祭神について〉 神社の語源はアイヌ語の土地が川の中州にあり、“水に浮かぶ島…オグシリ"という言葉が変化し、オグシになったという説があるそうです(神主さんにも確認しました)。
家康公が人質生活を送った今川家の治世下では、京の公家文化が導入され、「少将さん」と呼ぶ祇園信仰が隆盛しており小梳神社の御祭神も、祇園信仰の名残で、須佐之男命(すさのおのみこと) と奇稲田比売命(櫛稲田姫命・くしなだひめのみこと)となっているそうです。 須佐之男命様は厄除け、家内安全、病気平癒、縁結び、安産・子育て、心身の成長・成熟、 技芸上達等等のご利益が、奇稲田比売命様は年神様で幸せの方角から来る神様、お家に福をもたらす神様と神主様より教えて頂きました。 お祀りされている神様については、境内の案内板(電子案内版もあり) をご参照下さい。
元は、現在の駿府城内にあって(小梳の地に駿府城が築城)、駿府城の守護神としても祀られていました。 当初の鎮座地は、現在の「 静岡市歴史博物館」南側と推測されています。 慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で豊臣家が滅亡すると、徳川家の守り神と伝わる大巳貴命、天照大神の2神を 小梳神社に合祀し、少将井五所大神宮とし、藩政時代には徳川家の庇護を受けて繁栄しました。 慶長12年(1607年)、家康公が大御所として駿府住まいを決めた徳川家康の駿府城三の丸の拡張により、寛永8年(1631年)、新谷町に仮宮を造って奉遷し、さらに延宝3年(1675年)、現社地に社殿を造営して遷宮となり、社殿造営には、駿府城代・松平氏を始め町奉行・大久保甚兵衛(おおくぼじんべえ)、城番、番頭、一加番(加番=城番を補佐する駿府城の警備の役職)、二加番、三加番、目付などが参加し、まさに天領・駿府をあげての駿府普請(すんぷふしん)といえるものだったと記録が残っているそうです。
明治9年、明治25年、昭和15年の大火で焼失し、現存する社殿はその後の再建のもので、コンクリート製のものとなっていますが、お賽銭箱の上方、神社のお名前が書かれた一枚板は、木造建築時代の息吹を感じます。
神主様についてですが、男子が生まれなかった時代はお婿さんをお迎えし、時に後継者がおらず、家名が変わることあったそうです。今の神主様のお家は数代続いていおられるそうです。 静岡の神主様の御家系では「古いのはウチくらいかな…」...
Read more小梳神社(おぐしじんじゃ)。静岡県静岡市葵区紺屋町(こうやまち)。
式内社(小)、旧県社。 江戸時代は「少將井五所大神宮」と称していた。
主祭神:建速須佐之男命 奇稻田姫命 (配祀)大己貴命 天照皇大御神 (合祀)金山彦命 金山姫命 石凝留命...
Read more静岡駅前の繁華街に鎮座する「小梳神社」は、アイヌ語の“オグシリ”が語源と考えられているとの事です。 静岡市史によると、旧鎮座地が、水の中に浮かぶ島(中州)にあり、それを先住民は“オグシリ”と呼んだとあります。この起源は、はるか昔の先史時代。 「あまりに歴史が古すぎて、正確な由来は不明です(笑)」とお話をうかがった宮司の森英樹さん。 その後、大宝令により社前に横田駅(現在の静鉄新静岡駅の辺り)が設けられ、同神社は駅の守護神として信仰を集めるようになりました。以後、713年の「日本総国風土記」や937年の「延喜格式」といった文献にその名が載り始めます。「少将井神社」や「少将の宮」と呼ばれるようになったのもこのころからです。 また後に、神社の近くに住んでいた幼少期の徳川家康は、武運長久や健康祈願をするなど厚い崇敬を寄せていました。やがて家康が天下を統一、駿府城にとどまるにあたり、徳川家の守り神である大己貴命(おおなむちのみこと)と天照皇大神(あまてらすおおみかみ)を同神社に合祀。元からのご祭神である建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)と奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)とともに祀るようになりました。その後も、延宝年間には現在の地に社殿を建てるなど、徳川家とのつながりは大変深いものでした。 繁華街の中にあるにも関わらず境内はとても静かで居心地の良い所でした。 御朱印は手...
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