Mori Ōgai Memorial Museum
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初代「知の巨人」が丸分かり! 鴎外が30歳から没するまでの30年間を過ごした居宅「観潮楼」の跡地に建つ、文京区立の資料館です。 鴎外の生涯の解説や直筆生原稿などが展示されています。 鴎外といえば明治の大小説家であると共に、軍人・医師として陸軍医務部長(中将)まで出世した、まさに勉学・芸術ともに卓越した稀に見る才人でした。 なんせ、15歳(2歳サバを読んだ!)で現在の東大医学部に入学して19歳で卒業、という学歴。さらには芸大の美術解剖学(そんな学問あるんだ?!)や、東京専門学校(現在の早稲田大学の全身)、慶應義塾大学の講師を務めるなど、様々な分野に通じたMr.パーフェクトですね。 軍医時代に発生した陸軍脚気パニックの際は、感染症説を唱えて被害を拡大させた張本人という評価もあります。しかし、当時の医学の限界と、軍医という職業ヒエラルキーの中での意見具申と考えると、やむを得ない面も理解できます。 一方で、エキセントリックな論評で坪内逍遥を辟易させたり、上記の脚気論争でビタミン欠乏が原因であることがほぼ明らかになってもなお、「それについては専門外だからよく知らんもんね」などとホッカムリをする姿勢など、意外と人間臭い面もあるようです。 また、有名な話では子供たちに「於菟(オット)」や「茉莉(マリ)」「杏奴(アンヌ)」「不律(フリツ)」「類(ルイ)」、孫には「𣝣(じゃく)と西欧(ドイツ)風の名前を付けており、「元祖キラキラネーム」と言われています。 その後も森家は多くの方がその伝統を踏襲しており、ご本人達も気に入っているのでしょう。 他にも、なかなかのマザコンでフェミニストの気配があったり、一方で妾を囲っていることを黒岩涙香率いる萬朝報で暴露されたり(明治の途中までは妾は正式な地位でした)、石部金吉のようなオフィシャルキャリアとは異なる一個人としての森林太郎(シンリンタロウではありません)の人間像がうっすら浮かんで来るようです。 まあ、ただの聖人君子なんて面白くもなんともないので、この位がいいんでしょうね。
ロン・オッターロン・オッター
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根津駅を下車し、地上に出たところで街灯に「文豪の街」のプレートが見られる。今はさらに「鴎外没後100年」の旗(?)も見られる。これのせいもあるのかなぁと思いながら、根津神社に向かって歩く。去年の暮れあたりから「類」、「奏鳴曲-北里と鴎外-」と立て続けに森鴎外絡みの小説を読んでいた。偶然ではあるが、それまで森鴎外のイメージは明治時代の人で、軍医。ガチガチの融通が効かない人で、さらに「舞姫」が鴎外の事を書いているという事で、ハッキリ言ってあまり良いイメージがなかった。だいぶ昔の学生時代に感じたことで、それ以降アップデートが出来ていなかったことも事実ではあったが。今回「類」を読んでから家庭人としての鴎外を知り、そういえば、日医大病院の近くに「観潮楼」の跡地があったなぁ、確か記念館になっていたようなと思い、足を向けた次第であった。元々この周辺の雰囲気は好きで散策はしたことはあったが、今回のように時間に余裕がなかったことから、いつも駆け足だったため、楽しみだった。薮下通りからの入り口に到着し、ここが昔の正門で敷石や大イチョウ、三人冗語が残っていることを知ったとき、気分はちょっとタイムスリップした気がした。類や杏奴が「ぱっぱ」と出迎えたシーンを連想したのである。ちょうど「鴎外の東京の住まい」という催しが開催中で、様々な文豪との交流がわかる書簡や生い立ち、千駄木の住まいに来るまで何処に住んでいたかわかる地図(というのかな)や子供たちに向けた手紙など、鴎外の人となりがわかるものであった。千駄木の住まいの模型を見たときは、結構広い家だったんだなぁと思いながら、類が作った花壇はこの辺りかなぁと思いを馳せた。映像で、作家の平野啓一郎さんが、どうにもできないこともある(と言ってた気がするが)と言うのも、「奏鳴曲」を読んだ後のためか、すんなり理解出来た気がした。(私もそれなりに人生経験をしてきたのかなぁ)。ちょっとゆっくり回ってしまったためか、喫茶店に入る時間がなくなってしまったが、また今度の楽しみにしよう。
阿部英美阿部英美
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かつて森鴎外とその家族が過ごしていた『観潮楼』の跡地に建てられた博物館。コンクリートの無機質な外観で、内装も基調はコンクリートの壁であるが、展示室は白い壁の静謐な雰囲気を醸し出している。 展示室は地下1階に2つあり、2つ合わせても部屋の広さはそれほど大きくなく、1時間程度で全ての展示品を鑑賞することが出来る。森鴎外が愛用した品々、遺した品々が展示され、激動の時代を生きてきた森鴎外とその血族の人となりを窺い知ることが出来る。 The museum was built on the site of the Kancho-Rou, where Mori Ogai and his family used to spend their time. It has an inorganic concrete exterior and the interior is also based on concrete walls, but the exhibition rooms have white walls that create a tranquil atmosphere. There are two exhibition rooms on the first basement floor, and the total size of the two rooms is not so large that it takes about an hour to view all the exhibits. The exhibits include items that Mori Ogai loved and left behind, giving visitors a glimpse into the personalities of Mori Ogai and his family, who lived through a turbulent time.
Hiroaki KanekoHiroaki Kaneko
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千駄木の団子坂下にある今川焼屋で今川焼を食べ団子坂を登っていく。坂の上が団子坂上。そこにコンクリートの建物が現れる。 ここは森鴎外記念館。森鴎外の住まいがあったところである。 森鴎外は1892年(明治25年)からなくなる1922年(大正11年)までここに暮らした。当時自宅の2階からは海が見えたことから鴎外が観潮楼と名付けた。 記念館には団子坂側と薮下通り側から入ることができる。 初めて訪れた。鴎外と漱石の特別展をやっていた。せっかくなので見学することに。ここは有料。無料のエリアもある。 館内には展示室、売店、休憩室、カフェなどがある。展示室を見学してとても印象に残った言葉がある。鴎外は死の3日前に遺書を残している。その一部が掲げられていた。そこには「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲すス」とある。森林太郎は本名。石見人とは。鴎外は島根県の津和野に生まれた。いわゆる石見の生まれである。10歳まで過ごし上京した。私も同じ石見人である。鴎外のその思いに初めて接し感動を覚えたのである。 展示を見た後はモリキネカフェによってコーヒーを飲み一休み。 カフェからは庭とそこにある三人冗語の石、イチョウの木が目の前に見える。 帰りにその庭を通り、薮下通りの方に出てみた。ここの入り口には、当時の鴎外邸にあった門の敷石が残っている。 鴎外の住んだ建物は戦災で焼けたが、イチョウと三人冗語の石、門の敷石はここに残っている。 記念館は中だけでなく、周辺にも見どころがあった。 ちょっと寄って帰るつもりが結構長い時間たってしまった。 そして鴎外と津和野のつながりに改めて思いを巡らせた。 鴎外の縁で文京区と津和野町は現在も交流がある。
稲岡慶郎稲岡慶郎
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🏣文京区千駄木1ー23ー1 🚇️…千代田線.千駄木駅より徒歩5分 、南北線…本駒込駅より徒歩10分、都営三田線…白山駅より徒歩15分程 🅿️🚗…有りません 🚲️…有ります ※ 開館時間…10時~18時 休館日…第四火曜日 入館料…常設展示は300円、特別展は展示毎に変更有り。 ※ 森鷗外の旧邸宅「観潮楼」跡地に開館 (汐見坂上に位置し自宅の二階から品川沖が見えた事から、付けられた呼び名) 観潮楼は火災や戦火で焼失しましたが、旧正門の礎石、敷石、大銀杏、三人冗語の石は現存し東京都指定旧跡「森鷗外遺跡」として文化財保護となっているそうです。 森鴎外記念館はご本人お住まい跡に1962年(鷗外誕生100年に)鴎外記念本郷図書館として開設, 2012年に現在の建物が建設されたそうです(設計は陶器二三雄氏) ※ 1892年から1922年7月9日60才でお亡くなりになるまでご家族と住まわれた場所で… 鷗外の生い立ち、その後の勉学、軍医としての活躍、作家としての日常や多数の作品、所蔵資料が紹介展示されていました。
ばあばbaabaばあばbaaba
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旧居・観潮楼址に建てられた記念館。 2022年は鴎外の生誕160年、没後100年、そしてこのモダンなつくりの記念館が開館して10周年。 彼の生涯、暮らしを丁寧な展示で知ることができます。 区立でこのような充実した内容を見ることができるのは本当に幸せです。 与謝野寛、伊藤左千夫、佐佐木信綱などを招いた観潮楼歌会や、団子坂から見える当時の風景の想像が掻き立てられます。 映像コーナーも大変分かりやすく、軍医&翻訳家&作家のマルチ過ぎる才能の持ち主の鴎外でも葛藤が多かったのではないかとのコメントもあり、なるほどと思いました。 旧正門の礎石、敷石、大銀杏、三人冗語の石は今も残っており、当時をしのばれます。 根津神社にも近く、谷根千散歩にもよいと思います。 建物も本当に素敵です。 「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」。 10歳で津和野から上京し60歳で死ぬまで東京、ドイツ、小倉などで暮らした鴎外。生まれた地を長く離れても、石見人としての誇り高い思いがあったのだなあと感じられました。
_はるか_はるか
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Basic Info
Address
1 Chome-23-4 Sendagi, Bunkyo City, Tokyo 113-0022, Japan
Map
Phone
+81 3-3824-5511
Call
Website
moriogai-kinenkan.jp
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Reviews
Overview
4.1
(285 reviews)
Ratings & Description
cultural
accessibility
attractions: Yanaka Ginza, Nezu Shrine, Hakusan Shrine, Nishi-Nippori Station, Nippori Station, Ecute Nippori, Asakura Museum of Sculpture, Yanaka Cemetery, Yūyake Dandan, Torino iru Cafe, restaurants: Himitsudō, Yadorigi Cafe, Kayaba Coffee, Chōtoku, PATISSIER CHOCOLATIER INAMURA SHOZO, Waguriya, Nezu Kamachiku, Yanaka Beer Hall, MIYANO-YU, CIBI Tokyo Store
