日本最後の城郭建築としてよく挙げられるのは五稜郭ですが、お台場もまた近世において砲術により外国船からの防御を考え、石垣を持ち、土塁の中に弾薬庫を備えた『要塞』であり、陣屋まで備えていたという意味では『お城』にカテゴライズしてもおかしくない建築物であります。
地図の上でのお台場は東京湾に設けられた島としては見事な物で、例えば太平洋戦争においてここに対空レーダーや防空陣地を設ければ幾ばくか低高度無差別爆撃をするB29を撃墜できたのではないかと訝しんだ物でした。 が、訪れてはっきりと分かったのは、土塁により敵艦の火砲に耐える事を目的に築造され、上空からの攻撃までは想定されていないという事でした。 艦艇で言うところの『水平防御』が主体となり、『垂直防御』が必要なジュットランド海戦以降の遠距離の砲戦や、航空機の発達までは考慮されていない要塞であり、大正時代に既に史跡として認定されたのは止むを得ないことなのだと強く感じさせられました。
ただ、海上の人工島で接近する敵対国の兵器を迎撃する思想は今日においても有効な解決策ではないか、と思いました。 例えば、イージス・アショアは市街地へのブースターの落下が懸念され、結果として前代未聞の巨大なイージス艦の建造を招きましたが、イージス・アショアを海岸近くの人工島に設置できればドック入りや『撃沈』される懸念などもなく、防衛予算を抑えられ、本来のミサイル防衛に役立ったのではないかと愚考します。 私にとって、幕末から始まる近代国家としての国防に関する施設として、お台場はひじょうに有意義な思索の場であり、現代においても重要な...
Read more火薬庫跡 (Kayaku-ko ato) Remains of the pyrotechnic (ammunition) storehouse Tile roofed wooden storehouse surrounded by earthenworks. Gunpowder was stored in several storehouses in preparation for fires or...
Read moreペリー来航に備え江戸幕府が造成した人工島。当時第六まで完成した内、現存する二つの台場のうちの一つ(第三台場)。現在はお台場ビーチから陸続きになっており歩いて上陸できる。外側は石垣を積んでおり、台場入り口で見える海の中から立ち上がる石垣が素晴らしい。台場内部は防衛要塞としての陣屋跡や弾薬庫がいくつかあり、大砲台(複製)もあり雰囲気抜群。対岸のお台場の眺めも良く、夜にはライトアップされた街並みも美しい。反対側の品川方面を見れば東京タワーも見える素晴らしい立地。防衛拠点としてもいい位置だったのだろう。個人的には品川側の一番奥に少し見えづらい位置にある史跡碑が味があっていい感じ。船着き場も残っており、昔は品川 から船で資材を運んだり人もここから上陸したのかとおもうと感慨深い。勉強不足の自分にとって、今までのイメージだと黒船来航で幕府は慌てふためいて無策だったと思っていたが、一年でこんな台場を六つも造って(労働力もかかった経費もハンパない)迎撃体制を整えていたことがわかった。この大砲の先に黒船を迎え撃とうとしていた江戸の侍達がいたことを思うと、この施設が残ってくれたことがとてもありがたい。 品川台場は続100名城にも選ばれており、スタンプはお台場海浜案内所(マリンハウス1階)にある。スタンプ台には品川台場のパンフや絵ハガキも無料...
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