大久保―東中野の中央線の南側にある神社で、その成立において3つの説があるようです。
1.ヤマトタケルが東征の折に、甲冑六具の内をこの地に収めた事により、社名が起こったと言われています。
2-1.天慶3年(940年)に平将門が滅んだあと、天暦(947年)の始め、将門公の鎧をここに埋めた。
2-2.将門公残党を追い、この地を訪れた藤原秀郷が重病になり、将門公の祟りを恐れて、薬師如来を本尊とする円照寺(当社南西の圓照寺か)の境内に将門公の鎧を埋め、祠を建てて篤く弔い、病を治した。
社務所で実際に奉納された鎧があるか、鎧を埋めた場所はどこなのか聞いてみると、1100年も前の事なので分からない物の、確かに埋めたはずだとの事でした。 例えば平塚神社にある甲冑塚古墳のように伝承でも埋められた場所が分かればと思ったのですが、そのようなところはないようでした。
ただ、ここで話題に出た鎧がヤマトタケルではなく、将門の鎧だったので、ヤマトタケルは神社側も、伝説上の人物と定義付けているか、ヤマトタケルが発祥という説自体が明治政府の弾圧を逃れるために後付けされたのではないかとも考えられます。
いずれにせよ、平将門も桓武平氏という事で桓武天皇の血を引き、新皇を名乗るだけの資格や血統は持っていた事になります。 今日的な目で見れば、平将門の乱を明治政府が900年も後になって弾圧しようとしたことは歴史を否定する愚かな行為であります。
当社に祀られるヤマトタケルも景行天皇の皇子でしたが、冷遇され、東征の際は関東に住まう土蜘蛛という異民族を討伐に向かったと伝えられています。また、境内社の天神社の祭神である菅原道真公もまた、冷遇の末に大宰府で客死し、死後は怨霊となり、天皇さえも殺す猛威を振るいました。 ある意味、当社は日本史上天皇制の中で主流から追いやられた、敗者たちを祀る神社であり、だからこそ地元の人々に愛され、戦前の明治政府の干渉により末社に移された平将門公が主祭神に返り咲いたとも言えます。
当社は大手町にある将門の首塚のように禍々しい伝説はなく、ただ敗れた者を温かく迎え、我が事のように大切に守る『民』の心遣いがある、そうした信仰に支えられた神社だと言えます。 神徳や奇跡が最も残され、感じさせられるのは、境内に残る、太平洋戦争の米軍の空襲からただ1本だけ焼け残ったイチョウの樹でしょう。 私たち国民は、しばしば時の政府をはじめとする大きな権威や権力に対して無力であります。ヤマトタケルのように父であり、主君である景行天皇のために尽くすべき組織や人に忠勤に励んでも、使い棄てられ、将門公のように自らのを慕う人々を守るために大望を建てても討たれ、道真公のように冷遇されて生きている間に功績を認められず失意のうちに亡くなり、そして太平洋戦争で国のために尽くし、国の勝利を信じていた国民はある者は戦地で、ある者は空襲で、こうして亡くなっています。 しかし、語り継げれば、歴史とその教訓は滅びません。 歴史的な悲劇は回避できないかもしれませんが、一人一人をより良き方向に導けるのではないか。 ...
Read more神社の名前が気に入って、いちどはお参りに行きたいと思う方がけっこういらっしゃるようで、遠方から訪ねて来る参詣者の方も多いと神職さんがおっしゃっていました。中央線の東中野駅から路地を継いで東のほうへ歩いて行くと辿り着くのですが、都心方向から向かう方は、大久保駅を降りて、小滝橋通りを北へ進み、中央線のガード手前を左、あとは道沿いに進んで"止まれ"の日様式が出てきたら左曲がると正面鳥居が見えます。大久保通りを進んで、柏木親友会の商店街に入って行くのが唯一の道ですが、この神社の周辺道路は路地へ入るととても狭く、区画もダンジョンで、ナビでは道でも接近すると階段だったり、幅員高さギリギリの線路下トンネルだったりと大変なところなので、大久保通り沿いの時間貸しに停めて歩いた方がいいと思います。クルマのお祓いで境内へ入る方は、淀橋四小を目指して商店街から一方通行路を北へ向かって進んでいくと、左手に境内が見えてきます。帰りがもっと大変で、来た道は戻れませんからずっと先へ進んでいくしかありません。車高2.7m以内でないと線路下は抜けられませんので、帰り道はお祓いの後で神社で聞いてみるとよいでしょう。本殿は西に背を向けて東面して建てられており、授与所は本殿向かって右手にあります。神社正面参道左には菅公の天神さまの祠、本殿の左(南西)後方にはおこんこんさまと三峯神社が鎮座していて、裏参道は南に向けて鳥居を構えて開いています。そもそもは、日本武尊東征に際して当地に甲冑六点を埋匿したところから始まり、平将門に至って、なんでも、将門公の鎧が埋蔵されている所以であると言われています。ゆえに、主祭神のうちには日本武尊と平将門公の両柱が祀られていますから、とくに将門公巡礼の方には、外せない聖地の一つとしても有名です。そしてなぜか三峯神社が...
Read moreFor peaceful place visit, I must recommend you to visit this place. Historical building with rich cultural features it’s...
Read more