近くに春日神社や伊勢両宮があり神域に相応しい。元は大泉橋の南に境内(百間四方)があったという。当時、鶴岡の町民は春日神社、上山王社、下山王社何れかの氏子だった。ここの氏子は?改宗?先祖の神に詣るのに藤原家の氏神春日神社の側を通って?天神様は藤原時平の讒言で失脚したのに?男の嫉妬は女以上に怖ろしいらしいが。菅原家の学問所菅家廊下には多くの門人が集まったという。生前は式部大輔や民部卿だった天神様に、化け物政、3S(スポーツ、スクリーン、…)祭が糺され、天神祀となることを祈願して☆5つ。因みに、出羽守に菅原在久(文永11)在国(弘安8)が任命されている。出雲王家の伝承に依れば出雲王国を滅ぼした田道間守(当麻蹴速)が垂仁天皇と大王を争った際、最後の副王で東出雲王家(向家)出身の富大田彦が野見大田彦と名乗り天皇に味方した。ノミノスクネとは、クナト王直系の王家の末裔ということになるだろう。昔は市内本町一丁目に天満宮があり、現在は上山王社、下山王社に久那斗神が祀られている。神武天皇や桓武天皇には出雲王家の遺伝子が入っていたようだ。 想像だが、徳川は鴨氏を名乗るため町外れに遷させたのだろう。鴨氏の分家を名乗る織田家を天童(高畠)に転封して援軍?高知では賀茂氏と姻戚関係にあった秦氏の末裔長宗我部氏が山内一豊に徹底的に排除されたこととも矛盾しない。織田信雄は伊勢北畠家に婿養子に入り北畠氏を名乗ったが、その後、織田に戻した。因みに四国4県の縄文人度合いが京都、大阪よりも低い全国最低レベルなのも頷ける。 出雲国初代主王(大穴持)が菅之八耳(向家)。17代副王(少名彦)が大田彦。古代出雲王国が亡ぼされたときの主王が大国主(神門臣家)、副王が事代主(向家)。家康は桓武平氏を利用?(江戸の総鎮守神田明神の祭神は出雲国主王と副王それに平将門)。外国の知識人は日本のジェノサイドの歴史を知っているのか神田明神よりも土師氏開基の浅草寺の方が有名で参拝客も多いようだ。天満宮とは道真を通して出雲王家の信仰に繋がる神社だろう。因みに出雲(サルタ)族は竜神信仰らしい。 大阪天神祭の陸渡御では先導に続くのは猿田彦らしい。印度から日本までの移動には...
Read more鶴岡天神祭は、毎年5月25日に開催される鶴岡天満宮の例祭。 鶴岡市の観光案内のHPでは次の様に紹介されている。
「学問の神様といわれる菅原道真公を祀る鶴岡天満宮のお祭りで、道真公が九州太宰府に配流された時、道真公を慕う人々が時の権力をはばかり、姿を変え顔を隠して密かに酒を酌み交わし、別れを惜しんだという言い伝えがあります。 老若男女に関係なく、派手な花模様の長襦袢に帯を締め、手ぬぐいと編み笠で顔を隠し、手に杯と徳利を持ち、無言で酒を振舞います。通称「化けものまつり」として呼ばれ、当日は、子供や大人など様々な化けものが、鶴岡市中心部を歩きまわります。化けもの姿で3年間誰にも知られずにお参りができると、念願がかなうといわれています。」
昔は、どこの天神祭も似たようなことをしていると思っていた。 そうではないことを知った時は少し驚いた。
ーーーーーーーーーー 2024年5月25日 「天神祭」
今年の天神祭は曜日に恵まれ、土曜の祭日だった。 久しぶりに祭りを見た。
天気にも恵まれた。 昼までの天気は今一つで、昼前のブルーインパルスの展示飛行は雲に隠れて良く見えなかったが、次第に雲が減り、パレードが始まる頃には抜けるような青空が広がった。
ここ4年は、新型コロナの影響で「化けものの振る舞い」は無かったが、今年は再開した。 日本酒だけではなく、ジュースやお茶も見物客に振る舞われた。
パレードコースは2つあった。 一つは天満宮近くの中央児童館、もう一つは鶴岡駅前交差点を出発し、途中で合流した。 合流地点の通りは、昼酒で顔を赤らめた...
Read more山形県鶴岡市神明町に鎮座する鶴岡天満宮です。 御祭神は学問の神「菅原道真公」。創建は1469~1486年ごろと推定されますが定かではありません。以前は「太宰府神社」でしたが、昭和30年に「鶴岡天満宮」と社名を変えました。酒井家の庇護を受け、米を運ぶ舟の安全祈願、雨ごい祈願、参勤交代の安全祈願などが行われました。例年5月25日には例祭...
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