旧米沢城。 別名 舞鶴城、松ヶ岬城 城の型式 輪郭式平城 天守閣 御三階櫓2基(3層3階層塔型) 本丸、二の丸、三の丸からなり、10基の2層櫓と17棟の門で構成される。
・江戸時代以前… 米沢の地は元々は東北最強の戦国大名の伊達氏の本拠地で、伊達政宗公は、畠山氏、蘆名氏、二階堂氏、石川氏、岩城氏をそれぞれ滅ぼし、奥州の覇者となる。小田原征伐の時に、時の権力者の豊臣秀吉公に臣従し、伊達家の存続は許されるが、奥州仕置と惣無事令により、米沢、会津、安積、岩瀬は召し上げられ、蒲生氏郷や蒲生一族に渡ってしまう。しかし、90万石以上を領していた蒲生氏もお家騒動で秀吉公からの信任を失うと18万石に大減封され、替わりに五大老になり、春日山から会津若松に入った上杉景勝公が120万石に入ると同時に、秀吉公から景勝公の筆頭家老だった直江兼続公が30万石を拝領され米沢に入る。(但し兼続公本人は景勝公の補佐なので、米沢には城代が置かれる)
慶長3年(1598年)豊臣秀吉公が死去。さらに前田利家公も相次いで死去し、石田三成と徳川家康公の戦(いくさ)の機運が高まり、三成は上杉家に助力を頼みます。景勝公と兼続公はそれに応え、全国より腕の良い浪人を雇い入れ、軍備を備え、会津や米沢周辺に28の支城を整備します。 これに、家康公は上杉家が豊臣秀頼(豊臣家)に謀反を企ていると嫌疑をかけ、全国の諸大名に号令を出し会津征伐を開始する。この家康公の挙兵に、すかさず三成も挙兵し、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いが始まる。会津征伐は伊達氏、最上氏、戸沢氏に託し、家康公は三成が待つ関ヶ原に向かいます。
関ヶ原の戦いは、両者互角だったものの西軍の裏切りがあり、東軍勝利で幕を閉じます。上杉家は会津まで退き戦をするも、伊達氏と最上氏の連合軍の凄まじい猛追を受けるもなんとか会津に逃げ延びる。そして家康公の次男の結城秀康に伴われ、伏見城で家康公に謝罪降伏を訴えますが、上杉家の会津領90万石分に関しては没収され、兼続公が拝領した30万石をもって、上杉家は存続する。
・米沢藩、立藩… 会津若松120万石から、米沢30万石に大減封され、普通なら藩士を半減させるため、武士の禄つまり給料を取り上げて、藩の維持のため藩士を解雇しなければいけないところ、米沢藩では藩士を辞めさせることをしませんでした。このことが後に城下町整備で苦労をかけることになります。
なんと兼続公は、景勝公の補佐を長く務めたため米沢の城や城下町整備を疎かにしてしまったため、上杉家の全家臣の住む家、会津領時代の商人、寺社仏閣の住職、宮司、僧侶、会津領時代の職人の住む場所がないため大混雑させてしまう。
上級、中級武士には一軒、下級武士や足軽には長屋を作り(現在でいうアパート)共同生活をさせた。
景勝公のあとは定勝が継ぎ、定勝の跡は綱勝が継ぐも、定勝には嫡子、養子がないまま亡くなってしまう。このままでは名門上 杉家は断絶、大量の浪人が出てしまうことになるため、3代将軍の異母兄弟の会津藩主の保科正之は奔走し、綱勝の妹富子と幕府高家4200石の吉良上野介義史(きら・こうずけのすけ・よしひさ)との子の綱憲が上杉家に養子に入るも、30万石の所領が15万石に減らされる。 綱憲は贅沢三昧と吉良家への財政支援を行ったため、藩の財政が悪化する。 そんな時に大事件が起こる。
続きは、米沢城跡で…
アクセス JR山形新幹線、奥羽本線、米沢駅から市民バスもしくはヤマコー...
Read moreI visited Uesugi Jinja when visiting Yonezawa and I definitely would recommend it to any visitors! This temple was peaceful to walk through and take in the beautiful nature surrounding it. The temple was quiet and not crowded. Around the temple was a beautiful river the many coi fish that locals were feeding with bread. This was something so special and pure to witness. This temple sold Goshuinchou...
Read more上杉神社は、山形県米沢市にある、戦国の名将・上杉謙信公を祀る神社です。もともとは米沢城の本丸跡に建つお堂でしたが、明治時代に神社として創建されました。境内には、上杉家ゆかりの品々を展示する稽照殿や、上杉謙信公の言葉を刻んだ石碑があります。春には桜の名所として知られ、米沢上杉まつりの舞台にもなります。謙信公の教えである「義」を重んじ、多くの人々が武将としての智勇、そして人間としての生き方を学ぶために訪れる、歴史と文化が息づく場所です。
Uesugi Shrine is a shrine in Yonezawa City, Yamagata Prefecture, dedicated to the renowned Sengoku warlord Kenshin Uesugi. Originally a hall built on the site of Yonezawa Castle's main enclosure, it was established as a shrine during the Meiji era. The grounds house the Keishoden treasure hall, which displays artifacts related to the Uesugi family, and a stone monument inscribed with Kenshin Uesugi's words. In spring, it is famous for its cherry blossoms and serves as the venue for the Yonezawa Uesugi Festival. Many people visit this place, where history and culture breathe, to learn about Kenshin's wisdom and courage as a warrior and his way of life, which emphasized...
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