神功皇后 三韓征伐の帰路 仲哀天皇 先后の皇子 忍熊王の皇嗣の謀反を鎮めるべく此の地にて祈願したところ塩土老翁神(シオツチノオジノカミ:住吉大神=住吉三神)が お姿を現されたのを吉祥とし お祀りしたのが創建とあり 塩土老翁神が初めて口を開いたとも 又 海に向かう地であった為 開口(アグチ)と名付けたといわれています 「住吉大社神代記」には奈良時代731年 穢れを祓う儀式が六月「開口水門姫神社(アキグチミナトヒメ)」九月「田蓑嶋姫神社(タミノジマヒメ)」(現・大阪市西淀川区 田蓑神社)にて行われたと記載されており 直接結び付けるには無理があるかも知れませんが 前身である事は否定出来なく 姫神社の"姫"とは神功皇后の事ではないでしょうか🤔 平安時代後期1113年 原村から素盞嗚尊 木戸村から生国魂神を お迎えして開口三村大明神と称したそうで 室町時代には朝廷や幕府の祈願所とされたという事です 仏教の興隆により 神仏習合思想が深まるにつれ744年聖武天皇の勅願によって行基が境内に念仏寺(本尊 薬師如来)の伽藍を建立 のち神宮寺となり平安時代には空海が真言密教の道場を開き宝塔を建て無本寺とし平安末期には一切経蔵など堂宇が増え 規模も大きくなり「大寺」と呼ばれるようになりました(後世 三重塔も出来たそうです)明治の神仏分離により廃絶 境内に名残の薬師社があります ※行基 現・堺市西区家原寺町の地元生まれの僧 生家を家原寺として建立(行基建立最初の寺院)
堺の豪商他の人々に支えられ環濠都市として発展 堺の歴史を深く刻み込む開口神社 境内の広さだけでなく天にも届くような上への空間の広さも感じました 方違神社から延長のウォーキングでしたが 足取りも軽く道に迷う事なく初めての参拝も無事終え より一層...
Read more2018 8 5 山之口商店街の “力餅食堂” で美味しいざる蕎麦を食べて、そこから1分も歩けば在る「開口神社」へ行ってみました。 初めて来た時、「商店街の際に神社とは。」と少し驚きました。 アーケードの高さ位の石の鳥居が有り、入るとまた直ぐ左右の大きな狛犬が迎えてくれます。更に進むと広々とした境内が開けていて、真向かいに見える朱(あか)い鳥居を見ながら空間を感じて左を向くと社務所と本殿が在ります。 朱い鳥居は近づくととても大きく立派です。力強く踏ん張る柱には「山之口商店街 寄贈」の文字が書かれていました。 シャッターの目立つ商店街もかつてはとても賑わっていたのが伺えますが、それにしても立派な鳥居です。 ただ、当初は神社自体にはそんなに古い印象を受けず、元堺市庁舎が在ったとか以前三国ヶ丘高校の校舎が在ったとかという石碑も有りますので、それらの建物が移動した空き地に神社が出来たのかな、と思ってしまいました。しかし、1300年昔からの由緒ある神社だったのですね。新しく見えるのは戦災被害を受け再建されたからなのですね。 後に堺に縁の深い行基(天平)、空海(平安鎌倉)からの歴史が有り、その他茶道の武野紹鴎、近代では与謝野晶子もゆかりのある神社だと知った次第でした。...
Read more安産・子育ての神、海上交通を守る神として信仰されている、開口神社。 今から約1800年くらい前に、神功皇后が長旅の無事を守って頂いた『塩土老翁神』をこの地にお祀りするために建立された神社。神功皇后は長旅から無事に帰国、 そして応神天皇をご出産されたので、安産・子育ての神や無事に帰国されたので海上交通を守る神とされているんですね。 『開口』(あぐち)という名前の由来は、神功皇后がこの地に上陸した時にお食事を取った時に初めて口を開かれたことからきているようです。
東鳥居の南側には、穀物・農業の神様の『豊竹稲荷神社』 東鳥居の北側には、 台所の神さまの『三宝荒神社(竈神社)』 芸能の『扇塚』 歯の神さまの『白一龍神社』 珍しい神さまです。
堺出身の与謝野晶子さんの歌碑、泉陽高校の発祥の石碑があります。
北鳥居のそばには、 『堺の幼稚園の発祥の地』の石碑、 7社を合祀したお社が2つもあります。 そして、念仏寺の名残りである『薬師社』もあります。
東鳥居から西鳥居へまっすぐ歩いていくと、神馬像や三好元長戦死跡碑、山本梅史句碑、三国丘高校発祥の地の石碑、そして海会寺にあった『金龍井』が今も水が湧き出しています。
堺東駅から歩いても来れますので、ぜ...
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