慶應義塾大学の創設者の福沢諭吉が死去したのは1901年 (明治34年) のこと。76年後の1977年 (昭和52年)に当初埋葬された寺が福沢家の宗旨と違ったため、お墓の引っ越しをすることに。掘り返してみると、地下4mの地点に白骨化することなく、諭吉の遺体が原形を保ち着物を着たまま寝ていたそうだ。今から47年前、慶應義塾大学の関係者らは、にわかに信じがたいニュースにいろめきたった。ミイラが発見された場所は、慶應義塾大学(港区三田)からもさほど離れていない、品川区上大崎の常光寺 (浄土宗)だった。福沢諭吉は1901年 (明治34年) 2月3日脳出血で死去した。享年68だった。葬儀は2月8日、福沢家の菩提寺麻布十番の善福寺 (浄土真宗本願寺派)で執り行われた。通常「葬儀」と「埋葬」が別々の寺で行われることはない。諭吉は生前、散歩の際、常光寺周辺の眺望が良かったことから、 「死んだらここに」 と常光寺の墓地を手に入れていた。ところが、常光寺が本堂を建て構えるに当たって、寺を維持管理するための檀家の集まりである護持会組織が発足したことで、事態は動き出す。その会則に 「常光寺に墓所を持つ檀家は浄土宗信徒であること」 「信徒でなければ改宗すること」 「改宗できなければ、墓を移転すること」 などが明記された。決断をせまられた諭吉の遺族は常光寺からの撤退を決める。 常光寺の先代住職や慶應義塾大学の関係者らが見守る中、まず2mも掘ったところで、「福沢諭吉先生永眠之地」 との銘が刻まれた石が出てきた。さらに3mの地点で、錦(きん)夫人の遺骨が出てきた。そして、地下4mの地点で諭吉の棺が見えてきた。棺を開け、関係者が中を覗き込むと、中は冷たい伏流水でみたされ、そして着物を着た諭吉が寝ていた。 驚いたことに白骨化することなく、ついこの前に亡くなったような姿だった。遺体はミイラというより、屍蝋(しろう)化していた。当時をしる関係者によると死体には 「お茶の葉」 がまとわりついていたという。「遺体が抗菌作用のあるお茶の葉と、冷たい伏流水に、つかった状態だったため、奇跡的に生身のまま残ったようです」 ...
Read more浄土真宗 本願寺派(お西)の 麻布山 善福寺と號すお寺です。 麻布山 善福寺の歴史は、平安時代の天長元年(824年)、唐に渡り真言を極めて帰国した弘法大師によって、真言宗を関東一円に広めるために高野山に模して開山されました。都内では金竜山浅草寺につぐ最古の寺院といわれています。 鎌倉時代になると、7歳で仏門に入り弱冠17歳で比叡で顕密二法を修めた俊英の僧であった麻布山善福寺の了海上人(「大谷遺跡録」に名が残る関東六老僧のひとり)は、流されていた越後から京に上る途中に訪れた親鸞聖人の高徳に傾倒して、一山をあげて真言宗から浄土真宗に改宗しました。蒙古の二度にわたる来襲に際して、当寺は文永3年(1266年)に亀山天皇から勅願寺とされました。 安土桃山時代の浄土真宗本願寺勢力と織田信長の戦い(石山本願寺と織田信長が戦火を交えた一向一揆/石山合戦)で、当寺は大阪石山本願寺に籠城する僧に援軍を送りました。乱後、豊臣秀吉は関東を平定すると、天正18年(1590年)、当寺に寺領保護を誓約しました。 江戸時代、三代将軍徳川家光は、甲吉豊後守に命じて当時の建築の粋を集めて当寺の本堂を建立し寄進しました。 安政6年(1859年)5月27日、タウンゼント・ハリスがアメリカ駐日公使に昇任したことを幕府に伝達すると、当寺は初代アメリカ合衆国公使館としてハリスと館員たちを迎えました。しかし、攘夷を唱えるひとびとの襲撃を受け、庫裡、書院などは焼失。それでも僧たちの機転によって身をもって公使館員を守り日米の友好の絆を深めました。 その当時から三井物産創立者である益田孝氏、古河財閥創業者の古河市兵衛氏、慶應義塾創立者の福澤諭吉氏といったひとびとが頻繁に訪れていた当寺は、明治8年(1875年)12月8日までアメリカ合衆国公使館として使用されました。 昭和20年(1945年)5月、米軍による大空襲で当寺は伽藍を失いましたが、多方面より復興の声があがり、昭和36年(1961年)、徳川家康が建立した東本願寺八尾別院本堂を譲り受け本堂として再建完成させました。...
Read more山号 麻布山 宗派 浄土真宗本願寺派 東京にある古刹の一つ。浅草寺(台東区)、深大寺(調布市)に次ぐ古刹。
天長元年(824年)に弘法大師こと空海により開山した真言宗の寺院。鎌倉時代に越後国(現在の新潟県)に配流になっていた親鸞(しんらん)が善福寺を訪れ弟子の了海により浄土真宗に改宗された。 その後、各時代の天皇、幕府などの保護を受けて発展していきます。
安政5年(1859年)日米修好通商条約に基づき善福寺内にタウンゼント・ハリス(アメリカ合衆国・民主党員)一行の宿舎となり帰国の際には謝礼として100両が善福寺に支払われた、ハリスの通訳ヒュースケンが公使館に戻る際に暗殺される。善福寺内に運ばれ亡くなっている。
昭和20年(1945年)東京大空襲で大きな被害を受けている。
・福沢諭吉の墓 慶應義塾大学の創設者。2月3日は福沢諭吉の命日に当たり「雪池忌(ゆきちき)」と呼ばれ、慶應義塾大学の関係者が多数、善福寺にある福沢諭吉の墓所を訪れる。因みに福沢諭吉の墓は1977年まで品川区上大崎の常光寺にあった。
・逆さイチョウ 樹齢750年以上のイチョウのこと。 親鸞(しんらん)が植えたイチョウの古木。 親鸞がついていた杖から生えてきたとされる。 逆さいちょうの由来は、枝が下のほうに伸びていて、まるで逆さになっているように見えることかららしい。
アクセス 都営地下鉄大江戸線、麻布十番駅から徒歩5分 東京メトロ南北線、麻布十番駅から徒歩5分です。
・お菓子の名店多数あり 豆菓子やおかきの老舗、豆源本店 鯛焼きで有名な浪花家総本店 人形焼きの名店、紀文堂 直焼き煎餅で有名なたぬき煎餅(たぬきとは、他を抜くという意味で他の抜き何処よりも美味しいということ。) 今川焼専門の月島屋。 チョコレート専門のレオニダスと、モンロワール。 行列必死のケーキ屋、HUDSON MARKET BAKES。 野菜を使った珍しいお菓子屋、麻生野菜菓子。 スフレ専門のサンクサンク。 モンブランで有名なHISAYA...
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