北海道最古の神社のひとつ。現在の社殿は1837(天保8)年築。ニシン漁の守り神
📖アイヌ起源説 江差に住んでいたアイヌの老夫婦が食べるものがなく困っていると、神のお告げがあった。これに従って舟楫で海をかき回すと、白波が盛り上がってニシンの群来を得た。老翁を祀ったのが鴎島(神威尻)の恵比須堂で、老婆を祀ったのが姥神大神宮である
📖社伝 1216(建保4)年、江差町がまだ寂しい片田舎だったころ、どこからか姥がやってきて、今の津花町に草庵を結んだ。不思議なことに、天地の間、四季の事々、この老女の予言がことごとく当たり、変事が起こるたびに予知して教えるので、人々はこの老婆を「折居様」と呼び、神のように敬った。ある年、江差の浜で一匹の魚も捕れないことがあって、老婆は一心不乱に祈りを捧げた。2月はじめの頃、夜の丑三つ時、神島(かむいしり)から突然、光が発せられているのを見て驚き、光の源を訪ねて島に渡った。島には老翁がおり、「この中の水を海に撒くと、鰊という魚が群れになってやって来る」と、彼女に瓶子を授けた。その瓶子を持ち帰り、中の水を海に撒いたところ、話にたがわず鰊の大群が押し寄せた。老婆は、これこそがお告げのあった「鰊」に違いないと、村人たちに教えたが、これだけ大量の魚をどう捕獲するのかわからない。そこで老婆が祈ると、再びあのみの翁が現れ、一枚の蓑の裏側を示した。蓑の裏側は糸で編んだ網だった。翁は網でニシンを捕る方法を教えた。「ただし、その高さはお前の背の高さ、目の数はお前の年と同じものにせよ」と言い残し消えた。老婆は村人たちに網の作りを教えた。喜んだ村人は早速、漁を始め、江差の浜はやがてニシンで満ちあふれた。老婆は、これで住民たちは暮らしに困ることがないだろうと告げ、ある日忽然と去っていった。人々は驚いて方々を探しましたが行方はわからず、老婆が住んでいた庵に行ってみると、一個の神像があったので、これを折居様とよんで漁業を護る神としてあがめた。その後、だいぶたってからこの神社の神職に藤原永武があらわれて、かの姥の神は天照大神、春日大明神、住吉大神宮の御尊体であると人々に告げたので、1644(正保元)年、その神像を津花から現在の場所に移した。老婆が村人に示した網の大きさは、高さが五尺三寸(約1m59cm)目の数は63だった。老婆はこれを固く守るように村人に言い渡したが、明治の初めの頃、欲に目のくらんだ人々はいつしかこれを忘れて、大きな網で漁をするようになった。このころからニシンが捕れなくなってきた。姥神町の旧社地に「折居様の井戸」が残っている。また折居様が、身を清めて白い水を詰めた小瓶を投げたという「折居様の手洗石」は中歌町の埋め立て地に埋没。海中に投げ入れられた小瓶はやがて石となって海上に現れ、鴎島の「瓶子岩」になった。姥神大神宮とは別に、折居様を祀っているものに折居社があります。1857(安政4)年に元の江差港入口から現在地に移され、現在の社殿はおよそ110年前に再建された。姥神大神宮も、はじめ津花町に建てられ、1644(正保元)年に現在地に移された。松前地はもとより蝦夷地の一宮として、代々の藩主、領民の尊崇を集め、藩主の巡国の折には、かならず参殿して藩の隆盛、大漁、五穀豊穣を祈願する祈願所となった
📖舟絵馬 姥神大神宮に奉納された船絵馬北前船による交易の時代、船主が新しく船を求めると船絵馬を造って信仰している神社に奉納するなどしていた。姥神町の船主田口伊兵衛が...
Read moreI was lucky to see the Ubagami Daijingū Togyosai festival at Ubagami Shrine occurring at the time I was traveling around Hokkaido. The festival has more than a dozen beautifully decorated parade Daishi pulled around town with children playing taiko loudly atop. The shrine itself is...
Read more建保4年(1216年)創建で、北海道最古の神社とされています。ご祭神は天照皇大御神・天児屋根神・住吉大神です。この神社には「折居」という老女の伝承があります。姥神神社のお告げに従ったところ、ニシンの群れが来るようになったというのです。そのため古くからこの神社は海の神、漁業の神としての信仰を集めてきました。 8月の中旬、奥尻へ行ってきました。往路は江差からのフェリーです。江差に着くと町はお祭りでした、たまたまこの姥神大神宮の例祭だったのです。多くの山車が曳かれていて人出もかなりの物でした。せっかくだからと、カメラ片手に山車の追っかけをしてきました。 豪華な山車が何台も道を練り歩いています。土地の習わしなのでしょうか、いたるところで「深い会釈」が交わされています。汗をかきながら炎天下で写真を撮っていたら、沿道のお家の方が飲み物をくださいました。助かりました、ありがとうございます。 ところでかつて江差はニシン漁で栄えました。しかしニシンの漁獲高は明治30年をピークに徐々に衰退します。そして昭和30年代以降ほとんど採れなくなってしまったのです。当然人口は減少したはずですが、その割にはずいぶんの人出なのです。怪訝に思いお家の方にお伺いしたところ、ほとんどの人は「帰省中」の人だとのことでした。なるほど、道理でみんな丁寧な挨拶を交しているわけです。毎日会っている人にそんな深...
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