40.永福寺跡 アクセス: (1).JR鎌倉駅東口 徒歩25分。 (2).JR鎌倉駅東口 京急バス大塔宮下車、徒歩5分。 ・鎌倉宮右側の道をしばらくいくと、鎌倉カントリーテニスクラブの隣に永福寺跡の碑が建つおり、その背後が跡地となっています。
・史跡永福寺跡は鎌倉駅の北東約2km、二階堂字三堂他に所在する、源頼朝が建立した鶴岡八幡宮寺・勝長寿院と並ぶ三大寺院のひとつです。(寺跡は国の史跡に指定されている。)
・2007年から復元工事が行われ、2017年に基礎と池泉が復元され整備範囲を全面公開しています。
この場所に立つとその大きさを容易に想像することができます。是非、見学して下さい。
・永福寺は、源義経、藤原泰衡等奥州攻めで亡くなった武将の鎮魂のため、中尊寺の二階大堂と呼ばれる大長寿院を模して、寺院を金銀・宝石で飾り、更に絵画を加え、 池や中島および汀石や景石などは、毛越寺の庭を模して建立され、建久五年(1194)に完成しています。(現在では1185年説が有力) ・幕府の御願寺として手厚く保護されましたが、応永12年(1405)に焼失し、江戸時代初期頃に廃寺となりました。
東西約100m、南北約200m以上の平坦地と三方を取囲む山林・谷間を含めた地域が寺の中心域と考えられており、約86,000平方メートルが史跡に指定されています。
昭和58年度から平成8年度まで発掘調査が行われ、二階堂・薬師堂・阿弥陀堂などを容する壮大な伽藍や浄土庭園の存在が確認されました。
伽藍の配置は三堂が複廊を介して南北方向に一列に並び、両側の堂からはL字型の廊が付属し、中門・釣殿がつくられていました。こうした伽藍配置は他に例を見ない永福寺の特徴で、源頼朝の独創性を示すものとして注目されています。
・伽藍は、中心となる二階大堂は、釈迦如来が本尊、左右対称に北側に薬師堂、南側に阿弥陀堂が祀られていました。 ・現存しないため祀られた仏像の規模はわかりませんが、堂の規模からは、それぞれ最低でも丈六、おそらく、2丈から3丈規模の像容であったと推測されています。 ・形は、平等院鳳凰堂と似ていたと考えられますが、永福寺の場合、左右の鶴翼が、独立した薬師堂と阿弥陀堂となっており、鶴翼が装飾的構造物で人が立って歩けない平等院に比べても規模は巨大です。
・中尊寺が釈迦信仰と阿弥陀信仰、毛越寺が薬師信仰を基調としていますが、永福寺は、一寺でその両方を祀っています。
永福寺の由来: 源氏にとって、東北は、源頼義、義家親子の勢力圏になるはずでした。 前九年の役、後三年の役で源氏は苦労して勝利を得ましたが、結局当地において利を得たのは、清原清衡(後の藤原清衡)でした。 源頼朝にとって、義家は4代前、頼義は5代前の先祖です。 源頼朝は、1189年、藤原泰衡が源義経を匿ったことを理由に、後白河法皇の制止を振切って、奥州征服を断行しました。 藤原氏は、後三年の役の終了(1087年)以降、凡そ、百年の平和を謳歌しており、戦に明け暮れた関東武者の攻撃に、軍事力においても組織的にもなす術もなく敗れ去りました。 『吾妻鏡』に依りますと、...
Read more2/08/2024 「岐れ道(わかれみち)」でバスを降り、散歩した。大塔宮からローンテニスクラブへの道は、昔、高校時代までは良く歩いた道だった。 最近TV番組「ブラタモリ」で取り上げられたとのことで、懐しくなったのだ。 昔の永福寺(ようふくじ)跡は何もないただの池だった気がする。ただその後20年以上かけて発掘調査が行われ、往時の遺構がすがたを現したらしい。数年前には神奈川県立博物館で大規模な展覧会が開かれ、往時のCGや発掘された瓦などを見た記憶がある。 遺跡に着くと、すでに10人以上のジジババがベンチに座り、日向ぼっこを楽しんでいた。 頼朝が義経を匿った奥州藤原氏を滅ぼした罪滅ぼしに建設した、浄土庭園に囲まれた壮麗な寺院だったが、室町時代に炎上して跡形もなくなってしまった。 往時は宇治の平等院のようだったというが、多くを失ったが寺の体裁を残す金沢文庫の称名寺と比べてみても、実際きれいサッパリ何も残っていないのだ。 鎌倉の130余りの寺社で鎌倉時代に建てられて残っている建物は、一つもない。その意味で歴史はあくまでも記憶の中にあるとも言え、その記憶・想念が、焼失したり、自然災害で失われた建物を再び作らせ、今に形として残っているのだ。 永福寺の中心の建物「二階堂」を飾っていた「九品(くぼん)の荘厳」、すなわち運慶が彫ったであろう9体の阿弥陀如来像を想像することは、何とも楽しいが、それにしても頼朝の建てた最も壮麗な寺の記憶が歴史(人々の想念)からすっぽりと抜け落ちているの...
Read more史跡永福寺跡(しせきようふくじあと)は公開活用に向けた整備工事が終了し、平成29年6月から整備範囲を全面公開しています。
鎌倉宮から歩いてきてテニスコート入口を左に入ると永福寺跡に入れるゲートに行き着く。ゲートは他にも4ケ所あります。
特に「天園ハイキングコース獅子舞方面」に行きたい場合は、永福寺跡の園内を通過して階堂川に架かる「亀ヶ渕橋」を目指す方が二階堂川に架かる瑞泉寺方面の「通玄橋」を左に行くより幾らか時間短縮できます。注意は永福寺跡の開場時間尼注意してください。 (4月から10月までの間は午前9時から午後5時まで) (11月から3月までの間は午前9時から午後4時30分まで)
◆鎌倉市HP◆ 永福寺は源頼朝により建久3年(1192年)、奥州合戦で亡くなった弟・義経や藤原泰衡ら数万の霊を供養するために建てられた大寺院。応永12年(1405年)の火事で焼失したといわれ、現在は廃寺。発掘調査により本堂、阿弥陀堂、薬師堂の三堂が横に並び、その前面には広い池が作られ、中の島や釣殿がある浄土式庭園を持つ壮大な寺院の遺構が確認されている。現在は、鎌倉時代を代表する遺跡として国の史跡に指定され、史跡を生かした公園として整備工事が完了し一般開放されている。
2016/03/01に瑞泉寺に参拝途中寄ったときは、最終整備中で池の水は...
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