ここは川越城の最高所であり、かつては天守に相当する富士見櫓が威容を誇っていました。新たな観光資源として象徴的な建造物が欲しい川越市は、長年再建の道を模索しています。 一般人にとっての「城」とは天守閣に他ならず、土塁や石垣、空堀は勿論のこと、全国に2カ所しか残っていないという川越市自慢の本丸御殿も、正直なところ城のウチに入ってないですからねぇ。(笑)
しかし、現状この富士見櫓跡は木が茂るままになっています。決して川越市に予算が無かった訳ではなく、建築出来ない別の事情があるのです。端的には文化庁の「史跡等における歴史的建造物等の復元の取扱いに関する専門委員会」の審査というものがありまして、これをクリアしないと建築許可が出ないのですよ。 分かり易く言うと、この土盛り自体も立派な文化遺産なわけで、建築物を載せるために土塁を削ったり掘ったりして、元に戻せない形で変更するならば相応の根拠があり、100%昔のままに復元するのでなければ許さねえぞ! と言うわけです。 観光先にありきで見栄えばかりを重視した、いい加減な考証での歴史的建造物が一時期横行したことへの反省から生まれたモノです。 ただ、それが行き過ぎて根拠としての内部構造の分かる古写真(外見写真だけではダメらしい)や当時の大工の残した設計図面(そもそも軍事機密に属するので残りにくい)が絶対必要だとされていて、ムチャ振りもいいとこです。 そのため例えば四国高松城では懸賞金3000万円まで出して、一般に資料の提供を呼びかけている程です。富士見櫓もまだ一級の資料は出ていないようです。 川越市が懸賞金を賭けているかどうかは知りませんが、資料を提出できたら神のように感謝され、名誉市民は間違いないでしょう。(笑)アナタもどうですか、蔵に写真や図面はありませんかね?。 幸い、今年2020年から審査基準が緩くなり、どうしても構造上分からない所があって100%が無理なら、多少は推定部分を入れてもよくなったらしいです。でも富士見櫓の場合は2階か3階かすら分かってないからなぁ・...
Read more高台の櫓跡に上がりました。 周りは樹木等で視野が遮られていますが築城当初は周囲の状況は一目瞭然でしたでしょう。 下の平地から高校野球部部活の喚声と金属バット音が聞こえてきます。 (富士見櫓)は本丸の西南に位置し大手門側(城の正面)から攻め込んでくる敵方と対峙しました。 上リ口に設置の案内板を要約すると天守を築城当初から持たない川越城は天守の代わりに3箇所の櫓を物見と防戦の足場として築き、その内の一番高い櫓が(富士見櫓)でした。 慶応2年(1866年)の記録には富士見櫓は長さ15メートル、幅14メートルと残っています。 暫く佇んでいると3才位の女の子とお父さんが下から石段に設置の手摺に掴まりながらゆっくりと上がってこられました。(すごいねぇ~頑張ってよくここまで来たねぇ)と声をすると女の子はにこり😊として(うん!)とペコリ頷きました。 お父さんも手を引きながら笑顔を返してくれました。 (富士見櫓跡)は市民の憩いの散歩コー...
Read more御岳神社が祀られているこの高台はかっては川越城の富士見櫓が建てられていたところ 城の中で一番高いところにあった富士見櫓が天守閣の代わりとなっていたと考えられます 富士見櫓の名の通り遠くは富士山までも望めたことだろう
正確な 規模は分からないが慶応2年1866年に川越城を 計測 した記録によれば長さ8間3尺(15 M) 横8間(14 M )あったと記されている 以上 説明看板より抜粋 現在 浅間神社に登る左側の道は 立ち入り禁止に なっていますが右側に コンクリートの階段の道があり 上まで登ることができます
階段を上る途中と 浅間神社 横 に花手水が 2箇所に置いてあり時々良い匂いがしわくわくし ここの魅力になっております 2021年 7月10日写真参照
頂上は残念ながら 近くに高い建物が建っており 富士山は見えません...
Read more