八坂神社から円山公園を抜けた最奥にあるのが時宗の「慈圓山 安養寺(じえんざん あんようじ)」になります。 通称「吉水草庵(よしみずそうあん)」とも言われます。
延暦年間(782年~806年)に最澄が創建したと伝わる。 法然上人が30数年間ここを本拠にし後に親鸞上人も入信して念仏発祥の地「吉水草庵」として有名である。
次第に衰微したが1385年(至徳2年)国阿(こくあ)が入寺して、時宗に改め再興された。 「勝興庵正阿弥」「長寿庵左阿弥」「花洛庵重阿弥」「多福庵也阿弥」「延寿庵連阿弥」「多蔵庵源阿弥」の6つの子院があり「六阿弥」「円山の六坊」などと呼ばれた。 江戸時以降に六阿弥坊が席貸しの営業をはじめ、景色の良い貸座敷として民衆が集まり遊興場となり賑わった。その中の重阿弥が赤穂浪士が円山会議を開かれたりした他、坂本龍馬、中岡慎太郎といった幕末の志士たちが利用していたことでも知られる。
明治時代になると明治初年に廃仏毀釈の一環として、1871年(明治4年)に上知令によって土地が政府に没収され、六坊は廃寺され、現在は、山門、阿弥陀堂・書院・聖天堂及び飛地の境内である弁天堂と料亭「左阿弥」を残すだけとなった。 明治期に土地の没収があったが慈圓山安養寺の山号である慈円山が円山公園の名称のもとなっています。
境内は山門から階段を登った先に阿弥陀堂・書院がある。なお、道中の階段左右が墓地となっている。境内から約50メートル南へ下った所に境外堂である吉水弁財天堂があります。 吉水弁財天堂の傍らにこの吉水の地の名前の由来となった「吉水井」と呼ばれる涸れた井戸が残されている。...
Read more山号の“慈円山”が“円山”の由来であると云う。(その山号は平安末〜鎌倉の僧 “慈円”* に由来する) 50mほど南にある吉水弁天はこちらの鎮守社である。弁天の横に吉水という井戸があり, 霊水として知られ, この辺りの地名にもなったと云う。 (つまりかつての地名“吉水”も, 今の“円山”も, こちらに由来ということです)
(*1192年の鎌倉初年以来4度も天台座主を努めた人物. 諡号 慈鎮和尚, 通称 吉水僧正, 百人一首では“前大僧正慈円” (サキノ ダイソウジョウ ジエン). 1155-1225年)
なぜかあまり知られていないが, 語りたくなる歴史に満ちている。
元は天台宗で, 桓武天皇の勅命→最澄開基*と伝わる。 (*付近の長楽寺, 雙林寺, 少し離れて正法寺も同様の寺伝を持つ様ですので, 元は1つの組織だったのではないでしょうか)
平安末(1175), 法然が元黒谷・現黒谷を経てここ吉水の地に草庵を開き本格的に専修念仏の布教活動開始。 後に(1201)親鸞らも加わり, 吉水教団と呼ばれる。
南都+北嶺による教団への弾圧が続き, 加えていわゆる“鈴虫松虫事件”が発生, 1207年,...
Read more2023,3/6 知恩院の大鐘楼の近く、皆さん覗くんだけど、帰ってしまうんだな😢
あの比叡山と同じ延暦年間(782~806)に最澄が創建、法然がここを本拠に教えを施し、親鸞も浄土念仏の教えを始めたというゆかりの草庵らしい。
石段を登ると本堂、本尊には阿弥陀如来像、両脇に法然上人、親鸞聖人像も… ここは靴脱いで、自分で戸を開けて拝観する様にとの説明がある。案内図では更に奥に書院や聖天堂も有るがここ迄。
少し下がると"円山の弁天さん"と呼ばれた、祇園花街の人々からの信仰を集めた"吉水財弁天"に、法然上人が使われたという"吉水"という井戸も残っています。
その後、赤穂浪士が円山会議を開いたとか、坂本龍馬や中岡慎太郎の名前も出て来る。あぁもったいない、歴史...
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