This shrine to the spirit of silk worms is older than the city and associated with the Hata clan of immigrants from mainland Asia who came and settled in the area in the 4th century. They were known for production of silk textiles and many other crafts. The shrine is also thought to have been associated with Nestorian Christianity. The shrine is quiet without a lot of tourists, but very green with beautiful cherry trees in spring. I like to visit for the history, but also for the peaceful and...
Read more木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ、木島坐天照御魂神社)。 通称は「木嶋神社(このしまじんじゃ、木島神社)」や「蚕の社(かいこのやしろ、蚕ノ社)」とも。 式内社(名神大社)、旧社格は郷社。 古くから祈雨の神として信仰された神社であり、境内には珍しい三柱鳥居があることで知られる。との事です。
資料によると、 創建は不詳。一説に、推古天皇12年(604年)に広隆寺創建に伴い勧請されたともいわれる。史料からは大宝元年(701年)の記事以前の祭祀の存在が認められている。
祭祀の淵源には諸説があるが、嵯峨野・太秦周辺は渡来系氏族の秦氏が開拓した地で、広隆寺・松尾大社・蛇塚古墳などの関係寺社・史跡が知られることから、木嶋社もまた秦氏ゆかりの神社といわれる。また現在本殿の東隣に鎮座する蚕養神社は、この秦氏が招来した養蚕・機織・染色技術に因むと推測される。ただし秦氏の渡来以前にも、木嶋社付近では和泉式部町遺跡などの弥生時代頃からの集住を表す遺跡の存在が知られている。
北條勝貴は、『日本書紀』顕宗天皇紀において、阿閉事代という同一人物の関与(コトシロは神の言葉を預かり述べる象徴的な人物を意味するとされる)や、事代に託宣を下すのが高皇産霊命を祖とする月神・日神であるという神格の対応性、祭祀を司る氏族がともに玄界灘の島を本拠とし卜部を出す壱岐・対馬の旧国造系氏族であるという祭祀担当者の対応性からすれば、壱岐・対馬の日神・月神が密接な関係にあることは明らかであり、木嶋社が元来対馬氏によって奉祀されていたのか、それとも尾張氏系の氏族によって奉祀されていたのかは不明であるが、顕宗3年2月紀・4月紀に見える、上記のような対応性を考慮すれば、日神を奉祀する木嶋社が葛野の月読神社と地理的に近接している事実は無視できず、日月の両信仰が、ある時期に玄界灘から畿内地方へともに移植され、両社もそれらと軌を一にして創建されたものではないかとしている。
国史での初見は『続日本紀』大宝元年(701年)条で、山背国葛野郡の「木島神」のほか月読神・樺井神・波都賀志神の神稲を同年以後は中臣氏に給すると見える。
元糺の池の中には三柱鳥居(みはしらとりい、三ツ鳥居/三面鳥居/三角鳥居)が建てられている。これは柱3本を三角形に組み、3方から中心の神座を拝することを可能とする珍しい形式の鳥居で、「京都三鳥居」の1つに数えられる。中央の神座は、円錐形に小石を積み、中心に御幣を立てて依代としたものである。この鳥居の起源等は詳らかでなく、秦氏の聖地である双ヶ丘・松尾山(松尾大社神体山)・稲荷山(伏見稲荷大社神体山)の遥拝方位を表したとする説などがある。 とあります。
主祭神:次の5柱。 ・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) ・大国魂神(おおくにたまのかみ) ・穂々出見命(ほほでみのみこと) ・鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと) ・瓊々杵尊(ににぎのみこと)。
『延喜式』神名帳における祭神の記載は1座。同帳では「木嶋坐天照御魂神社」と記載されるが、この社名は「木嶋(地名)に鎮座する天照御魂神の社」という意味であるため、本来は「天照御魂神(あまてるみむすびのかみ/あまてるみたまのかみ)」を祀った神社とされる。神名帳では、山城国の木嶋社のほかにも大和国・摂津国・丹波国・播磨国・対馬国などに天照御魂神・天照神・天照玉神を祀る祠の存在が見られるが、これらは天照大神(皇祖神)とは別の神格の太陽神と考えら...
Read moreThe popular name for the shrine is Kaiko (silkworm) no Yashiro (shrine). It was probably founded some time before C6th by the dynamic Chinese immigrant Hata family, who brought silk technology with them. The unusual feature is a triangular torii gateway. Legend has it that the structure represents the Christian Trinity, suggesting that at one time, the shrine may have served as a kind of church. Located in an occasionally filled pond, the torii may have been a...
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