●●* Osake Shrine 大酒神社 ●●* Osake Shrine is located right next to Koryuji on its east. According to the official record of history in Koryuji, it is believed to be founded by Hata clan which came to Japan from Israel in 5 to 6th century. The deity enshrined here is the first emperor of Hata clan ( Shikoutei ). The Hata clan is believed to have developed this entire area of Uzumasa in ancient times. According to the historical research by expert scholars, the part of its name 酒 has nothing to do with drinking sake. One assumed that it ame from the verb 避ける " Sakeru " means to avoid to avoid troubles in life. Another assumption is that Hata Clan opened the land of Uzumasa by ripping through the ground with their advanced civil enginnering method. In Japanese 裂く " Saku = rip ". There is a large stone monument of Hata Clan with a mysterious hole since their deity is in a form of a rock. 大酒神社(おおさけじんじゃ)は、京都府京都市右京区太秦蜂岡町にある神社。式内社で、旧社格は村社 『延喜式』神名帳での祭神の記載は1座。同帳では「大酒神社 元名大辟神」とあることから、元の神名は「大辟神」であったことが知られる。大酒神について、広隆寺の縁起である『広隆寺来由記』(山城州葛野郡楓野大堰郷広隆寺来由記、明応8年(1499年)成立)では秦の始皇帝の祖神とし、日本に渡来した功満王(秦始皇帝の後裔、秦氏遠祖)が勧請したとする。伝承自体の真偽は明らかでないが、伝承に見えるように古くから太秦一帯を開発した秦氏の氏神であったと推測され、史書に見える秦酒公(はたのさけのきみ)と大酒神を関連づける説もある。近年の研究では、元の神名の「大辟(大避)」から、「災厄を避ける(遠ざける)」いわゆる道祖神とする説が挙げられている。この説では、『空華日工集』・『広隆寺縁起』において神体が石と記されることと、一般に石神の多くが猿田彦神(道祖神)とされることとが関連づけて指摘される。一方、「オホサケ」を「大裂」の意とし、土木技術によって大地・川を裂き開拓を行なった秦氏をたたえる神格とする説もある。 To visit Konoshima Shrine ( Kaiko no Yashiro ) go along Sanjo street along the railroad toward east until you come to the station. There you will see its first tori gate on your left leads to the shrine in the north. ( Trans-word+ : TGM...
Read more大酒神社(おおさけじんじゃ)。京都市右京区太秦蜂岡町。 式内社(小)、旧社格は村社。
資料によると、 『広隆寺来由記』によると、仲哀天皇四年、秦始皇帝の裔・秦氏の祖功満王が来朝し、始皇帝の祖霊を、広隆寺に祀ったのが当社であると云う。 もとは広隆寺桂宮院内にあったが、明治になって神仏分離のより遷座されたという。
ということで、祭神は、秦始皇帝とされており、秦氏との関連が指摘されているが、諸説あるようだ。秦氏ゆかりの広隆寺の鎮守の一つでもある。
延喜式神名帳には、「元名大辟神」とあり、オオサケの神、つまり、悪疫・悪霊を避けるためのものとされいる。
このように古代の祭神の神格は不詳ながら、明治16年(1883年)の神社明細帳では上記5柱が祭神として記され、現在に継承されている。
当社の牛祭は天下の奇祭として有名で、牛に乗った摩多羅神が四天王を従えて疫神鎮送を行うらしい。 とあります。
主祭神:秦始皇帝、弓月王(ゆんずのきみ)、秦酒公(はたのさけのきみ)。 相殿神:兄媛命(えひめのみこと) -...
Read more太秦の地は、秦氏ゆかりの史跡、社寺が多い。写真の大酒(古くは大辟)神社は、広隆寺(秦氏の氏寺)の伽藍神(がらんしん=寺院守護の神)であったが、明治期の神仏分離により寺の東へ移動した。祭神の一つは、秦の始皇帝。紀元前221年、中国史上最初の統一国家、秦を築き、法治主義、万里の長城などで有名な人物である。5世紀頃、朝鮮半島から日本へ帰化し、文化、技術を伝えた秦一族とこの始皇帝に直系的な繋がりがあるのかは不明だが、姓を同じくする著名な皇帝を、一族の始祖として祀ることにより、この地での結束を強固なものとしたのであろう。10月12日に行なわれる広隆寺の牛祭りは、もと大酒神社の祭礼で、京都三大奇祭の一つとされている。夕刻、牛にまたがった摩多羅神(またらしん=特異な姿、複雑な成り立ちを持つとされる天台宗の神)が、境内をねり歩くのである。異形の面を付け、装束、行動が奇怪ら祭として古くから人々に知られている。晩年、不老不死の妙薬を求めて東西をさ迷い歩いたという秦の始皇帝の情念が、時空を超え、この牛祭りに...
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