武井神社(たけいじんじゃ)。 旧社格は村社。 妻科神社・湯福神社とともに善光寺三社(善光寺三鎮守)と言われる。との事です。
資料によると、 諏訪大社の祭神でもある健御名方富命(建御名方神)を祀っており、境内に御柱が建てられている。諏訪大社の御柱祭と同じ寅年と申年に、武井神社、妻科神社、湯福神社の善光寺三社に水内大社を加えた4社が交替で勤行する。
社名のいわれは、信濃宝鑑に諏訪大社の領地を武井(武居)といい、同じ御祭神を奉祀することから武井神社と称す説と、神官武居祝(武井祝=たけいほうり)一族が奉齋したことから武井神社と称したという説がある。上古は、武井明神・諏訪明神と呼ばれていた。現在の社名となったのは、文化4年(1807年)である。武井神社が鎮座する場所は、古い地図に、字(あざ)武井、南側の道路を武井小路と記されている。
また、かつて北に接して武井えびす社(現西宮神社)があった。
雷電の力石:昔、神社の南東に川があり、そこにかかっていた橋を武井橋といった。この重い石橋を運ぶのに困っていたところ、善光寺へ相撲の巡業に来た雷電為右衛門が通りかかり、ここに動かしてくれたのだという伝承が残っている。また、この石の上に子供が立つと丈夫に育つといわれている。 とあります。
主祭神:建御名方命。 相殿神:...
Read more善光寺表参道の東、国道406号に面して鎮座。 妻科神社(式内社)、湯福神社とともに善光寺三鎮守の一社。
境内の由緒案内には創建時期などは書かれていないが、一説には持統天皇の御代の創建という古社。 社名の由来についてはいろいろな説があるが、諏訪大社と同様の神事(御射山祭、御柱祭)が当社でも伝わっていることから、個人的には諏訪大社下社の武居祝(今井氏)による神社ではないかと思う。 現在のご祭神は建御名方命を主祭神としているが、武居祝による創祀だとすると、武居祝の祖神である武居大伴主神かその御子神(武居恵比寿神)が当初の祭神であったかもしれない。 武居大伴主神は建御名方神が諏訪に入る前の神であると考えられていて、洩矢神とともに建御名方神の諏訪入りを拒否し、迎え撃つが敗れてしまい、建御名方神に仕えることになったという伝承がある。御子神という武居恵比寿神の恵比寿も夷(蝦夷)の意味なのだろう。 ちなみに諏訪大社上社の大祝は建御名方神の後裔である諏訪氏、その下の神長(かんのおさ)には洩矢神の後裔の守矢氏。諏訪大社下社の大祝は当初、多氏系の科野国造である金刺氏、その下の五官の筆頭は武居大伴主...
Read more善光寺七社のひとつであり、妻科神社と湯福神社と共に善光寺三社とも言われてます。
創建は持統5年(692年)頃と言われていて、社名の由来は、諏訪大社の領地が古く武井(武居)と呼ばれていたとする説と、神官の武井祝一族が由来とする説等がある。 昔から武井明神、諏訪明神と呼ばれていたそうで、この長野善光寺の地にも諏訪独特の信仰が古くから根付いていたのである。
御朱印を頂きに参拝。 書き置きの物を拝受。授与所にあるインターホンを押すと、参道を挟んだ向かいのご自宅から出てきてくださいます。
こちらでは他に兼務社である、城山の健御名方富命彦神別神社と、本郷駅近くの美和神社...
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