【内訳】 銅門の後 Aloounemon care restoation 指容簽焱跡 鋼門は、住吉堀の復元事業と併せて昭和58年(1983) から平成5年(1993)まで発掘調査が行われた後、平成5 〜7年(1993~1995)にかけて、”発や梅答石垣復元 工事が、平成8、9年(1996、1997)にかけて、濃門や土塀の復元工事が、日本古来の伝統的な工法で行われました。 原品一以KzAtia1t A e No ApCltrale 系安山岩が使われています。 建築工事は、小田原市建築協同組合が受け負い、復元にあたっては、宮大工の芹澤伸明氏が棟染を務め、市内の大工職人や近隣の左官職人らの匠の技が結集されました。 復元に使われた木材のうち、鏡柱など14本の檜材は、ラオスから輸入しています。また、天井の大染2本は、国産の黒松を使用し、丸い刃が付いたハマグリにより、鉄のような風合いの加工がされています。これらの檜や松は樹齢200年を超える大木が使われています。 Stone walls in the Masugata (a square courtyard) of Akagane-mon Gate were restored from 1993 to 1995 first, followed by the restoration of Yagura-mon (a gate with turret). The restoration of the stone walls and Yagura-mon were done usina traditional construction methods. 14 pillars of the gate were restored with Hinoki (Cypress) imported from Laos. Two ceiling girders are made from Japanese black pine with a fish scale texture on the surface carved by Hamaguri Chouna (hatchet with a round, clamshell-shaped blade). 宮内庁に描かれた江戸時代前期の銅門 Akagane-mon Gate drawn circa 1697 宮内庁書後品局 差子 小田原城並見附図に描かれた銅門の規模 Size of Akagane-mon Gate drawn circa 19c 竣工時の銅門 After completion Akagane-mon Gate 渡櫓内部 Inside the Yagura (turret) 土塀の左官工事 渡櫓の屋根工事 大扉の銅板設置工事 Plastering of the earthen walls Construction of the Yagura ceiling Copper plate construction of the large...
Read more令和5年8月12日に行って来ました。鱗上に装飾された天井の大梁や瓦屋根の模様が見事でした。
【銅門】 銅門は、小田原城二の丸の表門にあたる桝形形式の城門で、渡櫓の門扉や鏡柱に耐火を兼ねた銅の装飾がなされていることから、この名で呼ばれています。馬屋曲輪から住吉橋を渡って、枡形正面の埋門 (うずみもん) 形式の「内仕切門」を潜って枡形内部に入ります。枡形を西に折れると「銅門渡櫓門」となります。 渡櫓門は、幅約 6m、長さ約 23m、高さ約 12m の規模で、渡櫓に「石落とし」と呼ばれる敵を撃退するための仕掛けが設けられていました。 銅門は、明治 5 年 (1872) に解体されましたが、発掘調査により石垣の位置が明らかになり、城絵図や古写真などから復元設計が検討されて、平成 5 ~ 7 年 (1993 ~ 1995) にかけて桝形や櫓台石垣が、平成 8、9 年 (1996、1997) にかけて渡櫓門や土塀が、日本古来の伝統的な工法で復元されました。
【銅の復元】 銅門は、住吉堀の復元事業と合わせて昭和 58 (1983) から平成 5 年 (1993) まで発掘調査が行われた後、平成 5 ~ 7 年 (1993 ~ 1995) にかけて、桝形や櫓台石垣復元工事が、平成 8、9 年 (1996、1997) にかけて、渡櫓門や土塀の復元工事が、日本古来の伝統的な工法で行われました。 石垣の復元工事には、関東大震災で住吉堀に崩落した石材に加え、角石に真鶴産小松石 (安山岩) 平石に、蔵王山系安山岩が使われています。 建築工事は、小田原市建築協同組合が請け負い、復元にあたっては、宮大工の芹澤伸明氏が棟梁を務め、市内の大工職人や近隣の左官職人らの匠の技が集結されました。 復元に使われた木材のうち、鏡柱など 14 本の櫓材は、ラオスから輸入しています。また、天井の大梁 2 本は、国産の黒松を使用し、丸い刃が付いたハマグリ釿 (ちょうな) により鱗のような風合いの加工がされています。これらの櫓や松は樹齢 200...
Read more銅門と書いて"あかがねもん"と読みます。銅門は、江戸時代の小田原城二の丸の表門で、明治時代に小田原が廃城になり解体されるまで、江戸時代を通して防御の要となっていた門です。
小田原城の天守閣へは、大手筋にあたる馬出門土橋から城内に入り、銅門を通って二の丸御殿や本丸、天守へと進むようになっています。 銅門の名前は、大扉などに使われた飾り金具に、銅が用いられたことに由来しているそうです。
現在の銅門は、昭和58年から行われた発掘調査や古写真、絵図などを参考に、平成9年に復元されたもので、石垣による桝形、内仕切門及び櫓門を組み合わせた桝形門と呼ばれる形式で、本来の工法で復元されているものです。
銅門は、毎週土日および祝日に、普段立ち入ることができない銅門内部の特別公開が無料で行われています。 城を攻めてきた敵を銅門の上から石を落として防御する窓が床に幾つもあります。土日祝日だったらちょっと立...
Read more