石坐神社(いわいじんじゃ)。滋賀県大津市西の庄。
式内社(小)、旧村社。
主祭神: 八大龍王宮 豊玉比古神(海津見神) 彦坐王命 正霊天王宮 天智天皇(天命開別尊) 大友皇子(弘文天皇) 伊賀宅子媛命
資料によると、 創祀年代は不詳。 社伝によると、瀬田に設けられた近江国府の初代国造・治田連が その四代前の租・彦坐王命を茶臼山に葬り、その背後の御霊殿山を神体山(神奈備)として祀ったのが創祀。
天智天皇八年に旱魃があり、 その時、毎夜琵琶湖湖水から御霊殿山に竜燈が飛んで行った。 里人の奉聞により派遣された勅使の前で、竜燈は小童に姿を変え 「われは海津見神の幸魂である。旱害を除いてやろう」との託宣があり、勅令により御霊殿山に海津見神を祀ったという。
この幸魂は彦坐王命の霊であると言われ、 毎年、九月九日に祭典を行い、旱天の時は炬火を点じて登山し雨乞いを行うと、かならず霊験があったという。
壬申の乱の後、近江朝の神霊である天智天皇、大友皇子、皇子の母宅子媛を弔祭できるのは 一乗院滋賀寺のみとされ、他で祭祀することが禁じられていた。 そこで、持統天皇の朱鳥元年に滋賀寺の僧・尊良法師が王林に神殿を建て、 御霊殿山の霊祠を遷すとともに相殿に、密かに祀り、この時から八大龍王宮とも石坐神社とも称したという。王林は、今の錦駅付近で、昔は石坐野、後に石神町と呼ばれた地域。
光仁天皇の宝亀四年、石坐神社に正一位勲一等が授けられ、 「鎮護国家の神社なり」との勅語を賜り、近江朝の三神霊が、公式に石坐神社祭神と認められたという。
よって、当社は彦坐王命(海津見神)を祀る八大龍王宮と 近江朝の三神霊(天智天皇、大友皇子、伊賀宅子媛命)を祀る正霊天王宮を合わせたもの。
鎌倉時代の文永三年(1266)、現在地に粟津八宮の一つとして遷座再建。 一説には、佐々木(六角)高綱は源義仲追討の際、宇治川の先陣をつとめたあと、当地に勧請したとも。
明治になって高木神社と改称し、大正六年旧石坐神社に戻したという。 高木神社と呼んだのは、高い木の下にあったからだという。
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