学生の時以来の参詣です。 私は源義仲公の大ファンなので京都在住の折りはよく義仲寺に足を運んでいました。 今回はお寺の御厚意により墓前で法華経の自我偈と普門品偈を唱えさせていただきました。 義仲公は悲運な武将ではありましたが男気のある立派な武将であったと確信しています。 朝日堂に長男の源義高公と仲良く眠っておられることでしょう。 また、折を見て参詣します。 『平家物語』や『源平盛衰記』等には義仲公を田舎者で粗野なイメージで語られていますが、実像はかなり違っています。 義仲公は二歳の時に父親の義賢公を同族の義平に討たれ、次男だった駒王丸(義仲の幼名)にも殺害命令が下りますが、畠山氏や斎藤氏の尽力により信濃国木曽谷に落ち延び逞しい青年に成長します。 木曽次郎と呼ばれて木曽谷の暖かい人々の中で成長したせいか、おおらかで優しい性格だったようです。 長野県木曽町には義仲公に纏わる話がいくつも伝わっていますが、敵方の子供を殺さず我が子として養育し、平家追伐の際には幼い頃に世話になった敵方の武将の亡骸を抱き締めて号泣するなど愛すべき人間味溢れる方だったようです。 幼くして親を亡くし、頼朝や義経と違い木曽山中で育ったので都の貴族社会の儀礼には疎く、それか悲劇を招く一因にはなりましたが、息子の義高はじめ子供たちには教養を身につけさせるなど立派 に養育しています。 江戸時代の俳人、松尾芭蕉はこよなく義仲公を愛し、自らの死に際して墓は義仲公の隣にするよう門弟に遺言し、その通り、義仲寺に眠っています。 あの気難しい文豪、芥川龍之介も義仲公の心の大きさ、男気溢れる人間性を絶賛しています。 私は勝つためには手段を選ばなかった義経や、弟さえも死に追いやった頼朝よりも、芥川龍之介が評するように大失敗の人生だったかも知れませんが義仲公が人として大好きです。
義仲寺には近江粟津で討たれた義仲公の胴体が葬られています。首塚は東山の八坂の塔のある法観禅寺にあります。 法観禅寺は拝観不可ですが、五重塔に向かって左側の板塀の隙間から首塚に合掌することが可能です。
ご参考まで。。
追記 昨日(令和4年6月4日)、安田念珠店の帰りに足を伸ばして法観禅寺に立ち寄ったところ思いがけず拝観できました。 初めて目の当たりに朝日将軍木曽義仲公の首塚を拝し感激もひとしおです。 前回のお参りの際に念珠が傷み、その修理に安田念珠店に用事が出来て、その帰り道だったので、なにかしら義仲公に思いが通じたのかも知れないと勝手に思っています。
追記 本日(令和4年7月18日)安田念珠店の帰りに法観禅寺の木曽義仲公首塚に参り、京阪祇園四条駅→京阪東福寺でJR奈良線に乗り換え京都で琵琶湖線に乗り換えて膳所で下車して義仲寺に参詣しました このコースが義仲公首塚(法観禅寺)と義仲公胴塚の両方を参詣する最短かと思われます。
追記 本日(令和4年8月6日)大阪から快速電車で膳所に直行し義仲寺に参詣しました。 義仲公、巴御前、松尾芭蕉翁に信州の名水をたっぷり召し上がっていただき、法華経を唱えて菩提を弔いました。 関西に転居したので、これからは月に一度は参詣したいですね。
追記 本日(令和4年9月6日)1か月ぶりに参詣しました。 いつも近くの自販機で買ったミネラルウオーター(南アルプスの天然水)をタップリ召し上がっていただくのですが、今日は間違えて強炭酸レモン水を召し上がっていただきました。 ごめんなさいm(_...
Read moreThis random temple in the middle of a residential neighbourhood enshrines Minamoto no Yoshinaka, but more importantly, the legendary Tomoe Gozen. In short, Tomoe Gozen was a Heian period female samurai who is famous for her great strength, fighting alongside and leading the men, killing men with her bare hands. When her army was defeated, she married her childhood friend Minamoto no Yoshinaka. When he died, the story goes that she guarded his grave for the rest of her life, refusing to give her real name, and dying at 90 years old.
Anyway, it's unlikely that her grave is really at this site, and records for women are bad in this period in history. That said, just outside of the temple is her jizo statue, in a small room filled with lanterns, offerings, candles, incense.
If you visit, the site is managed by two women with extensive knowledge of all the kami enshrined here. There are documents in Japanese and English available. Anyway, the dedication is truly beautiful. I appreciate this place very much. My heart is happy. Thank you so much.
By the way, you can get omamori and goshuin of hour preferred kami. Just fantastic for those who care...
Read more写真の撮影日時は2025.10.15(水)07:17。前日から、10.15の朝に行こうと心に決めていた。“決めて”なのだが、確かに興味があって、Wikipedia や、観光案内についてのウェブサイトでも調べたが、本当は義仲寺の入口脇(お寺の敷地内)に地蔵堂があり、そちらに参(詣)ろうと思っていた。つまり、お寺の中にある木曽義仲(源義仲)・松尾芭蕉の御墓、巴塚(源義仲死期近くまで共に居た…義仲のそばに仕えた“巴御前”の塚)などはあまり興味がなかった。“仏”という言葉には大きく分けると2つの意味があると思うが、一つはいわゆる釈迦牟尼仏・毘盧遮那仏・阿弥陀如来などの仏さまや観音・普賢・文殊・弥勒などの菩薩と、生きていた人が亡くなったときの呼び方(例えば刑事ドラマなどで殺人事件に臨場した刑事や鑑識官などが、「亡くなったホトケさんの死亡推定時刻は…」などという)“仏さま”である。そういう仏さまの供養の仕事はそのお寺に墓地があるならばそのお寺の住職などの務めで、我々部外者には言及の余地がない、というのがわたしの考えである。話を義仲寺及び地蔵堂に戻すが、朝早すぎてお寺の正門も地蔵堂も閉まっていた。“本日閉門”という札もかけてあったが、通常毎週月曜日以外は開門しているはずであるから、開門時間の09:00には開くのだろう。だから、掲載する写真はすべて“門前”のものである。義仲寺を調べると先述の木曽義仲・巴御前・六角義賢・松尾芭蕉・蝶夢法師・保田與重郎などという名前が挙がるが、その中に面白い人物がいた。“フィクサー”三浦義一である。彼は大分県出身で父は過去に大分市長を務めた三浦数平である。そして、義一は母・操との間の長男であるが、5人の兄弟姉妹がいる。今回は参考として義仲寺の再建に多財を投じた三浦義一の基本データについて簡単に記す。参考は Wikipedia の義仲寺、三浦義一、下山事件、三鷹事件、松川事件など及び紀伊國屋書店ウェブサイト Kinoppy の『歌集悲天』など。すべて敬称略。また、義仲寺への最寄り駅は、JR膳所駅、京阪電鉄膳所駅など。( JR...
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