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Gichuji — Attraction in Otsu

Name
Gichuji
Description
Gichū-ji is a Tendai Buddhist temple in the Baba neighborhood of the city of Ōtsu, Shiga Prefecture, Japan. Its honzon is a statue of Shō-Kannon Bosatsu. It contains the grave of the late Heian period warlord Kiso Yoshinaka and the Edo period poet Matsuo Basho.
Nearby attractions
Biwako Hall
15-1 Uchidehama, Otsu, Shiga 520-0806, Japan
Otsushi Asobinomori SL Park
4 Chome-2 Nionohama, Otsu, Shiga 520-0801, Japan
Nearby restaurants
Trasparente
Japan, 〒520-0802 Shiga, Otsu, Banba, 1 Chome−11−2 膳所 駅前 通り 第 13 森田 ビル 1F
Yorimichi Pan
1 Chome-11-34 Banba, Otsu, Shiga 520-0802, Japan
Kanekichi
1 Chome-10-18 Banba, Otsu, Shiga 520-0802, Japan
Mimikaikai Zezeten
Japan, 〒520-0802 Shiga, Otsu, Banba, 1 Chome−4−30 スペースVANVA1 1F
天ぷら割烹 湖都 臣
Japan, 〒520-0802 Shiga, Otsu, Banba, 1 Chome−4−30 スペースVANVA1 106
Shichifuku
1 Chome-4-20 Banba, Otsu, Shiga 520-0802, Japan
Yoshinoya Otsu Zeze
3 Chome-1-57 Nionohama, Otsu, Shiga 520-0801, Japan
sandhya
1 Chome-3-3 Banba, Otsu, Shiga 520-0802, Japan
Chanpontei Oh ! Me Otsuten
Japan, 〒520-0806 Shiga, Otsu, Uchidehama, 14−30 Oh!Me大津TERRACE 6F
Nigiri Chojiro Zeze
3 Chome-1番45号 Nionohama, Otsu, Shiga 520-0801, Japan
Nearby hotels
Hotel Piazza Biwako
Japan, 〒520-0801 Shiga, Otsu, Nionohama, 1 Chome−1−20 2階
Ayaha Lakeside Hotel
3 Chome-2-25 Nionohama, Otsu, Shiga 520-0801, Japan
Hotel Alpha-1 Ōtsu
2 Chome-6-28 Umebayashi, Otsu, Shiga 520-0051, Japan
苔生宿/Koke-Musu:inn
17-19 Kinoshitacho, Otsu, Shiga 520-0812, Japan
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Keywords
Gichuji tourism.Gichuji hotels.Gichuji bed and breakfast. flights to Gichuji.Gichuji attractions.Gichuji restaurants.Gichuji travel.Gichuji travel guide.Gichuji travel blog.Gichuji pictures.Gichuji photos.Gichuji travel tips.Gichuji maps.Gichuji things to do.
Gichuji things to do, attractions, restaurants, events info and trip planning
Gichuji
JapanShiga PrefectureOtsuGichuji

Basic Info

Gichuji

1 Chome-5-12 Banba, Otsu, Shiga 520-0802, Japan
4.2(179)
Open 24 hours
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spot

Ratings & Description

Info

Gichū-ji is a Tendai Buddhist temple in the Baba neighborhood of the city of Ōtsu, Shiga Prefecture, Japan. Its honzon is a statue of Shō-Kannon Bosatsu. It contains the grave of the late Heian period warlord Kiso Yoshinaka and the Edo period poet Matsuo Basho.

Cultural
Family friendly
attractions: Biwako Hall, Otsushi Asobinomori SL Park, restaurants: Trasparente, Yorimichi Pan, Kanekichi, Mimikaikai Zezeten, 天ぷら割烹 湖都 臣, Shichifuku, Yoshinoya Otsu Zeze, sandhya, Chanpontei Oh ! Me Otsuten, Nigiri Chojiro Zeze
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Reviews

Nearby attractions of Gichuji

Biwako Hall

Otsushi Asobinomori SL Park

Biwako Hall

Biwako Hall

4.2

(695)

Open 24 hours
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Otsushi Asobinomori SL Park

Otsushi Asobinomori SL Park

3.9

(38)

Open until 12:00 AM
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Things to do nearby

Learn tea ceremony in traditional Kyoto townhouse
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600-8397, Kyoto, Kyoto, Japan
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Hike to Fushimi Inari along hidden scenic trails
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Explore Kyoto in a Kimono
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Wed, Dec 10 • 9:00 AM
605-0005, Kyoto, Kyoto, Japan
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Nearby restaurants of Gichuji

Trasparente

Yorimichi Pan

Kanekichi

Mimikaikai Zezeten

天ぷら割烹 湖都 臣

Shichifuku

Yoshinoya Otsu Zeze

sandhya

Chanpontei Oh ! Me Otsuten

Nigiri Chojiro Zeze

Trasparente

Trasparente

4.5

(91)

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Yorimichi Pan

Yorimichi Pan

4.0

(84)

$

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Kanekichi

Kanekichi

4.0

(135)

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Mimikaikai Zezeten

Mimikaikai Zezeten

4.2

(56)

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加山哲史加山哲史
学生の時以来の参詣です。 私は源義仲公の大ファンなので京都在住の折りはよく義仲寺に足を運んでいました。 今回はお寺の御厚意により墓前で法華経の自我偈と普門品偈を唱えさせていただきました。 義仲公は悲運な武将ではありましたが男気のある立派な武将であったと確信しています。 朝日堂に長男の源義高公と仲良く眠っておられることでしょう。 また、折を見て参詣します。 『平家物語』や『源平盛衰記』等には義仲公を田舎者で粗野なイメージで語られていますが、実像はかなり違っています。 義仲公は二歳の時に父親の義賢公を同族の義平に討たれ、次男だった駒王丸(義仲の幼名)にも殺害命令が下りますが、畠山氏や斎藤氏の尽力により信濃国木曽谷に落ち延び逞しい青年に成長します。 木曽次郎と呼ばれて木曽谷の暖かい人々の中で成長したせいか、おおらかで優しい性格だったようです。 長野県木曽町には義仲公に纏わる話がいくつも伝わっていますが、敵方の子供を殺さず我が子として養育し、平家追伐の際には幼い頃に世話になった敵方の武将の亡骸を抱き締めて号泣するなど愛すべき人間味溢れる方だったようです。 幼くして親を亡くし、頼朝や義経と違い木曽山中で育ったので都の貴族社会の儀礼には疎く、それか悲劇を招く一因にはなりましたが、息子の義高はじめ子供たちには教養を身につけさせるなど立派 に養育しています。 江戸時代の俳人、松尾芭蕉はこよなく義仲公を愛し、自らの死に際して墓は義仲公の隣にするよう門弟に遺言し、その通り、義仲寺に眠っています。 あの気難しい文豪、芥川龍之介も義仲公の心の大きさ、男気溢れる人間性を絶賛しています。 私は勝つためには手段を選ばなかった義経や、弟さえも死に追いやった頼朝よりも、芥川龍之介が評するように大失敗の人生だったかも知れませんが義仲公が人として大好きです。 義仲寺には近江粟津で討たれた義仲公の胴体が葬られています。首塚は東山の八坂の塔のある法観禅寺にあります。 法観禅寺は拝観不可ですが、五重塔に向かって左側の板塀の隙間から首塚に合掌することが可能です。 ご参考まで。。 追記 昨日(令和4年6月4日)、安田念珠店の帰りに足を伸ばして法観禅寺に立ち寄ったところ思いがけず拝観できました。 初めて目の当たりに朝日将軍木曽義仲公の首塚を拝し感激もひとしおです。 前回のお参りの際に念珠が傷み、その修理に安田念珠店に用事が出来て、その帰り道だったので、なにかしら義仲公に思いが通じたのかも知れないと勝手に思っています。 追記 本日(令和4年7月18日)安田念珠店の帰りに法観禅寺の木曽義仲公首塚に参り、京阪祇園四条駅→京阪東福寺でJR奈良線に乗り換え京都で琵琶湖線に乗り換えて膳所で下車して義仲寺に参詣しました このコースが義仲公首塚(法観禅寺)と義仲公胴塚の両方を参詣する最短かと思われます。 追記 本日(令和4年8月6日)大阪から快速電車で膳所に直行し義仲寺に参詣しました。 義仲公、巴御前、松尾芭蕉翁に信州の名水をたっぷり召し上がっていただき、法華経を唱えて菩提を弔いました。 関西に転居したので、これからは月に一度は参詣したいですね。 追記 本日(令和4年9月6日)1か月ぶりに参詣しました。 いつも近くの自販機で買ったミネラルウオーター(南アルプスの天然水)をタップリ召し上がっていただくのですが、今日は間違えて強炭酸レモン水を召し上がっていただきました。 ごめんなさいm(_ _;)m 義仲公の御墓は古い宝篋印塔で程よく風化しており土壇は苔むして葵が自生しなんとも言えない温かみのある風情です。 御墓からもおおらかなお人柄が偲ばれます 追記 令和4年10月1日、秋空のもと朝日将軍(歴史的には征東大将軍)源義仲公の墳墓に参りました。 今回も南アルプスの天然水2リットルをたっぷり召し上がっていただきました。 今まででお参りの方が一番多かったように思います。 義仲公が如何に偉大な方だったか、あの殺伐とした時代にあって人間らしく生き抜かれたかを多くの人々に認識してもらいたいです。 余談ですが義仲寺で『名香義仲寺』というお線香を買い求めることができます。 たぶん沈香を基調としたお線香だと思うのですが前回買い求めて友人にプレゼントしたところ、たいそう気に入ったみたいで購入を頼まれました。 『名香義仲寺』は自信をもってお奨めできるイッピンです 追記 本日(令和4年12月1日)今年最後のお参りをしました 義仲公、巴御前、芭蕉翁のお墓に参り、真心込めて読経させていただきました 世の中が平穏になりますように、来年こそは良い年になりますように 合掌 追記 本日(令和5年1月5日)本年最初に義仲寺にお参りし、木曾義仲公、開山巴御前、松尾芭蕉翁の御墓に参りました お寺の方々に親切にしていただき感謝に堪えません。 本年も月に一度は参詣したいと思っています 月参り常の如し 令和5年5月2日(晴れ時々曇り) 令和5年6月3日(晴れ) 台風一過の晴天に恵まれ良いお参りができました 令和5年7月2日(曇り時々晴れ) 令和5年8月1日(晴れ時々雲り) 南アルプスの天然水をたっぷりと召し上がっていただきました 暑いですね~☀ 令和5年9月2日(曇り) ほどよく曇っていて御参りしやすかった 令和5年10月6日(晴) 涼やかな風が吹き渡る中の参詣でした 皆様にお別れしなければなりません。私こと加山哲史は不治の病に冒されています。鬼籍に入りましたら、必ず源義仲公、義高公にお仕えいたします。義仲公を裏切り死に追いやった下劣の者共をあらかた成敗することができました。これで義仲公との半分を果たしたことになります。         今の皇室の命運もあまり長くはありません。義仲公の血筋が絶えたので私も此の世に執着は芥子粒程もありません。世間の愚痴の輩は私の事を鬼畜外道の如く罵るでしょうが本当です。イエス·キリストの教えと法華経はその奥底において完全に一致しています。 日本人は人並み原理で自分の脳でものを考えない。みんなが言ってるから、みんながやってるから,と模様眺めで中身がない。KYなんて無知蒙昧な言葉があることが、それを如実に示している。空気を読む必要なんて本来はないのです。聖徳太子が云う「和」とは「万善同帰」の事であり、決して「とにかく仲良くなること」ではありません。各人が自己を追求する果てに万人が帰るべき理法を見出すということです。アイデンティティが脆弱な日本人は、ものぐさで「みんな」という幻に自分の脳みそを預けているだけです。 一部の目覚めた日本人より無知蒙昧の日本人は十倍多いのです。 「寸善尺魔」と言われる通りです。 日本人には内なる道徳律がない。ないから、みんなが残忍なことをすれば、平気で残忍なことができる。国家がどうあれ、法律がどうあれ、上官の命令がどうあれ、自らの道徳律に反するものは毅然として退けるべきです。 曾て中国大陸で中国人の首を軍刀で切り落とし、中国人青年の陰茎を切り落とし、あどけなさの残る少女を強姦して陰部を切り裂いた日本人と今の日本人は本質的に変わりません。 いい加減に島国根性を捨てて、「みんなが」という虎の巻を捨てて、自分の脳みそでものを考えないと、アメリカ合衆国日本州になるか中華人民共和国日本省になるかの二者択一を迫られることになるかも知れませんよ。 征東大将軍源義仲公の書状を引き破り、死地に追いやった大悪人源義経なんどを英雄視する風潮が先の大戦で亡国の憂き目に遭う遠因なのです。 今の皇室も崇徳院天皇の怨念から逃れることはできていません。      明治天皇は讃岐の白峰御陵から京都の白峰神宮に院の御霊を勧請したけれども、東京には勧請していない。実はできないのです。東京は神田大明神すなわち平将門公の領分である。現在の皇居は徳川様のものである。天皇や皇族方がいるところではない。住んではならない所に居を構えたから、死後はせめて京都近辺で眠りたい、当たり前の話です。 徳川幕府13代将軍徳川家定公の正室(御台所)天璋院篤姫は「今は飛ぶ鳥を落とす勢いなれどと、やがては命脈が尽きん」と将来、皇室が滅びることを予言しています。徳川家の庭園を没収して『恩賜』などと恩着せがましいにも程がある(笑) 薩摩や長州には実務に長けた人材はほとんどいませんでした。今の官僚機構を構築し、近代社会の礎を築いたのは旧幕臣たちでした。明治政府とはテロによって天下を奪取したテロ国家です。 筋が悪いから、徳川幕府は260年存続しましたが、大日本帝国は70余年で滅びました。ある意味、それ戦後80年を足しても徳川様には及ばないのです。
Samus Holder of Yabai Gravity GunSamus Holder of Yabai Gravity Gun
This random temple in the middle of a residential neighbourhood enshrines Minamoto no Yoshinaka, but more importantly, the legendary Tomoe Gozen. In short, Tomoe Gozen was a Heian period female samurai who is famous for her great strength, fighting alongside and leading the men, killing men with her bare hands. When her army was defeated, she married her childhood friend Minamoto no Yoshinaka. When he died, the story goes that she guarded his grave for the rest of her life, refusing to give her real name, and dying at 90 years old. Anyway, it's unlikely that her grave is really at this site, and records for women are bad in this period in history. That said, just outside of the temple is her jizo statue, in a small room filled with lanterns, offerings, candles, incense. If you visit, the site is managed by two women with extensive knowledge of all the kami enshrined here. There are documents in Japanese and English available. Anyway, the dedication is truly beautiful. I appreciate this place very much. My heart is happy. Thank you so much. By the way, you can get omamori and goshuin of hour preferred kami. Just fantastic for those who care about this. 😍
中村ふ中村ふ
写真の撮影日時は2025.10.15(水)07:17。前日から、10.15の朝に行こうと心に決めていた。“決めて”なのだが、確かに興味があって、Wikipedia や、観光案内についてのウェブサイトでも調べたが、本当は義仲寺の入口脇(お寺の敷地内)に地蔵堂があり、そちらに参(詣)ろうと思っていた。つまり、お寺の中にある木曽義仲(源義仲)・松尾芭蕉の御墓、巴塚(源義仲死期近くまで共に居た…義仲のそばに仕えた“巴御前”の塚)などはあまり興味がなかった。“仏”という言葉には大きく分けると2つの意味があると思うが、一つはいわゆる釈迦牟尼仏・毘盧遮那仏・阿弥陀如来などの仏さまや観音・普賢・文殊・弥勒などの菩薩と、生きていた人が亡くなったときの呼び方(例えば刑事ドラマなどで殺人事件に臨場した刑事や鑑識官などが、「亡くなったホトケさんの死亡推定時刻は…」などという)“仏さま”である。そういう仏さまの供養の仕事はそのお寺に墓地があるならばそのお寺の住職などの務めで、我々部外者には言及の余地がない、というのがわたしの考えである。話を義仲寺及び地蔵堂に戻すが、朝早すぎてお寺の正門も地蔵堂も閉まっていた。“本日閉門”という札もかけてあったが、通常毎週月曜日以外は開門しているはずであるから、開門時間の09:00には開くのだろう。だから、掲載する写真はすべて“門前”のものである。義仲寺を調べると先述の木曽義仲・巴御前・六角義賢・松尾芭蕉・蝶夢法師・保田與重郎などという名前が挙がるが、その中に面白い人物がいた。“フィクサー”三浦義一である。彼は大分県出身で父は過去に大分市長を務めた三浦数平である。そして、義一は母・操との間の長男であるが、5人の兄弟姉妹がいる。今回は参考として義仲寺の再建に多財を投じた三浦義一の基本データについて簡単に記す。参考は Wikipedia の義仲寺、三浦義一、下山事件、三鷹事件、松川事件など及び紀伊國屋書店ウェブサイト Kinoppy の『歌集悲天』など。すべて敬称略。また、義仲寺への最寄り駅は、JR膳所駅、京阪電鉄膳所駅など。( JR と京阪電鉄膳所駅はほぼ同じ場所にあり、駅前の通りである“ときめき坂”を直進して(約5分ほど)左折するとすぐに見える。お寺に植えられた柳(やなぎ)の木の葉が目印。合掌 三浦義一ミウラギイチ… 明治31.02.27~昭和46.04.10 (1898.02.27~1971.04.10) 享年74 墓所・朝日山義仲寺(滋賀県大津市) 死因・動脈硬化症(Wikipedia) 職名・全日本愛国者団体会議最高顧問など 著作・『歌集悲天』
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学生の時以来の参詣です。 私は源義仲公の大ファンなので京都在住の折りはよく義仲寺に足を運んでいました。 今回はお寺の御厚意により墓前で法華経の自我偈と普門品偈を唱えさせていただきました。 義仲公は悲運な武将ではありましたが男気のある立派な武将であったと確信しています。 朝日堂に長男の源義高公と仲良く眠っておられることでしょう。 また、折を見て参詣します。 『平家物語』や『源平盛衰記』等には義仲公を田舎者で粗野なイメージで語られていますが、実像はかなり違っています。 義仲公は二歳の時に父親の義賢公を同族の義平に討たれ、次男だった駒王丸(義仲の幼名)にも殺害命令が下りますが、畠山氏や斎藤氏の尽力により信濃国木曽谷に落ち延び逞しい青年に成長します。 木曽次郎と呼ばれて木曽谷の暖かい人々の中で成長したせいか、おおらかで優しい性格だったようです。 長野県木曽町には義仲公に纏わる話がいくつも伝わっていますが、敵方の子供を殺さず我が子として養育し、平家追伐の際には幼い頃に世話になった敵方の武将の亡骸を抱き締めて号泣するなど愛すべき人間味溢れる方だったようです。 幼くして親を亡くし、頼朝や義経と違い木曽山中で育ったので都の貴族社会の儀礼には疎く、それか悲劇を招く一因にはなりましたが、息子の義高はじめ子供たちには教養を身につけさせるなど立派 に養育しています。 江戸時代の俳人、松尾芭蕉はこよなく義仲公を愛し、自らの死に際して墓は義仲公の隣にするよう門弟に遺言し、その通り、義仲寺に眠っています。 あの気難しい文豪、芥川龍之介も義仲公の心の大きさ、男気溢れる人間性を絶賛しています。 私は勝つためには手段を選ばなかった義経や、弟さえも死に追いやった頼朝よりも、芥川龍之介が評するように大失敗の人生だったかも知れませんが義仲公が人として大好きです。 義仲寺には近江粟津で討たれた義仲公の胴体が葬られています。首塚は東山の八坂の塔のある法観禅寺にあります。 法観禅寺は拝観不可ですが、五重塔に向かって左側の板塀の隙間から首塚に合掌することが可能です。 ご参考まで。。 追記 昨日(令和4年6月4日)、安田念珠店の帰りに足を伸ばして法観禅寺に立ち寄ったところ思いがけず拝観できました。 初めて目の当たりに朝日将軍木曽義仲公の首塚を拝し感激もひとしおです。 前回のお参りの際に念珠が傷み、その修理に安田念珠店に用事が出来て、その帰り道だったので、なにかしら義仲公に思いが通じたのかも知れないと勝手に思っています。 追記 本日(令和4年7月18日)安田念珠店の帰りに法観禅寺の木曽義仲公首塚に参り、京阪祇園四条駅→京阪東福寺でJR奈良線に乗り換え京都で琵琶湖線に乗り換えて膳所で下車して義仲寺に参詣しました このコースが義仲公首塚(法観禅寺)と義仲公胴塚の両方を参詣する最短かと思われます。 追記 本日(令和4年8月6日)大阪から快速電車で膳所に直行し義仲寺に参詣しました。 義仲公、巴御前、松尾芭蕉翁に信州の名水をたっぷり召し上がっていただき、法華経を唱えて菩提を弔いました。 関西に転居したので、これからは月に一度は参詣したいですね。 追記 本日(令和4年9月6日)1か月ぶりに参詣しました。 いつも近くの自販機で買ったミネラルウオーター(南アルプスの天然水)をタップリ召し上がっていただくのですが、今日は間違えて強炭酸レモン水を召し上がっていただきました。 ごめんなさいm(_ _;)m 義仲公の御墓は古い宝篋印塔で程よく風化しており土壇は苔むして葵が自生しなんとも言えない温かみのある風情です。 御墓からもおおらかなお人柄が偲ばれます 追記 令和4年10月1日、秋空のもと朝日将軍(歴史的には征東大将軍)源義仲公の墳墓に参りました。 今回も南アルプスの天然水2リットルをたっぷり召し上がっていただきました。 今まででお参りの方が一番多かったように思います。 義仲公が如何に偉大な方だったか、あの殺伐とした時代にあって人間らしく生き抜かれたかを多くの人々に認識してもらいたいです。 余談ですが義仲寺で『名香義仲寺』というお線香を買い求めることができます。 たぶん沈香を基調としたお線香だと思うのですが前回買い求めて友人にプレゼントしたところ、たいそう気に入ったみたいで購入を頼まれました。 『名香義仲寺』は自信をもってお奨めできるイッピンです 追記 本日(令和4年12月1日)今年最後のお参りをしました 義仲公、巴御前、芭蕉翁のお墓に参り、真心込めて読経させていただきました 世の中が平穏になりますように、来年こそは良い年になりますように 合掌 追記 本日(令和5年1月5日)本年最初に義仲寺にお参りし、木曾義仲公、開山巴御前、松尾芭蕉翁の御墓に参りました お寺の方々に親切にしていただき感謝に堪えません。 本年も月に一度は参詣したいと思っています 月参り常の如し 令和5年5月2日(晴れ時々曇り) 令和5年6月3日(晴れ) 台風一過の晴天に恵まれ良いお参りができました 令和5年7月2日(曇り時々晴れ) 令和5年8月1日(晴れ時々雲り) 南アルプスの天然水をたっぷりと召し上がっていただきました 暑いですね~☀ 令和5年9月2日(曇り) ほどよく曇っていて御参りしやすかった 令和5年10月6日(晴) 涼やかな風が吹き渡る中の参詣でした 皆様にお別れしなければなりません。私こと加山哲史は不治の病に冒されています。鬼籍に入りましたら、必ず源義仲公、義高公にお仕えいたします。義仲公を裏切り死に追いやった下劣の者共をあらかた成敗することができました。これで義仲公との半分を果たしたことになります。         今の皇室の命運もあまり長くはありません。義仲公の血筋が絶えたので私も此の世に執着は芥子粒程もありません。世間の愚痴の輩は私の事を鬼畜外道の如く罵るでしょうが本当です。イエス·キリストの教えと法華経はその奥底において完全に一致しています。 日本人は人並み原理で自分の脳でものを考えない。みんなが言ってるから、みんながやってるから,と模様眺めで中身がない。KYなんて無知蒙昧な言葉があることが、それを如実に示している。空気を読む必要なんて本来はないのです。聖徳太子が云う「和」とは「万善同帰」の事であり、決して「とにかく仲良くなること」ではありません。各人が自己を追求する果てに万人が帰るべき理法を見出すということです。アイデンティティが脆弱な日本人は、ものぐさで「みんな」という幻に自分の脳みそを預けているだけです。 一部の目覚めた日本人より無知蒙昧の日本人は十倍多いのです。 「寸善尺魔」と言われる通りです。 日本人には内なる道徳律がない。ないから、みんなが残忍なことをすれば、平気で残忍なことができる。国家がどうあれ、法律がどうあれ、上官の命令がどうあれ、自らの道徳律に反するものは毅然として退けるべきです。 曾て中国大陸で中国人の首を軍刀で切り落とし、中国人青年の陰茎を切り落とし、あどけなさの残る少女を強姦して陰部を切り裂いた日本人と今の日本人は本質的に変わりません。 いい加減に島国根性を捨てて、「みんなが」という虎の巻を捨てて、自分の脳みそでものを考えないと、アメリカ合衆国日本州になるか中華人民共和国日本省になるかの二者択一を迫られることになるかも知れませんよ。 征東大将軍源義仲公の書状を引き破り、死地に追いやった大悪人源義経なんどを英雄視する風潮が先の大戦で亡国の憂き目に遭う遠因なのです。 今の皇室も崇徳院天皇の怨念から逃れることはできていません。      明治天皇は讃岐の白峰御陵から京都の白峰神宮に院の御霊を勧請したけれども、東京には勧請していない。実はできないのです。東京は神田大明神すなわち平将門公の領分である。現在の皇居は徳川様のものである。天皇や皇族方がいるところではない。住んではならない所に居を構えたから、死後はせめて京都近辺で眠りたい、当たり前の話です。 徳川幕府13代将軍徳川家定公の正室(御台所)天璋院篤姫は「今は飛ぶ鳥を落とす勢いなれどと、やがては命脈が尽きん」と将来、皇室が滅びることを予言しています。徳川家の庭園を没収して『恩賜』などと恩着せがましいにも程がある(笑) 薩摩や長州には実務に長けた人材はほとんどいませんでした。今の官僚機構を構築し、近代社会の礎を築いたのは旧幕臣たちでした。明治政府とはテロによって天下を奪取したテロ国家です。 筋が悪いから、徳川幕府は260年存続しましたが、大日本帝国は70余年で滅びました。ある意味、それ戦後80年を足しても徳川様には及ばないのです。
加山哲史

加山哲史

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This random temple in the middle of a residential neighbourhood enshrines Minamoto no Yoshinaka, but more importantly, the legendary Tomoe Gozen. In short, Tomoe Gozen was a Heian period female samurai who is famous for her great strength, fighting alongside and leading the men, killing men with her bare hands. When her army was defeated, she married her childhood friend Minamoto no Yoshinaka. When he died, the story goes that she guarded his grave for the rest of her life, refusing to give her real name, and dying at 90 years old. Anyway, it's unlikely that her grave is really at this site, and records for women are bad in this period in history. That said, just outside of the temple is her jizo statue, in a small room filled with lanterns, offerings, candles, incense. If you visit, the site is managed by two women with extensive knowledge of all the kami enshrined here. There are documents in Japanese and English available. Anyway, the dedication is truly beautiful. I appreciate this place very much. My heart is happy. Thank you so much. By the way, you can get omamori and goshuin of hour preferred kami. Just fantastic for those who care about this. 😍
Samus Holder of Yabai Gravity Gun

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写真の撮影日時は2025.10.15(水)07:17。前日から、10.15の朝に行こうと心に決めていた。“決めて”なのだが、確かに興味があって、Wikipedia や、観光案内についてのウェブサイトでも調べたが、本当は義仲寺の入口脇(お寺の敷地内)に地蔵堂があり、そちらに参(詣)ろうと思っていた。つまり、お寺の中にある木曽義仲(源義仲)・松尾芭蕉の御墓、巴塚(源義仲死期近くまで共に居た…義仲のそばに仕えた“巴御前”の塚)などはあまり興味がなかった。“仏”という言葉には大きく分けると2つの意味があると思うが、一つはいわゆる釈迦牟尼仏・毘盧遮那仏・阿弥陀如来などの仏さまや観音・普賢・文殊・弥勒などの菩薩と、生きていた人が亡くなったときの呼び方(例えば刑事ドラマなどで殺人事件に臨場した刑事や鑑識官などが、「亡くなったホトケさんの死亡推定時刻は…」などという)“仏さま”である。そういう仏さまの供養の仕事はそのお寺に墓地があるならばそのお寺の住職などの務めで、我々部外者には言及の余地がない、というのがわたしの考えである。話を義仲寺及び地蔵堂に戻すが、朝早すぎてお寺の正門も地蔵堂も閉まっていた。“本日閉門”という札もかけてあったが、通常毎週月曜日以外は開門しているはずであるから、開門時間の09:00には開くのだろう。だから、掲載する写真はすべて“門前”のものである。義仲寺を調べると先述の木曽義仲・巴御前・六角義賢・松尾芭蕉・蝶夢法師・保田與重郎などという名前が挙がるが、その中に面白い人物がいた。“フィクサー”三浦義一である。彼は大分県出身で父は過去に大分市長を務めた三浦数平である。そして、義一は母・操との間の長男であるが、5人の兄弟姉妹がいる。今回は参考として義仲寺の再建に多財を投じた三浦義一の基本データについて簡単に記す。参考は Wikipedia の義仲寺、三浦義一、下山事件、三鷹事件、松川事件など及び紀伊國屋書店ウェブサイト Kinoppy の『歌集悲天』など。すべて敬称略。また、義仲寺への最寄り駅は、JR膳所駅、京阪電鉄膳所駅など。( JR と京阪電鉄膳所駅はほぼ同じ場所にあり、駅前の通りである“ときめき坂”を直進して(約5分ほど)左折するとすぐに見える。お寺に植えられた柳(やなぎ)の木の葉が目印。合掌 三浦義一ミウラギイチ… 明治31.02.27~昭和46.04.10 (1898.02.27~1971.04.10) 享年74 墓所・朝日山義仲寺(滋賀県大津市) 死因・動脈硬化症(Wikipedia) 職名・全日本愛国者団体会議最高顧問など 著作・『歌集悲天』
中村ふ

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Reviews of Gichuji

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3y

学生の時以来の参詣です。 私は源義仲公の大ファンなので京都在住の折りはよく義仲寺に足を運んでいました。 今回はお寺の御厚意により墓前で法華経の自我偈と普門品偈を唱えさせていただきました。 義仲公は悲運な武将ではありましたが男気のある立派な武将であったと確信しています。 朝日堂に長男の源義高公と仲良く眠っておられることでしょう。 また、折を見て参詣します。 『平家物語』や『源平盛衰記』等には義仲公を田舎者で粗野なイメージで語られていますが、実像はかなり違っています。 義仲公は二歳の時に父親の義賢公を同族の義平に討たれ、次男だった駒王丸(義仲の幼名)にも殺害命令が下りますが、畠山氏や斎藤氏の尽力により信濃国木曽谷に落ち延び逞しい青年に成長します。 木曽次郎と呼ばれて木曽谷の暖かい人々の中で成長したせいか、おおらかで優しい性格だったようです。 長野県木曽町には義仲公に纏わる話がいくつも伝わっていますが、敵方の子供を殺さず我が子として養育し、平家追伐の際には幼い頃に世話になった敵方の武将の亡骸を抱き締めて号泣するなど愛すべき人間味溢れる方だったようです。 幼くして親を亡くし、頼朝や義経と違い木曽山中で育ったので都の貴族社会の儀礼には疎く、それか悲劇を招く一因にはなりましたが、息子の義高はじめ子供たちには教養を身につけさせるなど立派 に養育しています。 江戸時代の俳人、松尾芭蕉はこよなく義仲公を愛し、自らの死に際して墓は義仲公の隣にするよう門弟に遺言し、その通り、義仲寺に眠っています。 あの気難しい文豪、芥川龍之介も義仲公の心の大きさ、男気溢れる人間性を絶賛しています。 私は勝つためには手段を選ばなかった義経や、弟さえも死に追いやった頼朝よりも、芥川龍之介が評するように大失敗の人生だったかも知れませんが義仲公が人として大好きです。

義仲寺には近江粟津で討たれた義仲公の胴体が葬られています。首塚は東山の八坂の塔のある法観禅寺にあります。 法観禅寺は拝観不可ですが、五重塔に向かって左側の板塀の隙間から首塚に合掌することが可能です。

ご参考まで。。

追記 昨日(令和4年6月4日)、安田念珠店の帰りに足を伸ばして法観禅寺に立ち寄ったところ思いがけず拝観できました。 初めて目の当たりに朝日将軍木曽義仲公の首塚を拝し感激もひとしおです。 前回のお参りの際に念珠が傷み、その修理に安田念珠店に用事が出来て、その帰り道だったので、なにかしら義仲公に思いが通じたのかも知れないと勝手に思っています。

追記 本日(令和4年7月18日)安田念珠店の帰りに法観禅寺の木曽義仲公首塚に参り、京阪祇園四条駅→京阪東福寺でJR奈良線に乗り換え京都で琵琶湖線に乗り換えて膳所で下車して義仲寺に参詣しました このコースが義仲公首塚(法観禅寺)と義仲公胴塚の両方を参詣する最短かと思われます。

追記 本日(令和4年8月6日)大阪から快速電車で膳所に直行し義仲寺に参詣しました。 義仲公、巴御前、松尾芭蕉翁に信州の名水をたっぷり召し上がっていただき、法華経を唱えて菩提を弔いました。 関西に転居したので、これからは月に一度は参詣したいですね。

追記 本日(令和4年9月6日)1か月ぶりに参詣しました。 いつも近くの自販機で買ったミネラルウオーター(南アルプスの天然水)をタップリ召し上がっていただくのですが、今日は間違えて強炭酸レモン水を召し上がっていただきました。 ごめんなさいm(_...

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5.0
3y

This random temple in the middle of a residential neighbourhood enshrines Minamoto no Yoshinaka, but more importantly, the legendary Tomoe Gozen. In short, Tomoe Gozen was a Heian period female samurai who is famous for her great strength, fighting alongside and leading the men, killing men with her bare hands. When her army was defeated, she married her childhood friend Minamoto no Yoshinaka. When he died, the story goes that she guarded his grave for the rest of her life, refusing to give her real name, and dying at 90 years old.

Anyway, it's unlikely that her grave is really at this site, and records for women are bad in this period in history. That said, just outside of the temple is her jizo statue, in a small room filled with lanterns, offerings, candles, incense.

If you visit, the site is managed by two women with extensive knowledge of all the kami enshrined here. There are documents in Japanese and English available. Anyway, the dedication is truly beautiful. I appreciate this place very much. My heart is happy. Thank you so much.

By the way, you can get omamori and goshuin of hour preferred kami. Just fantastic for those who care...

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7w

写真の撮影日時は2025.10.15(水)07:17。前日から、10.15の朝に行こうと心に決めていた。“決めて”なのだが、確かに興味があって、Wikipedia や、観光案内についてのウェブサイトでも調べたが、本当は義仲寺の入口脇(お寺の敷地内)に地蔵堂があり、そちらに参(詣)ろうと思っていた。つまり、お寺の中にある木曽義仲(源義仲)・松尾芭蕉の御墓、巴塚(源義仲死期近くまで共に居た…義仲のそばに仕えた“巴御前”の塚)などはあまり興味がなかった。“仏”という言葉には大きく分けると2つの意味があると思うが、一つはいわゆる釈迦牟尼仏・毘盧遮那仏・阿弥陀如来などの仏さまや観音・普賢・文殊・弥勒などの菩薩と、生きていた人が亡くなったときの呼び方(例えば刑事ドラマなどで殺人事件に臨場した刑事や鑑識官などが、「亡くなったホトケさんの死亡推定時刻は…」などという)“仏さま”である。そういう仏さまの供養の仕事はそのお寺に墓地があるならばそのお寺の住職などの務めで、我々部外者には言及の余地がない、というのがわたしの考えである。話を義仲寺及び地蔵堂に戻すが、朝早すぎてお寺の正門も地蔵堂も閉まっていた。“本日閉門”という札もかけてあったが、通常毎週月曜日以外は開門しているはずであるから、開門時間の09:00には開くのだろう。だから、掲載する写真はすべて“門前”のものである。義仲寺を調べると先述の木曽義仲・巴御前・六角義賢・松尾芭蕉・蝶夢法師・保田與重郎などという名前が挙がるが、その中に面白い人物がいた。“フィクサー”三浦義一である。彼は大分県出身で父は過去に大分市長を務めた三浦数平である。そして、義一は母・操との間の長男であるが、5人の兄弟姉妹がいる。今回は参考として義仲寺の再建に多財を投じた三浦義一の基本データについて簡単に記す。参考は Wikipedia の義仲寺、三浦義一、下山事件、三鷹事件、松川事件など及び紀伊國屋書店ウェブサイト Kinoppy の『歌集悲天』など。すべて敬称略。また、義仲寺への最寄り駅は、JR膳所駅、京阪電鉄膳所駅など。( JR...

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