横町木の下の引接山来迎寺内にある銕焼(かなやき)地蔵尊の昔話を知り来寺。 御開帳は毎年4月24日とのこと。
説明板にはその説話も含まれているが、自分が読んだ「諏訪のでんせつ(昭和40年12月発行/著者:竹内良信/信濃教育会出版部)」では、 ・「かね」は金子(諏訪市中洲金子)出身で身寄りがなくて別当の家に預けられたが、そこの夫婦が無慈悲でかねを牛や馬を扱うようにこき使った。 ・生前の両親の教え「なあ、かねや。どんなにたいへんなことでも、どんなにかなしいことでも、へこたれちゃいけないぞ。人間は、正直で、真心をもって努力すれば、いつかはきっとしあわせになれるよ。ののさまがみているでなあ。」をいいきかされ、毎日ののさまにお線香やご飯をあげて拝んでいたこともあり、のら仕事の途中にあったお地蔵さんに花を手向けたり、自分のお弁当を半分お供えしたりしていた事を、かねの友人が別当の夫婦に告げ口した事で、怠けていると思われ、火箸で打ち据えた。 ・痛さで逃げたかねが縋ったのが、普段お参りしていたお地蔵さんだった。すると、自分についた傷がお地蔵さんに移り、自分の傷は消え美しい顔に変わっていた。 ・別当夫婦は、その経緯をかねに聞き、恐れ入り今までの無慈悲を反省し自分の子供のようにかわいがった。 とありました。
銕焼地蔵堂は享保16年(1731年)高部村(現茅野市宮川高部)藤森次左衛門が建立。建築年のわかる建物の中では下諏...
Read more旧中山道沿いの街並みから少し外れたところにある来迎寺。本陣岩波の先で旧中山道は国道142号と分かれて湯田坂を下り、春宮に向かいます。来迎寺は国道を100メートルほど北上したところにあります。 ところで、「来迎」は「らいこう」または「らいごう」と呉音で読みます。仏教用語には呉音によるものが多いようです。 来迎とは、浄土思想に関する仏教用語で、阿弥陀如来や仏陀、菩薩などが現生を旅だった人びとを「極楽浄土」に迎え入れることです。阿弥陀信仰では、念仏を唱えることで来迎を達することができると考えられているそうです。その語を寺院の名称につけたところは、いかにも浄土宗の寺に似つかわしいものです。 来迎寺は、京都の知恩院を本山とする浄土宗のお寺です。 引接山聖聚院来迎寺というのが寺院の正式な名称です。寺にまつわる史料では、南北朝期の14世紀末にここに聖聚院という寺院があって、その後、来迎寺という名称に変わったとか。 しかし、それよりも以前の来歴を記した史料はないようで、草創や由緒はわかりません。 それがやがて16世紀半ば頃に、栄海上人が衰微したこの寺を再興したそうです。そのさいに開基役を担ったのが、諏訪大社下社の大祝家門の一族、諏訪右衛門尉だといいます。 この寺の北東の山腹高台には、中世に金指家が築いた城砦があり、この寺は城砦から続く斜面の崖下に位置します。ということは、城の南西の裏鬼門を鎮護する寺院だっ...
Read more諏訪大社巡り中仙道甲州街道分れ道?から少し側道に入っただけ 境内は広くなく回りやすく由緒も興味深いですが何と言っても和泉式部の伝承、顔のあざをお地蔵様が引受け、美貌を保ち宮廷への参内に繋がったとか 他にもそう遠くない範囲に史跡お店色々ありますが新宿から...
Read more