十二社(じゅうにそう)とは「熊野十二所権現」のこと。
熊野十二所権現とは、
熊野三山の祭神である神々 ①熊野本宮大社=スサノオ ②熊野速玉大社=イザナギ ③熊野那智大社=イザナミ
※イザナギとイザナミの子がアマテラスオオミカミ、ツクヨミ、スサノオ
熊野三所権現以外の熊野の神々 ④天照大神(アマテラスオオミカミ) ⑤天忍穂耳命(天照大神の子) ⑥瓊々杵尊命(ニニギ、初代天皇の祖父) ⑦彦火々出見尊 ⑧鸕鶿草葺不合命 ⑨軻遇突智命・ ⑩埴山姫命 ⑪彌都波能賣命 ⑫稚産霊命
つまり、熊野の神々を1か所にあつめてる由緒正しい神社です。 新宿全体をまもってくれてるらしいですよ。
※以下、パンフレットより。
◆十二社と熊野神社の歴史 十二社の熊野神社は、室町時代の応永年間(1394-1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます(一説に、この地域の開拓にあたった渡辺與兵衛が、天文・永禄年間(1532-69)の熊野の乱に際し、紀州よりこの地に流れ着き、熊野権現を伺ったともいいます)。 鈴木家は、紀州藤代で熊野三山の祠官をつとめる家柄でしたが、源義経に従ったため、奥州平泉より東国各地を敗走し、九郎の代に中野(現在の中野坂上から西新宿一帯)に住むようになりました。 九郎は、この地域の開拓にあたるとともに、自身の産土神である熊野三山より若一王子宮を祠りました。その後鈴木家は、家運が上昇し、中野長者と呼ばれる資産家になったため、応永10年(1403) 熊野三山の十二所権現すべてを伺ったといいます。 江戸時代には、熊野十二所権現社と呼ばれ、幕府による社殿の整備や修復も何回か行われました。 また、享保年間(1716-35)には八代将軍吉宗が鷹狩を機会に参拝するようになり、滝や池を擁した周辺の風致は江戸西郊の景勝地として賑わい、文人墨客も多数訪れました。 明治維新後は、現在の櫛御気野大神・伊邪奈美大神を祭神とし、熊野神社と改称し現在にいたっています。 氏子町の範囲は、西新宿ならびに新宿駅周辺及び歌舞伎町を含む地域で、新宿の総鎮守となっています。
※その他Googleマップにスポット登録されていないものなど↓
◆狛犬 本殿裏の末社大鳥三社にある狛犬で、腹の下がくりぬきになっていない珍しいものです。享保12年(1727)「角筈村上町百姓店児講中」により寄進されたものです。
◆島川玄丈人壽兆碑 紀州徳川家の侍医で、鍼術の大家島川草玄の長寿を祝って、紀州藩士川合衡の撰文により、文化4年(1807)に造られたものです。
◆能勢嘉門贊碑 「滝津冷々一千尺 松樹森々十二層 司馬乃屋嘉門」 「蝉の声 しくれて細し滝の糸 よれば暑さも 那智の傍 山陽堂竹友」 十二社の滝と周囲の風景をたたえた記念碑です。
◆命陀羅尼二千一百万遍誌碑 元治元年(1864)に延命陀羅尼経を唱えたことを記念して建てられた記念碑 で、神仏習合の時代を物語る資料です。
新宿区指定有形文化財 ◆七人役者図絵馬 安永2年(1773)4月に、当時の若手歌舞伎役者の吾妻富五郎と大谷谷次が奉納した大絵馬で、拝殿内に掲げられています。 板地着色で、縦136cm、横180cm、図柄は桜の大木の下に七人の歌舞伎役者の扮装姿と十二支の動物が描かれています。 図中の役者は、前列右から大谷谷次・大谷広次・市村亀蔵・大谷永介、後列右から大谷仙次・吾妻富五郎・尾上民蔵の7名で、当時の市村座で人気を博した役者たちです。 この絵馬の作者一筆斎文調は、江戸時代中期、明和から寛政にかけて、優れた役者絵を描いて活躍した浮世絵師です。
新宿区指定有形文化財 ◆式三番奉納額 上部に式三番の図が描かれている奉納額で、拝殿内に2枚が掲げられています。向って右側は宝暦14年(1764)に九代目市村羽左衛門が、左側は弘化4年(1847)に十二代目市村羽左衛門が、それぞれ奉納したもので、ともに板地着色、縦90.7cm、横31.4cmあります。 図柄は、江戸三座のひとつ市村座で、11月の顔見世興行と正月の初春興行に、初日から3日間演じられた式三番を描いたもので、座元の羽左衛門自身が翁を演じるのに因んで奉納されたようです。 式三番は、歌舞伎舞踊のひとつで、祝賀や追悼の時に行われた能の「翁」を舞踊化したものです。
◆十二社の池 十二社の池は、慶長11年(1606) 伊丹播磨守が田畑の用水溜として大小2つの池を開発したもので、現在の熊野神社西側、十二社通りをへだてて建つビルのあたりにありました。 大池(中池・上の溜井)は南北126間・東西8-26間とされ、水源は湧水であったようです。 池の周囲には享保年間(1716-35)より多数の茶屋ができ景勝地として賑わいました。明治時代以後は、大きな料亭ができ花柳界として知られるようになり、最盛期には料亭・茶屋約100軒、芸妓約300名を擁したほか、ボート・屋形船・釣り・花火などの娯楽も盛んに行われましたが、昭和43年(1968)7月に埋立てられました。 大池の北側に隣接する小池(下池、下の溜井)は、大池の分水で、南北50間東西7-16間ありました。昭和初期より一部の埋立てが行われ、第2次大戦中には完全に埋立てられました。
◆十二社の滝 十二社には、記録や古老の話からいくつかの滝があったことが伝えられています。 このうち十二社の大滝は、「江戸名所図会」「江戸砂子」などに熊野の滝・萩の滝と記された滝で、高さ三丈・幅一丈と伝えられます。この滝は寛文7年(1667)...
Read moreVery Nice park and shrines near hotel within 15 min walking distance. Park had beatiful flowering vibernums( hydrangeas) lining the sidewalk paths. Shrines were difficult to find due to a little construction in the park area and maps couldn't really figure out where it was trying to led us. We got there eventually. Glad we stick with it. There was about 12 small shrines dedicated to 12 different deities. Very nice clean safe peaceful place. Also enjoyed watching the goldfish...
Read moreA small and quiet shrine near the Oedo line in Nishinshinjuku.
It's near the local park and was kept relatively clean as we passed by on our walk toward the main Shinjuku area.
The offering area included a sign in English on how to offer and bow at the shrine. The shrine was closed during December, but it looks like it was more active during Autumn.
At the entrance, you can smell the roasting of corn and other foods by staff. There's a down-to-earth feel to the...
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