おぉ、宇治の万福寺のようだ。ちゃんと黄檗している。大雄宝殿(本堂)の窓は火頭窓ではなく円窓だ。 万福寺には本堂とは別殿に布袋(日本では七福神の一だが、宋朝だったかの実在の僧で、弥勒の化身とされている)が祀られているが、ここでは本堂内右側に鎮坐している。 往時は宇治の伽藍のように諸堂が並んでいたそうだが、今は本堂のほかは門などが残るばかりだ。本堂の庇に雲版・魚板が吊られているのも、省略型伽藍運用のゆえだろうか。 これが30年ほど前に国の重要文化財に指定された。そのニュースを見ていよいよ江戸も半ばの建築が重文指定されるようになったかーと感慨を覚えた。この堂宇の屋根の勾配がいささかキツめなのは、時代の好みばかりでなく、関東平野の雨降りが上方よりキツいゆえだろう。 さらに平成の末年、隈研吾さんの書院・寺務所棟が加えられた。いかにも彼らしい風合い。方形のごく浅い池を囲んだ、素木を多用したコの字型平面の平屋。その入側から本堂を望むと大変美しい。晩夏のこと、トンボがたくさん飛び回っていて、何だかホッとする。 とても美しいので写真を撮りたくなるが、どこをどう切り取ってもコンクリートの高層建築(というほどでもないが、江戸期の建物から見れば暴力的なまでに高い)が映り込んでしまう。 ヨーロッパなら城壁を境として新旧市街が截然としていたりするが、日本はそうではない。江戸の華とさえ言われた(半分ヤケの謂いだろう)大火に遇えば、焼け残った箇所以外の市中の再建は一斉となる、つまり新旧混在のダンダラ都市になるのがスタンダードなのだ。 だから仕方ない、という訳でもないように思われる。江戸というダンダラ都市には、高層建築はなかったのだ。 現代の建築にしてみれば、寺院側はいわば背面になるため、やや美観に欠けるものもあるのが残念だ。経済効率性を持ち出したら「仕方ない」のだが、それでもやや釈然としない感が残る。 もう半世紀に近い昔、私はこの寺の横の目黒通りを、親の運転する車に乗って毎週のように通りすぎたものだが、当時は立ち寄ることもなかった(そもそもこの寺のことを知りもしなかったのだが)。こんにちでは地下鉄が開通し、アクセスが格段によくなったのは有難い。でも利便性の向上は、大きなマンションを増殖させもする。嗚呼。 なおこの寺は目黒通りに面して門を開いているが、正門ではない。表門は白金小学校向かいに南面している。 私はここを訪ねるに当たって、某GMap(あれれ?)のナビゲーションに従ったのだが、まんまとはめられた。結局細い道を、寺域沿いにぐるりと巡らされたのだが、お陰で表門からアプローチすることができたのだから恨みとも思ってはいない。付随の写真の門がそれで、寺号額が掲げられているほか、禅寺らしく左...
Read moreA beautiful temple in Tokyo, it was a very quiet and peaceful experience. I was the only visitor, at the time, and it was very nice and serene to explore the temple grounds. The GoShuin can be received, for ¥300, at the information window which is across the small pond. I highly recommend you to stop by...
Read moreA very well maintained and peaceful temple distant from the street enough to offer a moment of serenity. The overflowing water pond and adjacent building are a beauty of modern...
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