横浜市の博物館は撮影禁止の場所がほとんどなのですが、ココは寄贈者である東洋考古学者、江上波夫氏の意向なのか撮影OK、ブログUPも問題なしです。素晴らしい、江上先生ありがとうございます!
ところで我々の世代の考古学ファンは江上波夫と言ったら、もう「騎馬民族征服王朝説」に尽きるのですが、館内には何故かそれらに関する説明が全くありません(笑)。もしかして同名異人の考古学者なのかと思って、年表を見返してしまった程です。論争の多い確定していない学説だからでしょうか。
「騎馬民族征服王朝説」とは、今の中国東北部の満洲付近にいた騎馬民族が南下して朝鮮半島を抑え、さらに日本列島にまで進出してヤマト王権を打ち立てたのではないか、という壮大な学説です。国内の発掘成果から、ある時期を境に急激に乗馬文化が拡がり馬具の製造が開始されて、ステイタスシンボルとして古墳の副葬品とされるようになった事を根拠の一つとしています。
なんせスケールが大きくロマンのある話なので、新聞等でよく取り上げられ当時の考古学少年達を夢中にさせました。だいたい「騎馬民族」という響き自体が、農耕民と違って颯爽としていてカッコいいじゃないですか(笑)。そういう大陸的文化要素が日本人の潜在的意識や文化に反映されているかもしれない、と想像するのは実に楽しい事でした。
さて江上先生のコレクションを拝見すると、イランやイラク、モンゴルなどの埋蔵物発掘に留まらず、関心は遊牧民や山岳民族の文化風習、風俗、美術、工芸等の広い範囲に及んでいた事が分かります。先生の研究と考察が、遥か広がる大平原での壮大な人と人、物と物の交流を元に生み出されたことは間違いなさそうです。 「騎馬民族説」は日本だけで発掘をしている人間からは、到底出て来ない発想なのは、見学していて納得しました。
ただ近年の発掘やDNA調査による最新の成果から評価すると、確かに少数の「騎馬民族」的な人が北九州にやって来て、それと共に新しい知識や技術を持ち込み、間接的に中央政界へ影響は与えたかもしれないが、彼らがメインストリームとなって征服王朝を作った、というのは飛躍し過ぎではないか、という論調が主になっているようではありますが。
なおコレクションには中央アジアの馬具の数々も含まれていますが、やっぱり先生は基本的に「ウマ」がお好きだっ...
Read more私が訪れた時には「思い出のチマ・チョゴリ」なる特別展が開催中でした。エントランス部分にカラフルなチマ・チョゴリの写真が数多く展示されていましたが、それらを見て「これらはそれほど古いものではない」と感じたので見るのは止めました。昔の朝鮮は染色技術が未熟だったので宮廷であっても白い服ばかりであのような色鮮やかな服は着ていませんでした。ちなみに韓流ドラマでも色鮮やかな衣装が多数登場しますがあれらは全くのフィクションです。そんなフィクションなんかよりもかつて跡継ぎとなる男児を生んだ女性だけが着ることを許された名誉ある服「乳出しチョゴリ」でもあったら見たかったのですが、それはなさそうでした。なので見ませんでした。 それはさておき、こちらの博物館は東洋学者の江上波夫さんが横浜市に寄贈した品々を元に設立されたそうですが江上さんと言えば「騎馬民族日本征服説」を唱えた人でしたね。この説は一時期はやったそうですが、八幡和郎さんに言わせると「馬鹿馬鹿しいお伽噺」だそうです。もし騎馬民族という新しい支配者によって日本が征服されたというのであればそれ以前の歴史は全て抹消されてよいはずですが、でも実際はそうなっていないですよね。なので私もこの「騎馬民族日本征服説」には無理があると思います。東大の偉い先生でもトンデモ説を唱えることがあるということでしょうか? なんだか批判めいた内容になってしまいましたが、誤解のないように申し上げますと別に私はこの博物館を貶している訳ではありません。歴史好きである私にとってここは池袋の古代オリエント博物館と共にとても興味深い場所です。横浜に来たら、また...
Read more横浜の歴史的建築が並ぶ日本大通りの中心地にあります。建物は元々は昭和初期に建てられた市外電話局で、歴史的建造物として保存改修されました。地下鉄入口を含めて重厚な雰囲気が溢れています。 東大名誉教授、文化勲章受章の東洋学者江上波夫氏が寄贈された資料を基に設立された博物館です。横浜都市発展記念館も同じ建物にあります。 ユーラシア文化館は江上氏の蒐集品を中心に展示する常設展と、様々な企画展があります。企画展は別料金ですが、常設展や都市発展記念館も一緒に観覧できます。 ユーラシア文化館、都市発展記念館とも資料は詳細かつ豊富で、ライブラリーもあり、興味があって詳しく知りたい人には素晴らしい環境です。サッと通り過ぎるだけではもったいないです。 企画展「横浜華僑の服飾史」を観覧しました。所謂チャイナドレス(チイパオ)は清朝満州族の民族衣装そのものと思っていましたが、清朝崩壊後に、満州族の民族衣装を基にして、もっと活動的で動きやすい服として1920年代に生まれて発展してきたことを知りました。元々はゆったりしたワンピースで、スリットもほぼ無かったそうです。婚礼衣裳の絢爛豪華なチャイナドレスは、花嫁を美しく飾りたいという親の気持ちがひしひしと感じられます。 横浜の歴史を象徴する場所にありますから、英語や中国語の展示解説や音声ガイドが充実していればもっと利用される...
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