賣は売の本字で、バイ/マイと読む。のだが、古くはメと読んだらしく、おひめ様のメの字に当てる。 故にメの社であり、門司に坐す和布刈(めかり)神社の眷属であろう。現に出雲市の日御碕神社では、和布刈神社の神事に酷似した和布刈神事が伝わる。布をもメと読むならば、当社はメメ神社となるけれど、そこまで間抜けなことにはなるまい。
メは古語で、ワカメをはじめとした海藻類をいう。特に干ワカメは神饌として重視された。今でもワカメの根元を和布蕪(めかぶ)と称するではないか。 日本では、それほど昔から珍重されたワカメも、世界的には日本人と韓国人くらいしか食わず。船舶にくっついて拡がった国々では侵略的外来生物として危険視されるまでに繁殖力旺盛。人が採らなければ、磯で拾えるほど生えているものなのだ。
それが、当社の説明では却って判りにくくなっている。地形が変わり海岸から遠ざかり、海産物が採れなくなって、メの記憶は薄れてしまったのであろう。
速秋津日女を祀る。この神は、祓戸四神では唯一、記紀に記す。
大祓祝詞:此く持ち出で往なば、荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百曾に坐す。速開都比売と伝ふ神。持ち加加呑みてむ。 神代紀の一書:又、生れましし海神等を號(なづ)けて少童命、山神等を號けて山祇、水門の神等を號けて速秋津日命、木神等を號けて句句廼馳、土神を號けて埴安神。
大祓では、罪という罪をガガッと呑んでしまう、大渦メエルシュトレエムみたいな底なしのキャラ。神代紀では、港湾の神の一柱。 ここでは後者だと思う。メは豊かな海の象徴であったのだろう。
社伝に拠ると。櫛八玉神(くしやたまのかみ)が、速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)を生命の祖神としてお祀りになったことに始まり、後に樹種の神とされる相殿の三神が合わせ祀られたと伝えられている。 古事記に曰く。
(大國主神)此くの如く之に白(まお)して、出雲國のタギシの小濱に、天の御舍(あめのみあらか)造りなして、水戸神(みなとのかみ)の孫・櫛八玉神、膳夫(かしわで )と爲り、天御饗を獻ずるの時。禱(いの)り白して、櫛八玉神、鵜に化して海(わた)底に入り。底のハニを咋ひ出し、天八十(あめのやそ)ヒラカを作りて。海布(め)の柄を鎌りて、燧(ひきり)臼を作り。海蓴(こも)の柄を以て、燧杵を作り。火を鑽(き)り出して云わく、 「是れ我が火を燧るは。高天原には、神產巢日御祖命(かみむすびみおやのみこと)の、とだる天之新巢の凝烟(すす)の、八拳(やつか)垂るるまで燒き擧(あ)げ。地(つち)が下は、底津石根(そこついはね)に燒き凝(こご)り。 𣑥繩(たくなは)の千尋繩打ち延べ、海人の釣り爲しし口大(くちひろ)の尾翼(はね)し鱸(すずき)。さわさわに控き依せ騰げて、打ち竹のとををとををに、天の眞魚咋を獻ずる也。」
という、火と料理の神にして水戸神の孫。天御舎は杵築(出雲)大社であろうし、この燧神事は熊野大社に伝わるもののようだし、大国主ではなく神產巢日を謳っているし、あちこちズレているのは複数の話を再構成し...
Read moreSerene Shinto shrine by the river in downtown Matsue. Even at the height of summer, the ocean and river breeze of the dragon gods breath keeps you cool and comfortable. My Japanese is poor but the staff were very nice and chatty, and talked to me about the background of the shrine...
Read more昔から川沿いの神社には歴史的に某かがあったりするものですが、この賣布神社も、今は静かな住宅街にあるなか、江戸から明治期には西側にあった和多見遊郭の客で賑わった神社と云われる場所です。 この社の賣布(めふ)という名については『出雲國式社考』に摂津・尾張・丹後・但馬にも同名の社が存在しており、『出雲國風土記参究』には排仏派の物部氏の遠祖大賣布命と関連が記されており、清火を鑽り出すべき海布の生ずる所とあり、歴史的には古い神社であります。
祭神は伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)の子であり、女神の速秋津比賣(はやあきつひめ)とされ、速秋津比賣は橋姫とも云われています。男神の速秋津比古(はやあきつひこ)と同じく橋のたもとにある神社に多くみられ、水門を祀る神でもあります。
社の棟札には白潟大明神と記名があり、ここから西の宍道湖側へ行くと白潟公園があります。白潟公園は宍道湖の沖積地からできた公園で、この社も当初は白潟公園側にあったのですが、のちに東のこの地へ移り、橋が出来てからは橋姫と変化しました。 今も中海側の水門には速秋津比古神を祀る由貴神社が鎮座しています。
この社は明治38年まで和多見遊郭で集う客で賑わいを見せましたが、同38年の大火で和多見遊郭が無くなってからも、色街として東側に移った伊勢宮新地の客や店関係者からも、その信仰を集めました。 なお、色街の新地でよく見かける大正から昭和にかけて流行したカフェー建築の名残りが、今も(2020年12月現在)西側某所の民家に見る事が出来、街中に残る古い神社の歴史の流れを感じられる、日本でも数少ない場所...
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