大いに楽しませてもらいました。ありがとうございました。
下の階に大きな書があり書き留める 「働くための物 用が目的 私どもの日々のくらしに役立つために親切に 作られ、よく働き、永く保つ物、この様な物に 美が自らやどる、用即美 このような物を用ふる暮らしこそ美しい生活といへる」
チケット買う前にショップをさぁ〜っと確認 大山崎山荘とあと万博のところにこれまで行った記憶があるが、なんかテイストが統一されてるなぁと思った。 おどっくさま 馬の形しめ縄飾りが皿に乗ってたが 館内のあちこちにそれが今日は飾られていた。
階段上がった所の展示室の壁に この おどっくさまが飾られてて ガラスケースに岡山の民藝が納められてるのは 椅子敷き
これは、今回の展示の小笠原虎吉さんの書だと 思われる。
「真実は雨風の中に在ると云っても これを全的に把握することは鋭い直感と 深い思索を要する しかもこれを大衆の有るとすることは 周到な論理と本明な言葉によらねばならない。 吉」
その他の展示品 備中和紙 お餅の花園 花餅
酒津堤窯
大鉢と器 仁城義勝さん 郷原漆器
うーん、郷原漆器より仁城義勝さんの作品をが好きだな
倉敷ガラス
背負篭 韮山市
だんがめそうけ 岡山県月田
日籠
白磁ベースの花器 寒風春木窯 岡山県瀬戸内市牛窓町 沖塩明樹により1983年移窯
表○真田 ミシンで縫い合わせたり、編んだりして 帽子や手提げにする
羽島焼のスリップ皿
廊下に昔の世界の金属用品がある
廊下渡った所に、書が掲示 記載しとけば良かった。これが?!となり 最初の部屋に戻ったのにな。
白蓋(びゃつかい)岡山県高梁市
なんだか、書き留めてしまった。↓
「羽島焼」 倉敷の東の郊外にあって 昭和21年に始められたものであるが、永い伝統の 背景を持つ。小笠原氏大大の窯である。 バーナードリーチや浜田庄司の系統を引き、 1957年のブラッセル万博万国博覧会ではグランプリを受けた 作品は、民芸の本旨に立つ。日用の用具であるから、 無駄な飾りや思わせぶりが技巧は捨て専ら、 簡素健康な姿をとっているので、生活の便りになる ものばかりである。
「倉敷の民藝の歴史」 日本における民藝運動の発展と倉敷の民藝の歴史には 大原家の存在が欠かせません。 7代目の当主、大原孫三郎は倉敷紡績の社長を務めた 実業家で、大原美術館や農業研究所、中国銀行、 倉敷中央病院などを設立、様々な文化事業、 社会活動を行いました。 1930年から1937年昭和5年から12年、孫三郎は 倉敷周辺に残る工芸品の良さを多くの人に広めようと 木工品制作や倉敷酒津にある酒津焼の復興活動を 支援していました。浜田庄司、河井寛次郎、 バーナード、リーチなどの民藝運動率いる工藝家たちが 次々に酒津焼の窯を訪れ、制作を先導していきました。 孫三郎は活動の中で民藝同人と交流を深めていき、 柳宗悦の民藝運動の良き理解者・支援者となってきました。 1936年の東京・駒場にある日本民藝館設立のために 建設費を寄付しました。そしてその意思は 長男総一郎に受け継がれ、1940年頃、父、孫三郎より 事業引き継ぎながら柳らとともに交流を続けてきました。 このような流れの中で1948年にこの倉敷民藝館は、 日本民藝館に次いで国内で2番目に開設されました。
「羽島焼について」 1946年(昭和21年)小笠原虎吉(1902-1972年)によって 現在の倉敷市羽島に開窯されました。虎吉没後は その三女和子と夫の勝康さらに四女常美により 継承されましたが、2022年に惜しまりながら 窯を閉じました。 虎吉は、15歳の頃から西山と甲山の2つの窯で旺盛な 生産を行った酒津焼に従事し、その轆轤技術は、 酒津焼振興に尽力した、後の人間国宝近藤悠三に、 「陶器の轆轤師としては、小笠原さんほどの使い手に出会ったことがない」と言わしめたと伝わります。 その技を培ったのは、人々が日々の暮らしに用いる 甕から湯呑みまで、大小諸々の形をなす長年の修行でした。 まさに無名の職人に徹して、普段遣いの実用品を 作り続けるその姿は、民藝の在り方を体現する 存在でしたが、民藝同人が倉敷をしばしば訪れ、 その工芸品制作を強く後押しする中で、小河原の 存在は注目を集めることになります。 そして新たな地場産品、創出の機運の高まりの中で 大原孫一郎による「倉敷に民藝陶器の新たな窯を」 と言う力強い後押しがあり、独立して羽島焼きとして 窯を構えることとなったのです。
「蹴轆轤師 小河原虎吉人物伝」
「ロクロを引くのにお世話になったのが、のちに 羽島窯を開いた小河原虎吉さんだった。 京都で私たちが使っていたのは、手ロクロだったが、 酒津には、足で蹴りながら回す蹴ロクロしかない、そこで私は、小河原さんにロクロを蹴ってもらいながら 作業した。回す人と成形する人が別々なのは、 なかなか呼吸が合いにくいものだが、小河原さんの ロクロはまさに達者で、緩急自在に私の思う通りに 動いてくれた。私はこれまで何十年もの間、 数えきれないほどの陶工の仕事を見てきたが、 陶器のロクロ師として小河原さんほどの使い手には 出会ったことがない。 近藤悠三
「それはただに吾等の技術の師範であるばかりでなく、 第一に立派な人であった。ここには、けばけばしい才能の 高い建築は立っていない。手入れのされた自負の垣もない 代わりに1人の人として引き継がれた大きな生命の 木陰があった。一人前の百姓で一人前以上の陶工で それにも増して1人の人であった」 河井寛次郎 1933年 工藝32号 倉敷の新業より
この後、この小笠原さんの作品が下のフロアーの メインの展示会 その中で、いいなぁと思った作品を書き留める
灰釉彫紋湯呑・茶碗 1953年 蓋付丼 1962年
→私の好みとしたらこんなもんか? 後、辰砂の大ぶりの茶碗も良かった。
上の階に上がったら世界の民藝品祭り その中で良かったのは 庭先の肉焼きコンロ フランス 1970年代 プロ...
Read moreThis was an enjoyable visit for me. Various items and collection showing the artistry and artisanship of the locals in which you can judge to have been made some time ago. Though old by age, you will be amazed of the materials used as the items seems to have been made yesterday only. The preservation is one of a kind. The museum staffs are so kind and pleasing. The museum location is facing the Historical Square where a lot of tourists and visitors alike enjoy...
Read morenot worth the 1200 yen admission fee. There is no english explanation and even in Japanese it was very lacking.
No explanation of what basic Folkcraft is and when you enter it was rows of weaved basket, different potteries. unless I google I wouldnt have gained much knowledge sadly.
The shop however is very fun in my opinion, although also lacking in many ways. But potteries were...
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