Tucked along the quiet canals of Fushimi, Fushimi Port Park is where Kyoto slows down — where history, nature, and everyday life quietly meet.
Once the bustling heart of river trade along the Yodo River, this place now breathes peace. The revived Sanjuukkoku-bune (old cargo boat) rests like a memory beside the path, reminding visitors of Kyoto’s floating past. In spring, the cherry blossoms bloom in soft whispers, petals drifting like forgotten letters across the water.
Locals jog, children laugh in the playground, couples linger under trees — and yet, there's space to be still. You can walk the 550-meter path and feel the air shift with the seasons. Or sit by the river and let the past speak softly while the present passes gently by.
It’s not a tourist destination with grand gates or golden halls — but that’s the beauty of it. Fushimi Port Park is Kyoto at eye level. Honest....
Read more抱擁する街の素
1594年、秀吉は首府伏見城(桃山城)と大坂城とを淀川で結ぶことを目的として、伏見港を築港した。
関ヶ原以降、伏見城は徳川家のものとなり、江戸幕府開闢後も家康は伏見城にいることが多かった。征夷大将軍としての徳川家康は在江戸よりも在伏見のほうが長かった。三代将軍徳川家光の征夷大将軍宣下の儀を最後に破却され、伏見は首府及び城下町としての役割を終える。
城下町伏見は港町伏見として再生する。江戸時代を通じて、京坂間の物流及び往来の結節点として機能し、伏見港は国内最大の内陸河川港となった。幕末には坂本竜馬を含めて維新志士の多くが伏見に潜伏した。都に近く、諸国の人々が多く往来する港町は、倒幕を目指す維新の志士たちの潜伏場所として最適地だった。そして太閤秀吉の城下町の伏見町衆は、徳川政権打倒を目指す志士たちを良く庇った。
明治期に入り、我が国初の電車の営業運転が、官鉄京都ステーションと伏見港を結んだ。さらに淀川の右岸に官鉄及び新京阪(現阪急京都線)、左岸に京阪電鉄及び京阪国道が敷設され陸上交通が興隆した。内陸河川港伏見はその機能を衰微させていったが、戦前までは僅かながら機能していた。
1960年代になると港を埋め立て市営駐車場とする都市計画が策定された。死に体の港を完全に抹殺して、陸上交通に奉仕させようというのだ。伏見港は京都市街外縁部に位置し、国道1号(京阪国道)と24号(大和街道)に挟まれ、京阪本線と宇治線が分岐する中書島駅に近い。交通の結節点であることに変わりなかった。
歴史的文化財の多い京都にとって「伏見港如き」は、観光資源にも歴史的遺産としても保存する対象とは見做していなかった
京都の計画決定に伏見は異議申立を行う。曰く
上に蓋をしてしまうということは、下は臭いものだということになる。伏見港は開府以来、伏見の繁栄を支えてくれた恩人であり、臭いものではない。
と。京都人が思うよりも伏見はしぶとかった。伏見港跡埋立は規模を縮小、歴史的景観を復元した公園整備が計画・施工された。 現在でも伏見港は港湾法の港湾である。約1万平米におよぶ港湾区域が設定されている。
港の本来の機能がフルストップしてから、半世紀以上が経過した。しかし港町時代につくられた、開放的で多様なものを受け入れ抱擁するこの町の性格は現在も生きている。この「開放性」は、枕言葉のように「閉鎖的」と言われる京都とは、際立って異なる伏見の特徴だ。私は住民票上の住所が10回以上も変わっているが、伏見よりも開放的で包容力に富んだ町に住んだ経験はない。
伏見九郷の総鎮守御香宮神社の三木宮司が
(御香宮祭は)歴史ある町の歴史ある祭だが、移り住んだ伏見一代目の新住人達が是非御輿を担ぎたいと申し出てくれる。旧い住人達もこれを歓迎している。これこそが伏見が誇りとするところだ。日本一のお祭りだ。
といった旨のことをおっしゃっていた。 こんな街が他にあるだろうか。
1994年、京都は街をあげて平安建都千三百年年を祝った。しかし大手筋周辺のみは「伏見港開港四百年」の幟が翻った。京伏合同から80年経っても、伏見は吸収されたわけでも同化されたわけでもない。
伏見は伏見なのだ。
追記2021/4/30 伏見港が「みなとオアシス」に登録された。 「みなとオアシス」とは国土交通省が認定する地域住民と観光客が交流するイベント、来訪者が休憩する場の提供並びに地域の観光及び交通に関する情報の提供等の様座なな役割が期待されるエリアのことであり、現在全国147か所が認定されている。 内陸河川港の認定は異例であるとのこと。
追記2022年10月 伏見港公園は京都府管理の公園だが、隣接する「伏見みなと公園広場」は京都府管理の港湾緑地で、同様に隣接する「伏見みなと広場」は国土交通省管理の河川緑地であり、「縦割り行政」の見本のようになっている。まとめると以下のとおり
伏見港公園 体育館、プール、テニスコート等が立地
伏見みなと公園広場 伏見みなと橋や派流両側の広場
伏見みなと広場 三栖閘門や三栖閘門資料館が立地
2022年10月に一帯を「ふしみなーと」とエリア名を決定し、一体として運用していく...
Read morelt is one of the nicest place to see the #sakura. We have been having our hanami picnic in here. But this year, there was a big event sponsored by Lions Club and it was very crowded. There were dance shows, wadaiko performance, live performance, it was fun. However, if you like to enjoy a peaceful #hanami, l recommend to visit...
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