堀川寺之内の交差点を北に行った東側にあるのが臨済宗単立の門跡尼院の「広徳山 慈受院(じじゅいん)」になります。「薄雲御所」又は「烏丸御所」「竹之御所」とも呼ばれています。 室町時代初期には、京都尼五山「景愛寺」「通玄寺」「檀林寺」「護念寺」「恵林寺」の第二位である「通玄寺」の3つある子院「総持院」「曇華院」「慈受院」の一つになります。 山門には、拝観謝絶と掲げられており、非公開寺院になります。 山門の左手には、毘沙門堂と稲荷社があります。こちらには参拝出来ました。 【慈受院門跡について】 創建は、正長元年(1428年)、室町幕府4代将軍足利義持の正室である日野栄子が皇室代々の菩提を弔うために建立したと伝えられる。 日野栄子が落髪した際に「慈受院」と号した。永享3年(1431年)に享年42で死去した時の戒名が「慈受院...
Read more室町幕府四代将軍足利義持の正室、日野栄子は夫の遺言により皇室の菩提を弔うために創建したとこ伝えられる。薄雲御所、竹之御所、烏丸御所とも呼ばれます。この寺院に伝わる花籠図屏風から生まれた「草花・薄雲御所流生け花」が今も受け継がれています。 It is said that Eishi Hino, the fourth shogun of the Muromachi Shogunate, was built to mourn the imperial bodhi by her husband's will. Also known as Usugumo Imperial Palace, Takeno Imperial Palace, and Karasuma Imperial Palace. The "flower arrangement, Usugumo Gosho style flower arrangement" that was born from the flower basket folding screen that is handed down in this temple is...
Read more臨済宗の門跡尼院。 普段は非公開で秋の特別公開時にお参り。 薄雲御所とも呼ばれる。
案内によると、由緒は次のとおり。 慈受院の開創は慈受院浄賢竹庭尼大禅師で、俗称は日野資康の娘・栄子。室町将軍足利義持の夫人。 義持亡き後、出家して亡父の遺言で天皇家の菩提を弔うために1428年に建立したと伝わる。 そして、開祖の一字を取って「竹之御所」と呼ばれていた。
その後いったん廃絶したが、大正時代に縁故関係にあった総持院が寺号を慈受院とする改称届を京都府に提出して再興された。そのときの届出によると、慈受院の旧地は京都府立鴨沂(おうき)高校の位置にあったという。
この高校のある場所は御所に近く、藤原道長の建立した法成寺の跡地で、紫式部もきっと過ごした地に違いないだろう。 総持院は称光天皇より「薄雲御所」の名を賜っていたが、慈受院が...
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