『しょうじょうけいん』と読む清浄華院は、法然上人御影をご本尊とする浄土宗七大本山のひとつで山号や寺号はない。 860年に清和天皇の勅願で円仁が禁裏内道場として創建された円(法華経)密(密教)浄(浄土教)戒(戒律)の四宗兼学の寺院で、その後、後白河天皇・後鳥羽天皇・高倉天皇に授戒した法然が、その功績により当院を下賜され、浄土宗寺院となったと言われているが、文献上の記録がないそうだ。資料からは1302年に向阿証賢が兄弟子・専空より三条坊門高倉の「専修院」を譲り受け、その後、1333年頃には「浄華院」と称していたようで、法然が下賜されたのが「専修院」かどうかははっきりしていない。 1350年代には土御門室町の地に移転し、皇室、公家だけでなく、室町幕府や武士からも支持され、繁栄したが、応仁の乱以降、戦火にまみれ、1490年頃まで再建は困難を極め、太閤秀吉の京の都市計画などによって、現在地に移転してきた。江戸期に入っても、皇子・皇女の墓が数多く営まれるなど皇室との関係は続き、皇室帰依の寺院として権威を保ち続けた。明治期になると、戊辰戦争で薩摩藩の陣所になったことがあり、その後失火で伽藍を失ったことがあるが、1911年の法然上人七百年大遠忌には伽藍を再興、現在に至っている。 23/12/01、百万遍知恩寺に続いて、法然上人二十五霊跡を巡った時にお詣りした。とても静か...
Read more京都府京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町395にある浄土宗のお寺、清浄華院です。
この場所は、平安時代の藤原道長によって創建された、法成寺があり摂関期最大級の寺院です。道長の主邸土御門殿の東にあたる鴨川西岸(東京極大路の東)に建てられ、京極御堂とも称され、道長の異称「御堂殿」「御堂関白」やその子孫御堂流の由来ともなっています。
現在の京都市上京区東端にあった。荒神口通寺町東入の路傍、京都府立鴨沂高等学校校庭の塀際に法成寺跡を示す石標が立てられている。
法成寺の跡地にあり、法成寺の礎石、仏像発見され、ちかくの清浄華院に供養と石の展示がある。梨木神社に法成寺の井戸が発見された。 大名普請で城をつくったと同じように、各国の国士に普請させたといわれてます。大名普請の始まりです。
お墓は、門院をはじめ、江戸時代の歴代天皇の皇子・皇女の墓地があり、宮内庁の管轄を受けています。室町時代以降に帰依を寄せてきた公家の方々やその家司(家来)の方々、御所に出入りした地下役人やなどの墓も多く営まれています。
天皇家と深い関わりがあり、寺紋が天皇家の菊花紋に近い葉菊紋が使われているそうです。
アクセスは、京阪京都線出...
Read more清浄華院 浄土宗の大本山の一つ。院号だけで、山号、寺号がない。御所の中に開山した寺で、仏教の学問をするところ。扁額には「禁裏内道場」とある。天正年間、秀吉の時代に、現在地になった。 先代のときに、結界をなくし、内陣までお参りできるようなった。それは、法然上人の教え、誰でも「南無阿弥陀仏」をとなえると、仏になれるから。 正面は、法然上人像、42歳の厄年のときだと言われている。向かって右、上人からすると左(心臓側)に二祖、向かって左に、三祖。 向かって右の部屋には、宝冠釈迦如来坐像、江戸時代。右奥には、慈覚大師像。奥には黒塗りで菊御紋の厨子が3つ並ぶ。皇室関係の御位牌を安置している。 向かって左の部屋には、不動明王。泣不動と言われる由縁の絵巻が寺にある。 涅槃図は、猫も描かれていて、海があり、クジラ、魚、亀まで描かれている。當麻曼荼羅は、壁面一面の大きなもの。年に一度公開する。 境内の桜の木の側の石塔は、篤姫の大ばあさんの供養塔。八須賀の桜と言われ、桜の前の石には、殿様が腰掛けた石だと言われている。 建物の間から、大文字が見える。 パンフレ...
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