東京都墨田区両国にある、高野山真言宗は大徳院の御本尊・薬師如来の直書き御朱印を以前いただきました。 大徳院は御府内八十八ヶ所霊場の札所寺となっております。
徳川家康によって、文禄3年(1594年)に和歌山県の高野山に開かれたそうです。 寺名の由来は、高野山を開いた弘法大師の「大」と徳川家の「徳」をとって「大徳院」と号したとのこと。
その後、高野山金剛峰寺の諸国末寺の総触頭として寛永年間に神田紺屋町に屋敷を拝領した後、本所猿江に移転、貞享元年(1684年)2月、現在の両国に移転しました。
御本尊の薬師如来は「本所一ッ目の寅薬師」といわれ、眼病治癒に霊験あらたかな仏様として信仰されていたそうです。
現在、大徳院は両国稜苑という屋内型墓苑になっていて、御朱印は受付で頂戴することが出来ました。しかし、これは2年前の御府内八十八ヶ所霊場の札所めぐりの際の話なので、現在は授与頂けない可能性もあるようです。 御府内霊場に限らず、玉川霊場や豊島霊場にも、以前と授与の形が変わってしまった、又は札所寺ではあるけど授与をやめられてしまった寺などもあり、札所巡りをしている身としては結構複雑な気持ちになることがあります。 巡礼者からすると、せめて御朱印だけは…と思うところもありますが、それがお寺の方のご負担になっている事実もあると思うとなかなか難しいところではあります。
最寄り駅は総武線の両国駅で、大相撲の聖地・...
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Read more江戸御府内八十八ヵ所霊場の参拝でお伺いしました。 高野山真言宗のお寺で高野山金剛閣大徳院といい、霊場第五十番札所になります。 霊場御本尊は薬師瑠璃光如来になります。 徳川家康公が文禄三年(1594年)紀州高野山に祈願寺として建立したのが始まりと伝わります、江戸に移った年代などは不詳ですが貞享元年(1684年)には南本所元町つづきの現在地に、寺地千二百坪を与えられたといいます。 江戸時代の大徳院は高野山御仏殿別当の宿院として、諸国末寺触頭を務めていたが明治十八年(1885年)に一切の公的な役目を返上し、以来「本所一ツ目のお薬師様」として人々の信仰を集めるようになった。 大正十二年(1923年)の関東大震災・昭和二十年(1945年)の大空襲ですべての堂宇を焼失してしまったが、本尊の薬師三尊像を始め弘法大師像や明治天皇の賜衣などの寺...
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