「吉良上野介の子の悲運な最期」 討ち入りの日には高輪泉岳寺で華々しく義士祭がとりおこなわれるが、ここ両国の吉良邸跡では同時に吉良祭が行われる。
平成20年に訪れた時のポスター(写真) 町内会は町興しのために吉良祭では集客力が弱いので元禄市という名目で町興しをはじめたようだ。
吉良邸は江戸城の松の廊下での浅野匠の守の刃傷沙汰の後に日本橋からこちらへ処替となり居を構えた。 仇討に対する警戒をしていたにもかかわらず隙をつかれて未明に討ちいられて上野介の首をはねられてしまった。
吉良家は当時の旗本の高家として高い地位にあったようで公家との連絡、接待などの役目を受け持っていた。
しかし、どこの社会、組織にもいる地位をかさにきたイジメ体質の人物であったようで史料によると浅野の殿様の他にも上野介からイジメを受けていた人物は多かったようだ。
現代社会のように倍返しを夢見て我慢するサラリーマンのようにはいかず、家来、家族の生活を考えず、激情を抑えきれずに上司に暴力をふるったお坊ちゃんの浅野の殿様はお家断絶、切腹となり、家来は生活の糧を失い路頭に迷うこととなった。
旧吉良邸の一部が公園として残されている。 30坪程度の小さい公園である。 吉良邸は500坪ほどあったが、不浄の地として買い手が現れず、細かく整地して販売したと伝えられている。
この小さい公園内にはお稲荷さんがあるが、かって「上野稲荷」(コウズケいなり)と呼ばれていたがその呼び名が嫌われて改名したとの言い伝えがある。
さて上野介の跡継ぎは親戚(父が上野介の子であり上杉家に跡継ぎの養子となった)の上杉家から養子として吉良家へきた左兵衛義周(さへいよしかね20歳)は討ち入りの際に浪士と戦い深手を負い気絶をしていた。
その後1年後、吉良左兵衛義周は幕府の評定所に呼び出されて「仕方不届きにつき、領地召し上げ、諏訪安芸守へお預かりとする」となった。
そして罪人扱いの籠にのせられ一旦安芸守の屋敷へ送られ、そして信州高島で幽閉されて3年後に餓死同様に息が絶えてここに吉良家の血統は絶えた。
ここで不思議に思うのはなぜ勇敢に戦った左兵衛義周が仕方不届きなのだろうかとの疑問である。
その答えは吉良邸は私邸ではなく幕府の公邸であり、その公邸に狼藉者を侵入させて吉良上野介の首をとられたことが仕方不届きであると史料にある。 もし上野介が逃げおうせたらその後の展開もちがっていただろうに。
上野介のイジメ癖。浅野の忍耐力のなさ。赤穂浪士の実行力と執念。
吉良家の養子になったために可哀そうな身の上なった左兵衛...
Read more忠臣蔵で良く知られる赤穂浪士の討ち入りがあった吉良上野介義央の屋敷跡です。 公園という名前が付いていますが、遊具などはない約30坪弱の敷地に、吉良上野介を供養するための小さな神社や井戸などがある程度で、なまこ壁の塀で囲まれた小さな屋敷跡という感じです。 屋敷跡にしては随分狭いと思いましたが、元禄時代の当時は付近一帯が吉良の邸宅で、その広さは約8400平方メートルもあったとされています。
邸宅は、赤穂浪士による討ち入りの後に幕府に没収され、後にそのほかの敷地跡にも住宅などが立ち並び、往時の吉良邸を偲ばせるものは何もなくなったようですが、昭和9年に地元の有志らが旧邸宅の一部の土地を購入し、東京市に寄贈し、翌年に公園として開かれ、昭和25年に墨田区へ移管されました。
吉良邸跡では、義央のカラフルな坐像が印象的でした。 義央が50歳の時に作成させた檜製の坐像が現存するようですが、両国にあるのは当時のものではなく、本物は吉良家の菩提寺である愛知県の華蔵寺というところに祀られています。
ご存知の方も多いと思いますが、参考までに忠臣蔵のモデルとなった赤穂事件の概要を簡単にまとめます。↓
元禄14年(1701年)、江戸城に朝廷からの勅使を迎えた際、勅使御馳走役を務めた赤穂藩主の浅野内匠頭長矩に吉良上野介義央が斬りつけられる刃傷事件が発生。義央の横柄な態度に長矩が恨みを抱いたとする説などがあるが原因は不明。長矩は即日切腹を命じられ、赤穂浅野家は崩壊。 この事件の後、義央は自ら職を辞し、同年12月に隠居。翌年12月15日未明、浅野家の旧臣達47名(赤穂浪士)が主君の仇討ちで義央が住む本所の屋敷に討ち入り、義央が落命するという事件。赤穂浪士...
Read more先日、愛知県西尾市の高家旗本/東条吉良家の菩提寺/華蔵寺と居館/岡山陣屋(吉良陣屋・椿陣屋)跡を訪問🐎 今日、東京両国の旧本所松坂町「吉良上野介義央」上屋敷跡に来ました🚶 ここは『忠臣蔵』赤穂義士討入りの場所、小ぢんまり史跡公園🗡️
⭐️国道14号(京葉道路)から少し南側の路地裏へ、表通りの喧騒が嘘の様な街角になまこ壁に囲まれた吉良邸跡😌 昭和9年に邸内の「吉良公首級洗い井戸」を中心に地元有志の方々が土地購入して当時の東京市に寄付、赤穂浪士討入りの吉良邸旧跡を保存との事、皆さんの心意気ですね、東京都指定旧跡に😲
⭐️なまこ壁の内側に屋敷の説明などの色々な案内板があります、吉良家上屋敷/約2500坪凄く広い、中々討入り時に吉良上野介が見つからなかった訳ですね⁉️
⭐️公園中央に吉良上野介の座像がありますが、愛知県西尾市の吉良家菩提寺/華蔵寺にある吉良上野介50歳、1690年頃に自分自身が造らせた寄木造の座像を参考に、その姿型そっくりに制作したそうです🤔 この元の華蔵寺の座像は華蔵寺本堂横の「吉良氏影堂」の中に安置され、誰でも拝顔する事が可能です👀
※車は周辺のコインパーキング利用(結構満車)、お薦めは徒歩で両国駅から約10分位でしょうか🚙🚶 ⭐️JR両国駅周辺は散策に最適‼️⭐️ 江戸東京博物館~吉良邸跡~両国公園/勝海舟生誕地石碑~すみだ北斎美術館~旧安田庭園等々、丸々1日満喫出来ます😄 夜は「ち...
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