春のうららかな日差しの中で、桜は咲き乱れ子供達が楽しく遊び回る平和な公園が、かつては難攻不落の江戸のアルカトラス監獄の跡地だったとは想像もつきませんね(笑)。 ここは「伝馬町牢屋敷」という敷地8639㎡(東京ドームの建築面積は46755㎡)の面積を持ち、周囲に水堀と高さ2.4mの高塀を持つ監獄で、政治犯も含めて江戸中の囚人がここに集められていました。その全体模型が隣の十思スクエア別館に展示されています。
当時、世界最大の100万人都市である江戸の監獄にしては、規模が小さすぎるように思えますが、実は固定化した身分社会の元では極めて犯罪は起こりにくく、事件はマレで時代劇のように毎日強盗や殺人事件が発生していた訳ではないのです(笑)。 多分、現在の1年間に起こる凶悪事件の方が、江戸時代100年間分より多いと思います。
あと吉田松陰の刑はココで執行されたんですね。小塚原の回向院にお墓があるので、てっきり小塚原刑場で執行されたものと思っていました。当時死罪になった人間は墓を作ることはおろか埋葬すら許されず、遺骸は刑場に放置され犬やカラスのついばむままにされました。そのため一旦松陰の遺骸は牢屋敷から小塚原に運ばれてきたのです。もちろん遺骸は弟子達がすぐに回収し、丁重に埋葬しましたが。
その他の展示物として、牢屋敷に水を供給していた井戸の遺構が保存され、ガラス越しの地下に観察することができます。「井戸の何が珍しいんだ?」と思うかもしれませんが、江戸の井戸は世界的にも珍奇な特別製なのですよ、何故なら「井戸だけど水道」だからです。
何言ってんだお前? 状態でしょうがお付き合い下さい(笑)。江戸は徳川家康が開府するまでは、東京湾が皇居のすぐ下にまで入り込む遠浅の低湿地で、埋め立てによって出来た街でした。そのため井戸を掘っても海水が混じり飲用には適しません。 じゃあどうしたのかというと、神田上水や玉川上水など、はるか上流から真水を取水し木製の水道管を設置して江戸まで持ってきたのです。その後はターミナルから各地域に分水する、先進的なシステムになっていました。だから一見普通の井戸のように見えますが、実はその下まで水道管がつながっているのですよ。その様子がガラス越しに見ることが出来ます。
江戸っ子が田舎者に啖呵を切るときは「こちとら、生まれた時から水道の水を飲んで育っているんでぇ!」と凄んだらしいです。水道は都会人の自慢のタネだったんですね。こういうことを説明書きに書かないと、何が面白いのか分からない...
Read moreThis is the place where I saw the first Sakura Bloom in my life. It is just not that grand festival in the park as I have expected when I have touched the soil of Japan but it is definitely the most majestic. It's a place I will...
Read moreNice little local park where the locals hang out. Lots of seating, public toliets, and play equipment. Elevator in to the nearby metro line is also found here.
Found it pleasant to come here and...
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