小田急線の世田谷代田駅から環七沿い(外回り)に南に下り、駅からは7分くらい歩いたところにあります。平日のみの開館で、環七は車で一杯ですが、当館は道路に面していても豊かな緑の御蔭で喧噪を感じません。敷地に入ってすぐの白い土蔵風の建物が記念館です。奥には豪壮な齋田家住宅があります(非公開)。住宅は江戸末期に焼失し、昭和初期に再建したものですが、近代建築の貴重な資料として世田谷区の文化財に指定されています。 齋田家は代々この地の名主で、学者、文人として活躍した人も多く出ているそうです。 九代の雲岱(うんたい、1801-1858)は植物、動物の精密な写生画、図鑑を多く遺しましたが、それら博物図譜の企画展を観覧しました。雲岱は江戸時代に全盛となった本草学の研究者との交流も深く、重要な図鑑類の写しなども遺しているそうです。コピーも写真もない時代ですから、貴重な書物は写して広める以外にありません。 展示の解説文で、植物分類学の泰斗リンネの弟子ツンベルクが1775年に来日して出島に一年間駐在し、日本の医学、植物学の発展に大きな貢献をしたと知りました。 雲岱が活躍した頃は、蘭学を通じて入ってきた西洋の博物学が日本でも広がり、薬用から始まった本草学が、自然界全般を科学的に分類記述する博物学に発展していった時代だったようです。 明治維新後は齋田家はこの地でお茶の生産を始めて、輸出も盛んにしたそうです。明治期の輸出品のトップが生糸とはよく聞きますが、2位がお茶とは知りませんでした。しかも世田谷がお茶の産地の一つだったとは意外です。 当時の輸出用お茶のパッケージのデザイン(蘭字と呼ばれた)は浮世絵職人の優れたセンスと技能の確かさが溢れるものです。今見ると古くさいどころかアバンギャルドとも言える斬新な印象を受けます。当館にも多数の収蔵品があり、...
Read more環七に面して有りますが、敷地に入ると騒音は気になりません。静かな小さいミュージアムです。 リーフレットによると齋田家は木曽義仲の老臣・清和源氏中原兼遠を遠祖と伝えられる名家です。このミュージアムの知名度を高めることとなったブラタモリの放送では、明治期に世田谷の茶業の発達に大きな役割を担った事で紹介されていました。 ブラタモリで放映されたお庭の有る母屋は世田谷区の文化財に指定されていますが、今も個人の住居として使われており通常は公開されていません。世田谷区のリクエストで年に数日、それも抽選で選ばれた方々のみ公開しているとのことです。同様の事情により、ミュージアムも週末開館すると見学者が増えすぎて不都合があるとの理由で週末は第4土曜日しか開館していません。展示室も一部屋のみで企画の入れ替えの際は数日閉館されます。 今日(2024年6月28日)は学芸員さんによる「渡邉省亭、花鳥の余韻」ギャラリートークが開催されていました。全く知識が無く初めて「渡邉省亭」を認識しましたが、お話しは大変分かり...
Read more環七を車で通るたびに、「大きなお屋敷」と思っていました。他の美術館に行った時、たまたまこちらのパンフレットを見かけて来訪。 大きな蔵を展示室に改築したのでしょうか、決して広くはありませんが、歴史的資料は解説も含め見応えがありました。 今回のお目当ては「蘭字-知られざる輸出茶ラベルの世界」世田谷でお茶の栽培をしていたとは知らず、全てが驚きばかり。 ノスタルジックな輸出用のラベルや容器が残っていることも、奇跡のようでした。 展示室には小さなソファーがあり、脇の小机には次回の企画展の案内やアンケートが置いてありました。 今回はバスを利用しました。駐車場は、近隣にコインパーキングがありますが、道が狭く交通量も多いため、電車やバスのご利用をおすすめします。 土日は休...
Read more