慶応3年(1867)10月14日、伊予松山(現在の愛媛県松山市)に生まれた正岡子規(まさおか しき→本名:常規 つねのり1867-1902)の父は松山藩士 正岡常尚、母は藩の儒学者 大原観山(おおはら かんざん)の長女 八重、そして3歳下の妹 律(りつ)という家族構成でした。
子規は22歳の時に肺結核、29歳の時に結核菌による脊椎(せきつい)カリエスと診断され、34歳11ヶ月で亡くなったそうです。
都指定史跡の「子規庵(しきあん)」は、元々は旧加賀藩前田家下屋敷の侍長屋で、二軒続きの一軒であったといわれています。子規は明治27年2月、27歳の時に母 八重と妹 律と共にこの家に移り住み、34歳11ヶ月までの8年余りを病魔と闘いながら、亡くなる前日まで作品(俳句や短歌)を作り続けました。
昭和20年(1945)4月の空襲で家屋は消失しましたが、門人等の尽力により昭和25年にほぼその当時のままの姿に再建され、現在に至っているそうです。
今年(2022年)の6月、鎌倉の建長寺へ行った時に国宝の梵鐘(ぼんしょう)があり、その手前に「鐘つけば 銀杏(いちょう)ちるなり 建長寺」という夏目漱石の句が書かれた立看板があって、明治28年(1895)9月に作られたとあり… 親友の正岡子規は、この句を参考に「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」を作りました、という解説を読み、正岡子規の終の住み処(ついのすみか)となった「子規庵(しきあん)」を一度訪れてみたいと思っていました。
2022年11/27(日)、上野の東京国立博物館で創立150周年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」を拝観した後、徒歩🚶♀️で向かい、14:30頃「子規庵」に到着しました❗️
子規庵の公開時間は10:30〜12:00と13:00〜16:00。入庵料は¥500で、中学生以下は無料です。最寄駅は鶯谷駅で、北口から徒歩約5分です。※経路検索して向かうと🚶♀️、ラブホ🏨街を通り抜けていくようなルートになります😅💦
現在は新型コロナウイルスの影響により公開日を限定していて、感染状況によっては公開を中止することがあるようですので、子規庵のホームページで確認をしてから訪れたほうが良いです。
10月に訪れた時はお休みしてまして😱💦、12/10(土)と11(日)に予定していた公開日は、感染者数が増加傾向にあることから、公開中止とのこと。訪れた日:11/27(日)が今年(2022年)最後の公開日とのことで、冬期は窓を開放して換気することが難しい為、次の公開日は来年(2023年)3月:春🌸以降になる予定ですとスタッフの方がおっしゃってました。
庭には亡くなる前日に書いたという「絶筆三句」の句碑があって、句碑の上部に埋め込まれた銅版は大きさも筆跡も現物通りのものとのことで… 妹の律と門弟の河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)に助けられながら、かろうじて筆を持ち、咳をしながら、落ち着いた合間に少しずつ句を書き、書き上げたという当時の状況も解説されています。その日のうちに昏睡状態となり、翌日(明治35年9月19日)の午前1時頃に永遠の眠りについたそうです。それを読んでいると、子規が書いている時の状況が目に浮かんでくるようでした😱💦
子規庵の出口🚪付近には正岡子規に関連した書籍📖や絵ハガキなどが販売されている建物があり、その近くでホットココアのサービスをいただき、帰りがけに「ありがとうございましたm(_ _)m...
Read more四方をラブホテルに囲まれた中にポツンと現れた異次元空間。古びた日本家屋の玄関の引き戸を開けるとどなたもいらっしゃらないので「ごめんください」と声を掛けると年配の男性が出てらっしゃいました。靴をビニール袋にいれて持ち入り、入庵料500円を渡すと中の座敷に案内されてビデオを見せていただきました。子規の母親が使っていた三畳間には募金箱があって、子規庵で育てたヘチマの種がいただけます。 ビデオの部屋の隣は子規が病の床を敷いていた部屋で、病と闘いながら執筆に励んだ机が置いてあります。机の手前の真ん中が四角く切り外してあるのは、子規の脚が曲がったままだったので、立て膝で原稿を書いていたためだそうです。 ガラスの格子窓の外にはヘチマ棚があって、小さいながらも様々な草木が茂る庭もあります。 それを眺めながら執筆できるよう、机は窓際の外に向けて置いてありました。もっともっと書きたかっただろうと、早世の俳人の心中に想いを馳せました。 靴を履いて庭に出て、ぐるりと一周してヘチマ棚の脇から蔵と井戸端の方へ出ます。井戸端の東屋には俳句を書く短冊が置いてあるので、一句浮かんだ方は是非したためては。蔵の壁に掲示してくださるようです。左側には記念グッズなどの小さなお土産屋さんもあります。 裏木戸を開けて外に出ると、また突然、元の現実世界に引き戻されまし...
Read more0111 根岸 子規庵にて、
おしろいは 妹のものよ 俗な花 /子規先生
( 横槍を、) 恩師こそ 俗な俗なる「おしろいは」
これは、❌️。 妹の俗を子規は否定してるんではないのでは? 俗の俗なる妹にこそ、最大の感謝を…。律子よありがとう、です
鶏頭の十四五本もありぬべし/子規 ふたもとの梅に遅速を愛すかな/蕪村
数字遣いを絶賛したのは、誰だったか。「鶏頭の 」は 、とうとう寝たきり 十四五本はある筈 誰か確かめてヨ と云う 子規の最期の弱気に感動するべき…
( 愈々は、臥床するばかり /しんげう)
起きられぬ 庭の千草も 見えられぬ ⋯⋯⋯⋯ 十四五本も 目に入られぬか (オキラレヌ ニワノチグサモ ミエラレヌ 14、5ホンモ メニハイラヌカ )
( 今にも先生方が 柿を一枝生り 提げて、)
「よっ 」と入る 漱石 碧梧桐 虚子 ………ヨットイル ソウセキ ヘキゴドウ キヨシ
(梅の香にのっと日のでる山路かな/芭蕉)
子規は、見えぬ庭の千草を 最期の 拠り所と… 合掌
私は小花ばかりに 俯きがちに ………...
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