湯前神社(ゆぜんじんじゃ)。静岡県熱海市上宿町。
式内社(小)久豆弥(くづみ/くつみ)神社の論社、旧村社。
主祭神:少彦名命 少彦名神は温泉の神として日本各地に祀られているが、本来は大湯そのものを神として祀ったものと思われる。
資料によると、 社前には江戸時代までの熱海温泉の中心的な源泉だった大湯間歇泉があり、この神社の名称・起源もそこに由来している。 現在は近隣の来宮神社の兼務社であり、御朱印も来宮神社で得ることができる。
社伝によれば、天平勝宝元年(749)、祭神・少彦名神が、小童に神託し、当地の温泉の効能を示したといい、里人が祠を建てて、これを祀ったのが当社の創祀。 当初は、大己貴命と少彦名神の二柱を祀っていたという。
当社の鳥居前20mほどの所に、熱海温泉の最初の元湯があり、関東大震災以前は、猛烈な勢いで噴出していた間欠泉だったという。 その元湯の前に祀られた神社であるところから、湯前神社の名が付けられたという。
式内社・久豆彌神社の論社の一つであり、平安以前から崇敬されていたと思われる古社である。 とあります。
参考として、 久豆弥(くづみ/くつみ)神社について補足すると、「久豆弥」は「ひさいず」ともあり、埼玉県を中心に分布する「久伊豆神社」という神社の名前とあります。 久伊豆神社では、国造りの大神、縁結びの神、福の神として知られる大国主命(おおくにぬしのみこと)(大黒様)と、その御子神で父神と共に代表的な福の神である言代主命(ことしろぬしのみこと)(恵比寿様)を主祭神として祀って...
Read more2/9熱海観光で訪れました。以前お気に入りで熱海観光の都度訪れていた日帰り温泉施設(大湯)が老朽化で廃業となりびっくり。その近くにあるのが、こちらの神社。 熱海温泉発祥の地で泉脈を守護する神
湯前(ゆぜん)神社の創建は、今からおよそ1270年前の749年(天平勝宝元年)。伝承によれば、491年(仁賢天皇4年)に熱海の海底から熱湯が湧き出し、それにより多くの魚類が死に絶え漁民は甚大な被害を受けていました。すると熱海を通りかかった箱根権現の高僧・万巻上人がその様相を悲しみ、漁民や魚たちを救おうと薬師如来に祈祷することで海中にあった泉脈(大湯)を熱海の山里へ移しました。その際、「この前にお社を建てて拝めば、現世も病を治す、来世も幸せに暮らせる」と人々に説いたと伝えられています。
その社こそが、薬師如来と少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀ってこの地の守り神とした湯前権現(湯前神社)であるといわれています。また、鳥居から20mほど離れた場所には大湯間欠泉があり、万巻上人が海中から移したとされる大湯が湧いています。 境内の石鳥居と石灯籠は、現在の福岡県にあたる筑後国久留米藩の第7代藩主・有馬頼徸が湯治に訪れた際に寄進したもの。そして、神社をぐるりと取り巻く玉垣には、これまでに奉納した個人や旅館の名前が刻まれています。いまはなき旅館の名も多く連なり、熱海温泉の歴史...
Read more・歴史 天平勝宝元年(749年)に地元の子供に突如、神様の神託が下り、あらゆる病気を除くのに効果がある温泉を汲み取り、それを病のある人々に浴びせよという神教があった。 実際にそれを実行したところ、本当に病の人々がたちまち快方に向かったことから、その報恩として、地元の民が祠を建てたのが始まりと云われています。
また天平宝字年中に箱根山の金剛王院の万巻上人が、熱海の海中に温泉が湧き、その熱湯により多くの魚介類が死んだのを哀れみ、熱海の砂浜にて100日間の勤行に励むと、海中にあった温泉の湯脈がなんと内陸へ移ったと云われています。そして湯前権現様と称した守り神を当地に温泉の守護神として祀った。
・見どころ。 境内は静かで居心地の良い場所です。また熱海市の天然記念物のクスノキに、筑後国(現在の福岡県)久留米藩21万石藩主、有馬頼僮(ありま・よりゆき)が寄進した石鳥居と石燈籠がある。また近くには熱海市の温泉の命ともいえる間欠泉があり、現在も高温の熱湯がブクブクと地中から沸いているのが見れます。
アクセス JR東海道・山陽新幹線、JR東海道本線、上野東京ライン、伊東線、熱海駅から徒歩14分
JR伊東線、...
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