御祭神 ・浅野長政命(浅野家初代) ・浅野末津姫命(長政の妻) ・浅野幸長命(浅野家二代・長政長男) ・浅野長晟命(浅野家三代・長政次男) ・浅野長勲命 (浅野家十四代・芸州浅野家最後の藩主・初代広島県令)
宝永三年(1706年) 広島藩主浅野家六代目「浅野綱長」により、広島城鬼門の方角に 浅野長政の位牌堂を建立したのが始まり。
文化七年(1810年) 浅野重晟・斉賢父子が、新たな位牌堂を建立した。
天保六年(1835年) 浅野斉粛が祖先追悼のため現在地に社殿を建立し、二葉御社と称した。
明治六年(1873年) 饒津神社と改称。 境内の東から東照宮参道に至る区域が「饒津公園」として整備された。
昭和二十年(1945年) 原爆により本殿や唐門が瞬く間に破壊される。 さらに本殿より出火、他の建物も類焼した。
この時、石灯籠、手水桶などの石造物が残るだけ、樹木は十数本の松の木を残すのみという甚大な被害を受けた。 境内の楠の大樹は、トンネルのようになって県道に覆いかぶさった状態になった。 また原爆で傷つき市中心部から逃れてきた多数の被爆者の避難所となったが、人々の多くはこの境内で落命。 被爆後、京橋川を渡ってこの神社近くに避難し野宿した原民喜は、戦後発表した小説「夏の花」において、被爆当日の夜の状況を描写している。
戦後、仮殿、本殿が再建された。
昭和五十九年(1984年) 本殿、拝殿、瑞垣が戦前の姿に復元された。
平成十二年(2000年) 唐門も再建される(大きさは全国2位)
平成十七年(2005年) 唐門の前に木製の鳥居が再建された。
御朱印あり
寺社巡りショート動画 https://youtube.com/shorts/vqwcLgf1fsM?si=_pb0wBsg8JjyetQU
寺社巡り動画 https://youtu.be/59Dl_9Lz_co?si=9urj...
Read more2025年9月末に参拝しました。こちらも長くて広い参道です。立派な石灯籠が並んでいました。石畳の参道を進み唐門の楼門へ、本殿境内へ入ると拝殿へは斜め右へと参道が折れます。敷地の形状でこうなったのか、それとも意図的に曲げられたのか、そんなことが気になります。 由緒を見ると浅野家代々の方やゆかりの方々を祀られているとのこと、近代社格は懸社だったことからそれなりの規模と地域の崇敬を集めていたことがわかります。立派な神社なのですね。 珍しい名の饒津の意味も解りました。 この神社にもやはり被爆の跡があり、被爆した松の根っこが安置されてあります。爆心地から1.7Kmもありながらもあらためて、市内は根こそぎやられたんだなと認識させられました。 80年後の今が夢のようですね。 参拝したのが夕方4時近くで社務所はもう閉じて御朱印はいただけないかと思っていたところ、書置きが置いてありました。 初穂料を納めありがたくいただきました。良いお参りができました...
Read more饒津神社「にぎつさん」 饒津の意味は 饒 じょう,豊,食物やものが 十分である。 津 港,船着場,海辺 「広島の町が豊かな水の都と なるように」との意味でした。 原爆で建物は焼け落ちてしまい ましたが 昭和59年には本殿, 拝殿,社務所を復興。 平成12年...
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