文京区本郷。文京区の歴史について学ぶことができる郷土資料館。 文京区は武蔵野台地の最東端に位置し、下町の低地に接していることから坂や谷が多い土地です。太古の昔から多くの人が谷から湧き出る水を頼りに生活をしていた痕跡があり、教科書に出てくる弥生土器・弥生時代という言葉は、土器が初めて発掘された今の文京区弥生町にちなんだ命名です。しかし、中世までの文京区の資料は非常に乏しいのが現状です。 文京区が発展し始めたのは江戸時代です。江戸時代の文京区は江戸を構成する街として発展を遂げました。当時の文京区は複数の顔を持つ街でした。 1つ目は「武士の町」。明暦の大火以降、大名屋敷が本郷や小石川に建てられて、武家・大名の町になっていきました。例えば今は東大がある本郷は加賀前田家、後楽園には水戸徳川家の屋敷がありました。 2つ目は「学問の町」。武士の教育機関である昌平坂学問所(湯島聖堂)や藩校、僧侶を養成する“学寮”である本郷の吉祥寺や小石川の傳通院、そして町人の子弟を教育する寺小屋も多かったそうです。明治以降も江戸時代の教育機関を引き継いだ東京大学をはじめとする教育機関が集まり、現在の区名も「学問の府」である事に因んでいます。 3つ目は「職人・商人の町」。根津・千駄木の植木職人や、湯島の味噌製造、音羽の紙漉き業など、多くの職人が活躍する土地でした。駒込の高崎屋酒店は日本橋にも支店を構えて両替商にも進出する商家として繁栄し、同じく駒込の青果市場は江戸三大市場の一つになりました。地場産業の多くは大正時代までに姿を消しましたが、その後も小石川に当時日本最大の官営工場であった東京砲兵工廠が稼働したり、医療機器メーカーが文京区に集中して産業が発展しました。 その他にも、文京区は小説家ゆかりの場所が多く、樋口一葉、夏目漱石、森鴎外といった多くの小説家が文京区を舞台にした作品を残しています。 私は文京区には武家屋敷が多かったことから「武士の町」というイメージを持っていましたが、実は職人や商人で賑わう活気あふれる町であったことが分かりました。また、文京区に多くの学校があることは知られていますが、江戸時代には既に武士・僧侶・町人の教育機関が集まっており、その頃から既に「文京」の町であることが分かりました。現在の文京区も落ち着いた町並みと教育機関・文化施設が並立した大変魅...
Read moreIt's a nice local museum, but a note that the exhibits are all in Japanese (though there's a leaflet describing the exhibition and some exhibits in English). Also, there's a 100 yen fee. But otherwise, it has nice exhibits of the prehistoric period, the samurai...
Read moreこちらの建物で写真を撮ってもいいかと聞いた時、SNSに載せてはならないとの注意があったため、中の写真載せるのはやめときます。といっても、今見るとGooglemapには皆普通に載せてて、別に大丈夫なんじゃん・・・っていう気持ちが拭えないので、もう行きません。 といっても、江戸東京博物館の劣化版と言わざるを得ない展示なので、僕は江戸東京博物館に行きます。 When I asked if I could take pictures of the building, I was warned not to post them on social media, so I decided not to post pictures of the inside. I can't shake the feeling that it's okay, so I won't go there again. I'm not going there anymore because I can't shake the feeling that it's okay... But I'm going to the Edo-Tokyo Museum because the exhibition is a degraded version of the...
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